【写真】元船員の大矢秀二さんから戦争体験を聞く綾瀬はるか
太平洋戦争につながった、米国などによる日本への石油禁輸。日本は資源を求めてさらに南方に戦線を拡大した。そこで必要になったのが石油などの資源や軍事物資、兵士を運ぶ船だった。民間の船が徴用され、船とともに多くの民間人も船員として戦地へと駆り出された。そのなかには少年も含まれていた。しかし、十分な護衛もなく、丸腰で危険な海域を航行した「徴用船」は待ち構える敵の攻撃を受け、次々と海に沈んでゆく。7240隻の徴用船が沈没し、6万人以上の民間人が命を落としたとされる。
80年前、米軍の魚雷攻撃を受け、九死に一生を得た元船員の大矢秀二さん(94)を綾瀬はるかが訪ねた。
「みんなが戦争に行くのが当たり前」。大矢さんは当時14歳だった。希望がかなって船員となり、晴れがましい気持ちで船出したとき、まさか自分たちの船が攻撃されるとは思わなかったという。80年たった今も、決して忘れられない壮絶な体験を語る。当時の出発地、東京・豊洲を綾瀬とともに訪れた大矢さんは、子どもたちの声が響く平和な風景に何を思うのか。
綾瀬は「戦時下の日本で6万人以上といわれる民間人が犠牲となった徴用船について取材しました。連日のように被害について報じられている今も、戦争は多くの民間人の命を奪っています。戦争を経験された方の証言、平和の尊さを聞いてください」とメッセージを寄せた。
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