今季引退の元なでしこジャパン・鮫島彩の高校時代の本音「3日に1回は辞めたい!って思ってた」

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2024年07月26日 10:01  webスポルティーバ

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今季引退・鮫島彩インタビュー(1)

 5月25日、古巣INAC神戸レオネッサとの最終節――大宮アルディージャVENTUS・鮫島彩の現役生活が終焉を迎えた。引退セレモニーでは、彼女が語り始めると後ろに並ぶチームメイトは涙を抑えることができなかった。しかし鮫島自身は挨拶から、その後の引退会見を終える最後まで笑顔に満ちていた。

 ドイツワールドカップ優勝、ロンドンオリンピック銀メダル、カナダワールドカップ準優勝と、鮫島の功績は眩いものばかり。けれど、東日本大震災、無所属でのリハビリ......何度もどん底に落ちながら、這い上がってきた。波乱にみちていながらも、時に逃避し、時にぶつかりながら乗り越えてきた。そんなサッカーキャリアを鮫島本人とともに振り返ってみることにしよう。

【耐える力がついた高校時代】

――もともと絶対にサッカー選手になる! というタイプではなかったと聞いていますが、高校を寮生活となる常盤木学園へ決めたということは、この頃には多少サッカーへの道を意識していたんですか?

 いえいえ(笑)、普通の高校受験をするつもりで夏期講習にも通っていました。でも同じチームからふたり常盤木に行くことが決まったんです。その時に「え? みんな行くの?」って思って、じゃ自分も高校でサッカーをやりきろうと、そのふたりに引っ張ってもらった感じです。その先を見て、常盤木を選んだわけじゃなかったんです。ただ高校3年間をサッカーに費やす覚悟がないと常盤木進学は決められないので、その覚悟は持っていましたね。

――そのストイックな高校3年間で得たものとは?

 タフさ! 本当にサッカー漬けだったんですよね。寮生活で、テレビもサッカーしか見ちゃダメだったし、朝練もあって、夜も帰ってきたら22時半とか。走り込みもすごくて......タフさっていうか、耐える力がそこですごくついた気がします。

――寮からバスでグラウンドに行って、学校に行って......常に団体行動でひとりになる時間があまりないと、爆発したりしないんですか?

 します! します! というか、3日に1回は辞めたい!って思ってました(笑)。どんなに苦しくても、周りがみんな同じ境遇だから耐えることができたのかも。11人しか試合に出られなくて、でも全国からサッカーができる選手たちが集まって来る。仲間であり、ライバルであり......。

【大きかった安藤梢の存在】

――鮫島さんはいつも周りにとてもいいお手本がありましたよね。地元では安藤梢選手(三菱重工浦和レッズレディース)がいて、彼女が活躍する姿に影響を受けたそうですね。

 梢ちゃんの存在は大きかったです。彼女は16歳でもう代表に入っていて、同じチームから出た先輩で......。がんばったらあそこに行けるんだって思っちゃいますよね。夢を見れちゃってました(笑)。

 彼女は別格です。頭も良くて県内でもトップクラスの高校に行ってましたから。ただ、高校でも感じましたけど、自分は引っ張っていくよりも周りに引っ張ってもらうタイプ。だから、もう本当に頑張ってこられたのはご縁だな......ってつくづく思います。

――鮫島さんはユース時代もすごく濃い経験をたくさんされていますよね。U-19女子代表はすごいメンバーでした。

 当時の自分はサイドハーフだったんですけど、トップは永ちゃん(永里優季)、中盤には(阪口)夢穂、原(菜摘子)ちゃん、サイドハーフに私、(宇津木)瑠美、有吉佐織。後ろはイワシさん(岩清水梓)、(田中)明日菜がいて......なかなかのメンバーですね(笑)。

――ただ、最終成績は......?

 アジア予選敗退! なんで? 絶対にワールドカップ(U-20女子W杯2006)に行けたのに(笑)!

――当時は不思議でした。そのメンバーで押せ押せの展開だったのに、世界に行けないという経験をこの年代でするという。

 グループリーグで北朝鮮を破っていたんですけど、自分たちは決勝トーナメントで中国に負けて、北朝鮮がワールドカップに行った。アジアの壁は高かったけど、「でも行けたよね?」「なんで逃した?」っていう不思議な感覚でした。"世界"におあずけを食らって、ワールドカップに触れられなかったことで、"世界"に対する想いは強くなったと思います。当時からなでしこジャパンに入っていたメンバーもいましたから。

【雰囲気がわかっていたからマリーゼ入りを決めた】

――実際に、この世代の仲間たちが、その後の鮫島さんのサッカー人生に深く関わってくることになります。しかし、それぞれにキャラが立っていましたね。

 この時はみんな一番ツンツンしてる年頃じゃないですか。特に私は高校サッカー上がりだし、クラブチーム育ちのメンバーはすでにリーグで活躍してるんですよ。そういう場所で戦って上に上がって行くんだ! っていう気持ちをみんな持ってましたね。

――でも、すぐに東京電力女子サッカー部マリーゼに入って、そうしたメンバーと同じ舞台に立ちますよね。

 いや、マリーゼはほんわかしたチームだったから(笑)。常盤木の時にマリーゼの前身のYKK AP 東北女子サッカー部フラッパーズのお姉さん方と一緒にやらせてもらって、雰囲気がわかっていたからマリーゼに決めたんです。
(つづく)

(2)鮫島彩が2011年ワールドカップ優勝のなでしこジャパンの試合中に思ったこと>>

鮫島 彩 
さめしま・あや/1987年6月16日生まれ。栃木県出身。常盤木学園高校から2006年に東京電力女子サッカー部マリーゼ入り。2011年からはボストン・ブレイカーズ(アメリカ)、モンペリエHSC(フランス)でプレーし、2012年に日本に戻ってベカルタ仙台レディースに入ると、INAC神戸レオネッサ、大宮アルディージャVENTUSとチームを変えて長くプレーを続け、2023−24シーズンをもって引退した。2008年よりなでしこジャパンに選ばれ、優勝した2011年を含め、女子W杯に3度出場。

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