間もなく80歳になる「要支援2」の母
「同居している母がもうすぐ80歳になるのですが、要支援2なんです。身の回りのことはできるけど、最近、日によっては調子が悪いことも増えてきた。まだヘルパーさんには来てもらえないし、うちは共働き。急に病院に連れていかなければならないときなど本当に大変です。夫が出張、私が重要な商談で出かけてしまうと、どうしても中学生のひとり息子に負担がかかる。ケアマネにも相談していますが、介護認定の等級が上げられるかどうかはわからないみたいで」
ヨウコさん(45歳)は顔を曇らせた。
介護保険サービスは、要支援1、2と要介護1〜5ではサービスの適用範囲が異なる。「支援」の場合、できるのはせいぜい家の中に手すりをつけたりデイケアサービスを週に2回ほど使えるくらい。まだ「介護」状態ではないからだ。
要介護となっても、家族が同居している場合、基本的に家事は助けてもらえない。夜まで母がひとりで過ごさなければならないときは息子が調理をしたり後片付けをしたりしてくれるが、それが心苦しいとヨウコさんは感じている。
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「母の態度」が私をイライラさせる
しかも問題なのは、母の態度だと彼女は言う。4年前まではひとり暮らしをしていたのだが、さすがにひとりにはしておけないと同居したのに、「感謝が足りない」とヨウコさんは言う。「私にはいいですよ、娘だから。でも夫や息子が何かしてくれたら、ありがとうくらい言ってもいいはず。何度か検査したけど認知症ではないし、普通に会話もできる。もともとそういう人だったのか、今となってはわからないけれど、とにかく『何でも人がやってくれて当然』という感じなんです。それがどうしても、私をイライラさせる」
高齢なのだからと自分を落ち着かせるが、「私は少量でいろいろなおかずを食べたい」「これしかないの?」と言われると、忙しい中、帰宅して休む間もなく食事の支度をしなければならない苛立ちもあいまって、母に「うるさい」と叫びたくもなるという。
「生きているだけでいい」とは思うけど
平常心に戻ると、「生きているだけでいい」と思うこともあるが、日々、なにもせずにぼんやりしている母を見ると、幸せなのかと問いたくなるとヨウコさんは言う。「デイサービスの様子をこっそり見に行ったことがあるんですが、母は変にプライドが高いところがあるので、みんなと交わろうとしないんですよ。帰宅して楽しかったかと聞くと、『別に楽しくて行ってるわけじゃないし』って。
ゲームとか体操とかやっているんですが、スタッフさんに聞いても、確かにあまり楽しそうじゃないと。みんなで世間話をしていてもあまり参加しないようです」
誰か友だちできたの? と聞いても「みんなボケていて話にならない」と悪口をまくしたてる。スタッフに尋ねると、母以外は和気藹々(あいあい)とやっていると言う。
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「いい年のとり方」とは?
「母を見ていると、どうしたらいい年のとり方ができるのかが見えてくる気がします。人と一緒に楽しむこと、他人を下に見ないこと、足腰を鍛えること、自分のことは自分でやろうと努力すること、年をとってできないことが出てきたら工夫をすること。そして周りに感謝すること。感謝という大げさなことでなくてもいい、ありがとうと一言いってニッコリすれば周りは動いてくれるものなんですよね」
とはいえ、母に今さらそれを強要することもできない。大学入学以来、母と同居することもなかったヨウコさんは、「親子といってもわかりあえないことのほうが多い」と嘆く。
「介護保険とは別に、有料サービスをしてくれる事業所もあるようなので、今後はそういうところを探してみようと思います。『なんでこんなに長生きしてしまったんだろう』とつぶやく母に、何が必要なのか、どうしたら少しでも生きていてよかったと思ってもらえるのか、考えたいとは思っているんです。
でも実際に居丈高な母を見ると、イラッとしちゃうんですよね。人間、できていませんから」
ヨウコさんにも疲労の色が見える。共倒れにならないよう、そして息子に負担がかからないよう、少しずつ考え方を変えていく必要があるのかもしれない。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
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