「プッチンプリン出荷停止」はなぜ起きた? “ベンダーのせい”にできない根深き問題

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2024年07月03日 09:40  ITmedia ビジネスオンライン

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「プッチンプリン」をはじめとする、江崎グリコにおける複数商品の出荷停止は大きく報道された

 近年、大手企業のERP導入失敗事例として注目を集めたのが「プッチンプリン問題」である。


【画像】「お客様およびお取引先様に多大なるご迷惑とご心配を……」江崎グリコが発表した“お知らせ”


 2024年4月、江崎グリコは基幹システムを独SAPのERPパッケージ「SAP S/4HANA」に刷新する切り替えを実施した。ところが、この切り替えをきっかけにシステム障害が発生。乳製品、洋生菓子、果汁、清涼飲料といった「チルド食品」の受発注や出荷業務に影響が出た。その結果、看板商品であるカフェオーレやプッチンプリンなどが出荷できない事態に陥ったのだ。


 多くの人は、この問題の原因をベンダーの能力不足や、企業のIT投資に対する姿勢の問題だと捉えているようだ。しかし、ERPのエキスパートである廣原亜樹氏の話を聞くと、実際はそれほど単純ではないらしい。


 そもそもERPとは何なのだろうか。なぜ企業はERPを導入するのか、そしてなぜ失敗するのか。その根本原因を探るべく、ERPの第一人者である廣原亜樹氏に話を聞いた。


●ERP導入失敗の背景には、根本的な問題がある


 廣原氏は、国産ERPの草分けであるワークスアプリケーションズにて、大手企業向けERPパッケージの開発責任者を長年務めてきた人物だ。現在は、クラウド型ERPを提供するマネーフォワードに転身し、同社のマネーフォワード クラウドのCPO(Chief Product Officer)を務めている。ERPの開発と導入に関して、日本国内で深い知見を持つエキスパートの一人である。


 「ERP導入の失敗は、プロダクトの完成度や企業のIT投資への姿勢だけが原因ではありません。もっと根本的な問題があるのです」と、廣原氏は語る。「日本企業特有の商習慣や文化が、グローバルスタンダードのERPとの間に大きな隔たりを生んでいることが、問題の本質なのです」


●ERPとは何か? 情報共有で企業経営を効率化するシステム


 ERPは、企業内のさまざまな部門で行われている活動を統合し、全体最適化を図ることで経営効率を高めることを目的としている。廣原氏は「会社全体が有機的に動くように活動すれば無駄がなくなり、効率化されて生産性が上がる」と、ERPの効果を述べている。


――そもそもERPとは一体何なのでしょうか。言葉としてはよく聞きますが、いまひとつピンときません。


廣原氏: ERPとは、Enterprise Resource Planningの略で、企業全体の経営資源を有効活用するための概念のことを指します。ERP自体は概念になっていて、それを実現するためのソフトウェアがERPパッケージとかクラウドERPとか呼ばれているものです。


――なるほど。つまり、ERPという概念を実現するためのツールが、ERPパッケージやクラウドERPということですね。ではERPというのは、どんなソフトが含まれているのですか?


廣原氏: 広い意味でERPというのは、企業の業務全般をカバーするものです。具体的には生産管理、販売管理、調達管理、債権債務管理、会計、人事などあらゆる業務を含みます。理想を言えば、1つのソフトウェアでこれら全ての業務を賄えるのがERPです。


――1つのソフトウェアで企業の全ての業務を、というのは理想ですが、現実的には難しいのでしょうか。


廣原氏: そうなんです。現実には、グローバルレベルの大手ベンダーのERPでも、1つのソフトウェアだけで会社の全ての業務を完全にカバーすることは難しいです。ですので、コアとなる業務をメインにカバーしつつ、お客さんが必要な部分を選んで使えるような、ある程度幅広い機能を持ったERPソフトが主流になっています。


――コアになる部分というのは会計ですか?


廣原氏: 会計は確かにコアな部分ではあるんですが、会計だけをERPと呼ぶのは語弊があります。実のところ、グローバルなERPを導入している日本企業の多くは、会計機能しか使っていないケースも多いと思います。でも、本来のERPの考え方からすると、会計だけでは不十分なんですよ。


――となると、会計以外にも、例えば生産管理や販売管理、在庫管理なども含めて使ってこそERPと呼べるということでしょうか。


廣原氏: そういうことですね。会計ソフトというのは、ERPソフトの一部に過ぎません。ERPの本来の目的は、会計も含めた企業活動全体の効率化や可視化を実現することにあります。ただ、このあたりの捉え方は人によって異なるので「うちはSAPを入れているけどERPは入れていない」という人もいれば、「会計ソフトを入れたらERPを入れたことになる」という人もいるんですよ。


●江崎グリコの「プッチンプリン問題」はなぜ起きた?


――最近話題になった江崎グリコの「プッチンプリン問題」は、大企業のERP導入の失敗事例といえるのではないでしょうか。あの問題の原因は何だったのでしょう。


廣原氏: いろいろな意味で、日本企業のERP導入の問題点を象徴する出来事だったと思います。実際の原因は分かりませんが、やはりカスタマイズの弊害が大きかったと思います。日本の大手企業は、グローバル標準のERPを日本の商習慣に合わせるためにERPを大きくカスタマイズして導入することが多いです。


 今回の場合、かなり長期間利用したERPソフトウェア本体をバージョンアップすることに伴い、過去のカスタマイズとの整合性を取りながら開発、導入しなければならず、とても難易度が高かったのではないかと思います。


――企業各社は前バージョンのSAPを20年近く使い続けてきましたが、ついにサポートが終了し、2027年までに最新バージョンへの移行を迫られた。その移行の際に、以前行ったカスタマイズを今回も同じように行おうとしたわけですが、それには大変な作業が発生しますね。


廣原氏: そうなんです。前回カスタマイズをしたのがかなり昔だった場合、当時のカスタマイズ内容を熟知しているエンジニアはほとんど残っていないでしょうし、新しいバージョンのソフトウェアに合わせて、前回と同じ動作をするようにシステム構築するのは相当難易度が高かったと思います。


 しかし日本企業のバックオフィスの現状は、文化や商習慣の違いからERPをカスタマイズせざるを得ない事情があり、標準機能だけでは業務が回らない。どれだけ細心の注意を払っても移行の際にシステム障害が発生してしまうというリスクが発生します。


●日本の大企業が抱える「非効率」な習慣


――そもそも、日本企業はなぜそんなにERPの大規模なカスタマイズを行うのでしょう?


廣原氏: 私はこれを、日本企業のERP導入に共通する問題と捉えています。日本の企業文化や商習慣には、欧米のERPパッケージがそのまま適用しづらい部分が多くあります。例えば、日本特有の「締め請求」という商習慣。これは、月末までの取引をまとめて、その取引量や内容に応じて請求額を決定するというもので、日本以外では存在しない商習慣なのです。こういった日本独自のビジネス要件に対応するために、パッケージをカスタマイズせざるを得ないというのが実情です。


――ERPパッケージをそのまま使うのではなく、自社の業務に合わせてカスタマイズするというのは、日本企業に多いのでしょうか。


廣原氏: 多いと思います。私の経験から言うと、日本でERPを導入している大企業の多くは、何らかの形でカスタマイズしています。本来であれば、日本特有の商習慣であったとしても、ERPパッケージ側がベストプラクティスの1つとして標準機能に取り込んでいくのが普通です。しかし先ほどお話した「締め請求」などは、明らかに非効率でERPの最大の特徴であるリアルタイム性を損なってしまう商習慣のため、なかなか標準機能に取り入れられづらいという背景もあるのではないかと思います。


――となると、日本の企業がERPパッケージを入れても、本来の目的である業務の標準化や効率化は達成できていないということでしょうか。


廣原氏: そういうことになります。パッケージをカスタマイズした瞬間に、ERPの基本コンセプトから外れてしまう。本来は標準機能に業務プロセスを合わせるべきなのに、先述したような事情で日本企業はどうしてもカスタマイズせざるを得ません。しかし、カスタマイズしてしまったことで、ERPのバージョンアップが難しくなるというジレンマがあるわけです。


――グローバル企業の日本子会社とかは、さすがにカスタマイズしないで使ってるんですよね?


廣原氏: いや、実はそうでもありません。グローバル企業の場合、海外の本社はカスタマイズせずにERPを使っていることも多いのですが、肝心の日本の子会社はカスタマイズしているケースもあります。


――でも日本の子会社って、本社の方針に従わないといけないんじゃないんですか?


廣原氏: 日本の文化や商習慣がグローバルスタンダードにフィットしにくいため、ERPをカスタマイズせざるを得ないケースが出てくるんです。そのカスタマイズしたシステムで日々の業務をこなしながら、月末や期末になると、わざわざ標準システムにデータを入れ直して本社に報告するという二度手間をやっているんですよ。


――なぜそんな非効率なことを?


廣原氏: 最終的には、グローバルで連結可能なデータを作らなければならないからです。ただ、日本での業務はカスタマイズをしないと回らない。だから、両方のシステムを並行して使っているという、ある意味非効率な状況が発生しているんです。


――それって、結局ERPを導入した意味がないですよね。


廣原氏: そういうことになります。本来、グローバル企業がERPを導入する大きな目的の一つは、世界中の拠点でシステムを統一して、情報の可視化や経営の効率化を図ることにあります。でも、日本だけが適応できなければ、ERP本来の目的が果たせません。日本の商習慣や企業文化が、グローバルスタンダードとなっているERPの考え方とどうしてもなじまないというのが、根本的な問題なのかもしれません。


●日本企業がERPを成功させるためのポイント


――では日本企業がERPを成功させるためにはどうしたらいいのでしょうか?


廣原氏: 正直言って、日本企業にグローバルスタンダードのERPをそのまま導入するのは、かなり難易度が高いと思います。私も前職のワークスアプリケーションズ時代に相当努力しましたが、やはり限界がありました。


――具体的にはどのような限界があったのでしょう?


廣原氏: 原因の根本は、日本の商習慣である「締め請求」だと思います。これに対応しようと思ったら、ERPを根本から作り変えるしかありません。それは、もはやカスタマイズの域を超えています。結局、日本の商習慣に合わせた「日本版ERP」をイチから作り上げるようなものですから。


――なるほど。そこまでやっても、結局はグローバルスタンダードにはならないと。


廣原氏: そういうことです。だから、今のマネーフォワードのクラウドERPでは、アプローチを少し変えています。全ての日本企業に無理にグローバルスタンダードを押し付けるのではなく、企業の成熟度に応じて分類し、ERPの導入方法を変えていくという戦略ですね。


――成熟度というと、具体的にはどのように分けているのでしょうか?


廣原氏: 大きくは、成長企業と成熟企業の2つに分けています。成長企業というのは、ここ15年ぐらいに設立されたスタートアップ企業です。これらの企業では、サブスクリプションモデルなどグローバル標準の商習慣を取り入れていたり、人事評価制度や給与体系などグローバルスタンダードに近い手法を取っていたりしています。だから、こういう企業だとERPをほぼカスタマイズなしで導入できる可能性が高いのです。


――一方、成熟企業はどうでしょうか。


廣原氏: 成熟企業、つまり歴史ある大企業に関しては、ほぼカスタマイズが前提になります。商習慣や労働慣行の問題があって、ERPの標準プロセスに合わせるのが難しい。すでに構築されている基幹システムについては極力手を加えず、その周辺領域においてクラウドERPの中の一部プロダクトを適用していく、という戦略がベストだと思います。


――つまり、日本企業のERP導入には、一律の方法論はないと。


廣原氏: そういうことです。企業の特性に合わせて、ERPの導入・活用方法を提案していくことが重要です。特に成長企業に関しては、グローバルスタンダードに近い形でのERP導入が可能だと考えています。日本でもそういう企業が増えてきている。そこに、日本のERPの未来があるのかもしれません。


●「ベンダーの能力不足」という単純な問題ではない


 プッチンプリン問題の一連の騒動を振り返ってみると、興味深い事実が浮かび上がってくる。多くの人は、この問題の原因をベンダーの能力不足や、企業のIT投資に対する姿勢の問題だと捉えているようだ。しかし、実際はそれほど単純な話ではない。日本企業特有の商習慣や文化が、グローバルスタンダードのERPとの間に大きな隔たりを生んでいるというのが、問題の本質にある。


 実はこれはERPに限った話ではない。グローバルスタンダードのSaaSの導入も、ベストプラクティスである業務フローを取り入れられるというのが1つのメリットだ。しかし日本の企業文化に合わせようとすれば、どうしてもカスタマイズが必要になり、ベストプラクティスからは離れていってしまう。なかなか難しいジレンマだ。


 日本企業の強みに、現場主導の「カイゼン活動」がある。これは、日本の製造業に世界的な競争力を持たせた源泉だ。しかしそれは同時に、各社のオペレーションがバラバラになることを意味する。これはある意味、ITによる標準化とは相いれない側面があるのかもしれない。


 とはいえ、2027年までに各社はSAPのバージョンアップを控えている以上、同じような問題が今後も頻発するだろう。ITベンダーも企業も、解決策を模索し続けなければならない。


 ITの導入と、日本企業の文化や商習慣の間には、まだ大きなギャップがある。しかし、日本企業がDXを進め、国際競争力を維持するためには、ERPをはじめとするITシステムのカスタマイズとの折り合いをつけていかなければならないだろう。プッチンプリン問題は、その難しさを浮き彫りにしたといえそうだ。


●筆者プロフィール:斎藤健二


 金融・Fintechジャーナリスト。2000年よりWebメディア運営に従事し、アイティメディア社にて複数媒体の創刊編集長を務めたほか、ビジネスメディアやねとらぼなどの創刊に携わる。2023年に独立し、ネット証券やネット銀行、仮想通貨業界などのネット金融のほか、Fintech業界の取材を続けている。


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