震災乗り越え、伝統を受け継ぐ=400年以上続く「揚げ浜式」製塩―石川・珠洲

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2024年06月29日 07:31  時事通信社

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山岸順一さん(左)に見守られ、海水をまく真酒谷淳志さん。「揚げ浜式」製塩は、くみ上げた海水を「塩田」と呼ばれる砂地にまき、塩分濃度を高めた「かん水」を釜でたく製法。2008年には国の重要無形民俗文化財に指定された=16日、石川県珠洲市
 石川県珠洲市でくみ上げた海水を砂地にまく真酒谷淳志さん(29)。作業を見詰めるのは、400年以上続く「揚げ浜式」製塩の技術を守る「珠洲製塩」社長の山岸順一さん(88)だ。能登半島地震から半年を迎える中、若手とベテランの塩作りにも力が入る。

 入社2年目の真酒谷さんは、社員10人が働く山岸さんの会社で最年少。力仕事から商品の販売もこなし、先輩社員からも頼りにされる。

 元日の地震発生時、工場は倒壊こそ免れたが、煙突は曲がり、釜が割れるなど大きな被害を受けた。真酒谷さんは、両親らと初詣に訪れた神社で被災。輪島市内の自宅は全壊し、避難所生活を強いられた。知人を震災で亡くしたのもつらかったという。

 「辞めても怒らんぞ」。真酒谷さんが職場に戻ったとき、山岸さんは疲弊した後輩を気遣った。2月、塩作りを再開した山岸さんを手伝えず、歯がゆかった真酒谷さん。お客に早く塩を届けるため、仕事をする山岸さんの姿勢に、背中を押された。

 現在、真酒谷さんは仮設住宅から通勤が困難なため、製塩所に住み込みで働く。1日に作れる塩の量は平均20キロと震災前に比べ、2割程度。工場再開の知らせに全国から応援が寄せられ、1カ月で1年分の注文が届き、生産が追い付かない状態だ。

 「地震でいろんなものを失ったが、塩作りの伝統だけは絶やさない」と話す真酒谷さん。山岸さんは「2、3年では一人前にはなれないが、ここが頑張りどき」とひたむきに仕事に励む若手にエールを送った。 

「かん水」を煮詰めるため、釜の火を調整する真酒谷淳志さん。被災した家屋の木片などを知人から譲り受け、まき代わりにする=16日、石川県珠洲市
「かん水」を煮詰めるため、釜の火を調整する真酒谷淳志さん。被災した家屋の木片などを知人から譲り受け、まき代わりにする=16日、石川県珠洲市


珠洲製塩の真酒谷淳志さん(左)と社長の山岸順一さん。山岸さんは「塩作りが体に染み込んでいる私のまねをしてもらうのがいいと思う。ゴールはまだ先」と話す=16日、石川県珠洲市
珠洲製塩の真酒谷淳志さん(左)と社長の山岸順一さん。山岸さんは「塩作りが体に染み込んでいる私のまねをしてもらうのがいいと思う。ゴールはまだ先」と話す=16日、石川県珠洲市
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