エイズを「根治」する術と、それに挑んだ男たち(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2024年07月14日 09:00  週プレNEWS

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「ロンドン患者」のエイズ根治に成功したラヴィは、その功績が評価され、2020年、アメリカの雑誌TIMEが選ぶ「今年の100人」にも選ばれた(TIME誌のウェブサイトより)

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第56話

エイズウイルスの発見・同定から40年余り。エイズの「根治」に成功した人は、人類史上わずか6人のみといわれている。後編では、エイズ根治の鍵を握る遺伝子変異について解説する。

* * *

【写真】寿司をほおばるラヴィ

■ブラウン氏のその後

前編では、「人類史上初めてエイズを克服した男」として、「ベルリン患者」ことティモシー・ブラウンを紹介した。その後、「ブラウン氏がエイズを再発しないのか?」については、折々に調査された。しかし結局、ブラウン氏がエイズを再発することはなかった。

「なかった」と過去形で記したのには理由がある。ブラウン氏は2020年9月、コロナ禍の真っただ中に、再発した白血病によって帰らぬ人となった。つまり、エイズは克服できたものの、白血病は克服できなかったのである。

■ふたり目のエイズ根治の例、「ロンドン患者」

ブラウン氏がエイズを再発しなかったことによって、「『CCR5D32』の骨髄移植」が、エイズ根治のひとつの方法として実証されたことになる。

そして2019年、エイズ根治に成功した2例目が、イギリスから報告された。こちらもその治療が施された地名にちなんで、「ロンドン患者(London patient)」と呼ばれた。この治療が施されたのは、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン。そしてそれを主導したのが、なにを隠そう、このコラムにも何度か登場したことがある、ラヴィ(Ravindra Gupta、現在はケンブリッジ大学教授)である(15、17、53話など)。

53話でも少し触れているが、ラヴィとは、アメリカのコールドスプリングハーバーで毎年開催されるエイズウイルスの研究集会で、毎年顔を合わせているうちになんとなく仲良くなった。本当にそれだけをきっかけに、これまでの間、新型コロナについてのいろいろな共同研究を進めている。

ブラウン氏と同じような方法で「ロンドン患者」のエイズ根治に成功したラヴィは、その功績が評価され、2020年、アメリカの雑誌TIMEが選ぶ「今年の100人(The Most Influential People of 2020)」にも選ばれている。

ラヴィは私よりすこし年上で、上述のような素晴らしい功績をもつ科学者である。とてもすごいやつなのだが、それで偉ぶるところがまったくなく、そこがまたすごいなあ、と会うたびに思っている。

■エイズを「根治」した6人

閑話休題して、エイズ根治の話に戻る。

これはエイズの問題点を如実に示す数字であるが、エイズウイルスの発見・同定からこれまでの40年余りの間に、このウイルスに感染したと推定される人の総数は、8000万人とも1億人以上とも推計されている。それに対し、エイズの「根治」に成功した人は、人類史上わずか6人のみである。すでに紹介したベルリンとロンドンの例に続き、デュッセルドルフ、ニューヨーク、シティ・オブ・ホープ、そしてジュネーブから、エイズの根治に成功したとの報告がなされている。そしてその方法は基本的に、最初のブラウン氏に施されたものと同じである。

「6例もあれば、実用的な治療法として役立てられるのではないか?」と思われるかもしれない。しかし、生前のブラウン氏はそれを薦めていない。骨髄移植後の後遺症があまりにひどすぎることと、治療のために莫大な費用が必要なことをその理由に挙げている。

■人為的な遺伝子操作の是非

最後に話は少し反れるが、エイズ根治の鍵を握っている「CCR5D32」という遺伝子変異について解説を加える。

この「CCR5D32」については前編で解説したが、実は白人の約1%が、この「CCR5D32」を持っていると報告されており、この遺伝子変異を持っていても、生きていくのに特に困ることはないと考えられている。CCR5がなければ(つまり、「CCR5D32」という遺伝子変異を持っていれば)、エイズウイルスに感染しなくなることから、この遺伝子変異は、人にとってむしろ「プラス」な変異といえるかもしれない。しかし、この遺伝子変異を持っていると、まったく別の病原ウイルスであるウエストナイルウイルスに感染したときの症状が悪化しやすくなる、という報告もあるので、「プラス」かどうかというところについては、まだ一概には言えないところもある。

そして、科学的、あるいはSFチックな発想としては、「『CCR5D32』が人に無害で、エイズウイルスに感染しないという『プラス』な面があるのなら、そのように遺伝子を人為的に操作してしまえばいい」というものがある。

科学に長けた読者はすでにご存知かと思うが、これは実はすでに夢物語ではない。「クリスパー・キャス(CRISPR/Cas9)」と呼ばれる技術が開発されたことによって、人の遺伝子・ゲノムを人為的に操作することが技術的には可能になっている(この技術の開発者たちには、2020年のノーベル化学賞が授与されている)。

しかし、これはあくまで技術的に、である。「CCR5D32」だけではなく、がん遺伝子を修正してがんを治すなど、「クリスパー・キャス9」の医療的な活用可能性は無限にある。しかし一方で、長生きしたい、美男美女になりたい、賢くなりたい、マッチョになりたい、などなど、遺伝子が決定する人の形質を改変する、という「優生思想」、あるいは「デザイナー・ベイビー」と呼ばれるような人為的操作も、技術的には可能となってしまう。それはいわば「神の領域」であり、生命倫理的に許されることではない、というのが、現在の生命科学のスタンスであると私は理解している。

――しかし2018年、中国のある科学者が、これを実際にやってのけてしまった。この科学者は、エイズウイルスへの抵抗性を与えることを目的として、「クリスパー・キャス9」の技術を応用し、「CCR5D32」の遺伝子操作を加えた人間の受精卵を作成した。そしてその受精卵を女性の子宮に戻すことにより、人為的な遺伝子操作を加えたふたりの女児を誕生させた、と報じられている。

文・写真/佐藤 佳

このニュースに関するつぶやき

  • 新技術には常に裏と表の顔がある。善悪ではない、陰陽みたいなものだ。どちらを伸ばすかは、それに携わる人の心次第。でも、癌にしろ、エイズにしろ、特効薬は1日も早く開発して欲しい。
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