佐伯鶴城の150キロ右腕・狩生聖真|夢だったプロ野球、高校で気付いた柔軟の大切さ

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2024年07月06日 17:46  ベースボールキング

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ベースボールキング

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7月6日に開幕する第106回全国高校野球選手権大分大会。好投手が揃ったこの大会で最も注目を集めているのが、日本ハムの栗山英樹CBO(チーフ・ベースボール・オフィサー)も視察に訪れた狩生聖真投手。古豪・佐伯鶴城に現れた逸材はどのような野球ヒストリーを歩み、プロに注目されるまでになったのでしょうか? 狩生投手にお話を聞きました。



■中二で身長が急激に伸びた理由
——野球を始めたきっかけから教えてください。

父と祖父が野球をやっていた影響で始めました。

——チームに入ったのは何年生の時?

小学2年の時に「佐伯スラッガーズ」に入って野球を始めました

——小学校の時のポジションは?

ショートです。

——当時好きだったプロ野球選手はいますか?

ソフトバンクの今宮健太選手です。

——少年野球時代は市内で優勝もしていたそうですが、チームの練習は厳しかったですか?

練習はそこそこ厳しい方だったと思います。佐伯市内の大会では優勝しましたけど県大会ではすぐに負けました。

——現在は身長が185センチと大きいですが、小さい頃から大きかったのでしょうか?

小学生の頃は150センチちょっとくらいで結構小さい方でした。中二の頃から急激に伸びて2年間で20センチ以上大きくなりました。

——お父さん、お母さんはやっぱり大きい?

いえ、そんなに大きくなくて普通だと思います。中学の頃はコロナの自粛期間があってたくさん睡眠をとることができましたし、父が買ってきた栄養系のサプリメントを飲んだりしていたので、そういうことが影響しているかもしれません。

——小中学時代はチームや学校の練習の他に自主練はしていましたか?

家の近くにグラウンドがあったので毎日父と練習していました。

——中学では佐伯市立昭和中の軟式野球部に入部されていますが、硬式野球は考えなかったですか?

硬式は考えませんでした。小学校の時に6年生だけで集まる大会があって、そのときに佐伯市で優勝をしてこのメンバーで中学でも一緒にやりたいと思ったからです。そのメンバーで大分県で優勝して九州大会でもベスト4まで行きました。

——中学の時のポジションと打順は?

ショートで3番を打っていました。ピッチャーは練習試合の2試合目に投げるくらいで本格的に始めたのは高校に入ってからです。

——中学まで内野で高校から本格的にピッチャー転向というのは、渡邉正雄監督の大分商時代の教え子でもある森下暢仁投手(広島)と同じパターンですね。

そうみたいです。入部してすぐに「ピッチャーをやってみろ」と言われて。


■高校で気付いた柔軟の大切さ
——ドラフト候補としてプロからも注目されていますが、小さい頃からプロ野球選手になりたい思いはあったのでしょうか?

ずっとプロ野球選手になりたいと思っていました。でも意識し始めたのは高校に入ってからです。

——もうすぐ高校最後の大会が始まりますが、振り返ってみて小中学生時代にもっとああしておけば良かった、こうしておけば良かったと思うことはありますか?

もっと柔軟をしておけば良かったと最近になって思うようになりました。体が硬いと怪我も多くなりますし、怪我をしてしまうと野球ができない時間が増えてしまうからです。ちょっと肩に違和感があったんですけど最近になって柔軟をしっかりやるようになったら違和感もなくなって。そういうのもあって柔軟は大切だなと思いましたし、(肩甲骨の)可動域が広がったり腕のしなりも出てくると思うので、小中学生の頃からしっかりやっていれば良かったなと思います。

——これを読んでいる野球少年達はもっと柔軟をした方がいいですね。

そう思います。

——自分の一番自信があるボールは?

真っ直ぐです。

——小学校から野球をやってきて、「野球の楽しさ」はどんなところにあると思いますか?

仲間と一緒にやるのが楽しいとうのと、そうですね・・・・・・バットの芯でボールを捉えて外野の間を抜ける打球を打ったりする、あの感触は野球ならではというか、野球でしか味わえない楽しさかなと思います。

——最後に将来の夢、目標を教えてください。

プロ野球選手になって日本を代表する選手になって、WBCで世界一になって、子ども達に夢を与えられる、社会に貢献できる選手になることです。

(聞き手・写真/永松欣也)
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