五輪オーバーエイジは必要か?(2) 2016年リオ・手倉森誠は「ハリル監督から『いいチョイス』と言われたが...」

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2024年07月01日 07:30  webスポルティーバ

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サッカー五輪代表「オーバーエイジ」を語る(2)
2016年・リオデジャネイロオリンピック〜手倉森誠の場合

◆反町康治〜2008年・北京五輪「U-23世代ではどうしても足りないところがあった」

 パリ五輪に出場するU-23日本代表メンバー18人が、7月3日に発表される。

 かねてから話題となっているオーバーエイジには、誰が指名されるのだろう。交渉難航が伝えられているなかで、3人の枠を埋めることはできるのか。それとも、「1」か「2」か。あるいは、「0」で臨むことになるのか。

 かつて同じ悩みに直面し、大きな決断を下した監督に聞く。

 2016年のリオ五輪で采配をふるった手倉森誠監督である。現在はタイ1部リーグのBGパトゥム・ユナイテッドを指揮しており、2023-24シーズンはリーグカップを制した。

「リオ五輪で決勝まで勝ち上がると、帰国は8月23日になる予定でした。その5日後の28日からワールドカップ最終予選に臨む日本代表が活動をスタートさせる。そういう状況だったので、(ヴァイッド・)ハリルホジッチ監督からは、『最終予選に絡む選手はオーバーエイジで呼ばないでほしい』とのリクエストがありました」

 9月1日のUAE戦は最終予選の初戦で、6日にはアウェーでタイ戦がある。手倉森監督は日本代表コーチを兼任しており、9月の連戦の重要性は理解した。ハリルホジッチ監督からの要請を受け入れたうえで、手倉森監督は清武弘嗣をリストアップする。

「我々のチームはU-20ワールドカップの出場を逃した選手たちで構成されていて、アジアで勝てない世代と言われた。五輪予選ではアジア王者になったけれど、世界大会を知らない選手たちが多い世代を引き上げるために、オーバーエイジ枠を使うというのが自分なりの位置づけでした。

 五輪に出場経験のある日本代表選手を含めて、DF、MF、FWにひとつずつ、という構想を描いたのです。清武は2012年のロンドン五輪で悔しい思いをしているし、五輪の短期決戦も経験している。国際試合ではセットプレーの重要性が高まり、そのキッカーとしても期待できる選手でした」

【OAは五輪世代を輝かせる存在でなければ】

 清武は3月のアジア2次予選、6月のキリンカップに招集されていた。スタメンで起用されることもある立場だったが、ハリルホジッチ監督からは「いいチョイスだ」との了承を得た。

「日本代表のコーチとして清武と接していて、所属するハノーファーのOKさえ取れればいけるんじゃないか、という感触を得ていたんです。ところが、ハノーファーからセビージャへ移籍することになった。五輪はヨーロッパ各国リーグのプレシーズンと日程が重なるので、彼の招集は断念せざるを得なかった」

 手倉森監督の構想は、さらに修正を迫られる。

 最終予選で左サイドバック(SB)の主軸だった山中亮輔が、5月中旬のケガで長期離脱してしまう。さらには植田直通、岩波拓也とともにセンターバック(CB)として計算していた奈良竜樹も、ケガで招集が不可能となった。手倉森監督は左SBとして藤春廣輝、CBとして塩谷司を、オーバーエイジ枠で招集する。

「塩谷はセンターバックだけでなく、サイドバックでもプレーできる柔軟性を評価しました。18人のチーム編成では、複数ポジションに対応できる選手が必要なので。彼は2015年1月のアジアカップのメンバーに選ばれていたので、キャラクターもある程度はわかっていた。藤春も2015年7月の東アジアカップのメンバーなので、明るいキャラクターということはわかっていた」

 オーバーエイジは大会直前からしか合流できない。短期間でチームに馴染むためには、人間性も選考基準に含まれる。

「五輪世代がオーバーエイジを受けいれると同時に、オーバーエイジ側にも受けていれてもらえるパーソナリティが必要です。塩谷、藤春、それに興梠はすばらしいパーソナリティの持ち主だった。彼ら3人も仲がよかったから、すぐに馴染んでくれた」

 3人目に選んだFW興梠慎三は、自ら口説き落とした。戦術的にも重要な役割を託すこととなる。

「オーバーエイジはチーム力をアップさせる存在と見られがちだけど、足りない部分を埋めるところがありつつも、五輪世代を輝かせる存在でなければならない。周りの選手の能力を引き出してくれるオーバーエイジとして、興梠には何としても来てほしかった。

 キャプテンだった遠藤航とは浦和レッズで一緒にやっているから、ふたりのつながりをピッチ上で活かせる。航から慎三へ縦パスが通ってそこから攻撃が展開される、といった絵が描けた」

【リオ五輪世代は次々とワールドカップへ】

 現地ブラジル入りして最終調整をしている間も、チームは予期せぬ事態に見舞われる。スイス1部のヤングボーイズに所属する久保裕也が「FWにケガ人が続出した」との理由で合流できなくなってしまうのだ。手倉森監督は興梠と久保の同時起用に伴うオプションを練っていたが、直前で書き換えを迫られたのだった。

 アジア予選突破後は想定外の連続だったチームは、グループステージを1勝1分1敗の3位で終えた。目標としたメダルには届かなかったものの、1996年以降の五輪チームでは最多の7ゴールを奪った。ベスト8入りしたシドニー大会よりも、4強入りしたロンドン大会よりも多くの得点を決めた。

「慎三が南野拓実、浅野拓磨、中島翔哉、矢島慎也といった選手たちを牽引してくれた。ノックアウトステージには勝ち上がれなかったけれど、3位になったナイジェリアから4点取ったのは我々だけで、コロンビアからも2点取った。世界相手に地上戦でしっかり崩せたという自信が、リオ五輪後の日本代表入りにつながっていったと思う」

 2018年のロシアワールドカップには、GK中村航輔、DF植田直通、MF遠藤航、MF大島僚太の4人が選出された。ワールドカップアジア最終予選で貴重な得点を決めたMF井手口陽介とFW浅野拓磨は、バックアップメンバーに選出された。

 2022年のカタールワールドカップにも、リオ五輪世代が5人選出された。遠藤、南野、浅野、伊東純也、鎌田大地である。伊東と鎌田も、手倉森監督のもとでプレーした経験を持つ。彼らは2026年の北中米ワールドカップを目指すチームにも、引き続き招集されている。

「リオ五輪の段階で遠藤や浅野が日本代表に選ばれていたけど、五輪を経て日本代表を目指す選手たちには、代表経験のある選手と一緒にプレーするのは間違いなく刺激になるもの。リオ五輪で求めていた結果は残せなかったけれど、オーバーエイジを加えたチーム編成で、その後につながる試合ができたと思います」

【日本サッカーの財産として受け継がれていく】

 清武が招集外となった事例は、欧州のプレシーズンに選手を招集する難しさを知らしめるものとなった。一度は招集を認められながら直前で合流できなかった久保のケースは、今後も起こり得るものだろう。さらに言えば、オーバーエイジ枠を活用することで主力のケガによる離脱を穴埋めし、短期間でチームを作り直したことも、これからの参考になるはずだ。

 手倉森監督が言う。

「予定どおりにいかなくても、選手たちは柔軟に対応し、ピッチ内でも柔軟に戦ってくれた。それは、彼ら自身の財産であり、彼らが戦い続けることで日本サッカーの財産として、受け継がれていくと思います」


【profile】
手倉森誠(てぐらもり・まこと)
1967年11月14日生まれ、青森県五戸町出身。1986年に五戸高から住友金属に入団。1993年からNEC山形でプレーして1995年に現役引退。2008年にベガルタ仙台の監督に就任して翌年J2優勝を果たす。2012年にはチーム初のACL出場権を獲得。2014年から2016年までリオ五輪世代のアンダー日本代表監督を務め、2018年までA代表コーチも歴任。2019年〜2020年はV・ファーレン長崎監督、2021年は仙台監督。2022年からタイ1部リーグのBGパトゥム・ユナイテッドFCとチョンブリーFCを率いる。ポジション=MF。身長174cm。

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