長州力から「お前にトップ記事をやるよ」元東スポの柴田惣一が語るレスラーの結婚スクープ裏話

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2024年08月29日 17:10  webスポルティーバ

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プロレス解説者 柴田惣一の「プロレスタイムリープ」(4)

(連載3:猪木のひと言で柴田惣一は「千のネクタイを持つ男」に 棚橋弘至との縁も>>)

 1982年に東京スポーツ新聞社(東スポ)に入社後、40年以上にわたってプロレス取材を続けている柴田惣一氏。テレビ朝日のプロレス中継番組『ワールドプロレスリング』では全国のプロレスファンに向けて、取材力を駆使したレスラー情報を発信した。

 そんな柴田氏が、選りすぐりのプロレスエピソードを披露。連載の第4回は、さまざまなプロレスラーの結婚をスクープしてきた柴田氏に、その裏側を聞いた。

【長州から「健介と北斗が結婚するから書け」】

――これまでの記事でも伺ってきましたが、やっぱり猪木さんに関するエピソードはたくさんありますね。

柴田:猪木さん自身のエピソードも面白いですけど、周りの人にも影響を与えて人生を変えていますよね。佐々木健介&北斗晶夫妻もそう。あのふたりに愛が生まれたきっかけも、僕も取材に同行した、1995年4月に北朝鮮の平壌で開催された猪木さん主催のイベント、「スポーツと平和の祭典」でした。

――あのイベントでは新日本だけでなく、全日本女子プロレスの試合も行なわれました。

柴田:当時、男性レスラーと女性レスラーが同じリングに立つことは普通ではなかったですけどね。イベントのフィナーレで、出場した選手、関係者、市民のみなさんが平壌の広場に集まったんです。そこで健介と北斗が楽しそうにフォークダンスを踊っていたんですよ。僕はそれを見て、「このふたり、何かおかしい......」とピンきました。ふたりとも情熱的ですから、"恋の炎"を隠しきれなかったんでしょう。

 平壌入りする際、名古屋空港からの特別便が出たんですが、ふたりは名古屋駅から空港に行く貸し切りバスのなかで、初めてちゃんと会話をしたらしいです。北斗は「新聞でも雑誌でも自分の記事しか読まないから、ほかのレスラー、まして男子レスラーのことはほとんど知らない」と言っていましたが、すでにそこで波長が合っていたんじゃないですかね。

――イベントの打ち上げで健介さんがひと目ぼれした、という話もありますが、最初から急接近していたんですね。

柴田:そのイベントのあとも、ほかの選手や関係者に探りも入れて、ふたりの様子には注目していました。男女トップレスラーの恋愛ですから、そりゃあ記事にしたかったですよ。ほかに先を越されたら始末書ものですし。

 ただ、東京スポーツと新日本プロレスの関係上、"書き逃げ"はできない。記事にするべきかどうか悩んでいたら、長州力さんが「柴田、お前にトップ記事やるよ。今度、健介と北斗が結婚するから書け!」と背中を押してくれたんです。

 その頃、長州さんはみんなの前で「柴田、プロレス媒体は東スポだけあればいいよな!」と、本気なのか冗談なのかわからないことをよく言っていたんです。コソッと話してくれればいいのに、ほかのメディアがいるところでもそんなことを言ってくるので......。それが、健介と北斗の結婚スクープの後押しにつながったのかもしれませんが、どう返事していいか困ったこともありましたね(笑)。

――"革命戦士"としてリング上で闘う姿しか知らない身からすると、当時の長州さんにそういった一面があったのは意外です。

柴田:基本はシビアな話しかしませんでした。「今年のG1は誰が調子よさそうだ?」とか、ほとんどがプロレスの話題。だから、ふたりの結婚のことを長州さんから聞いたのは驚きましたけど、嬉しかったですね。

――その柴田さんがスクープした記事を、北斗さんは駅の売店で発見。当時、健介さんとの結婚を全女に話していなかったため、数日"雲隠れ"したそうですね。

柴田:売店に新聞がうず高く積まれるのを「タケノコ」と言うんですが、買わなくても見出しの一部が見えるようになっていますよね。北斗はそれを見たんでしょうけど、全女に話していなかったとは......。ちょっと悪いことをしたな。でも、あの記事がきっかけで結婚の話が一気に進んだと思うんですが......違うかもしれませんね(苦笑)。今はお孫さんも誕生したし、まさに"おしどり夫婦"。ふたりを見るたびに、こちらもハッピーになれますよ。

【高田延彦、向井亜紀の結婚もスクープ】

――先月、高田延彦さんが心臓手術をしたことをインスタグラムで報告しました。そういえば、高田さんと向井亜紀さんの結婚のスクープ記事を書いたのも柴田さんですね。

柴田:そうです。ふたりのことは結婚前から噂になっていましたね。当時、向井さんは大手芸能事務所に所属していました。結婚が決まった時、記事を高田サイドと向井サイドのどちらから出すのか、いろいろとあったようですよ。最後は男のなかの男として、高田側が出すことになった。それで僕に相談がきて、記事を担当することになったんです。ただ、ツーショット写真は撮らせてくれませんでした。「結婚前はダメだ」と(苦笑)。

――今はSNSなどで発表することも多いですが、当時は有名人同士の結婚発表は難しかったんですね。

柴田:とくに芸能人の結婚の記事は難しかったです。この件に関しては、東スポで記事を出すことを高田から聞いた向井さんが、事務所を説得してくれたんじゃないかな。

 高田は1981年デビューで、僕が東スポに入社したのが1982年。身体能力が高くてカッコよくてガッツもある。早くから将来を期待されていたし、僕も「スター候補生とは彼のことか」と思いましたよ。ファンの人たちからも「ノブちゃん」と呼ばれて人気があったし、素直で一生懸命なところも好印象で、みんなにかわいがられていましたね。ある先輩レスラーの娘さんは、「大きくなったらノブちゃんのお嫁さんになる」と言っていました。

 彼がプロレスを離れてからは疎遠になってしまいましたけど、たまたま格闘技イベントの記者会見の会場で顔を合わせたことがあって。新日本時代に、猪木さんの付き人をしていた頃のままでしたね。お互い、若い頃の気持ちに戻りますよ。

――柴田さんはUWFの取材も担当していたのですか?

柴田:僕は第1次UWFも担当していて、彼らが一番苦しかった時代を追っかけていました。だから選手同士ではないですが、同じ時代をともに過ごした"同志"のように感じるんです。

――連載の第1回でお聞きしましたが、三沢光晴さんの結婚をスクープしたのも柴田さんでしたね。

柴田:あの時も、周囲の人たちがチラチラ情報をくれたんです。僕は普段から会場に一番乗りして、あらゆる人とコミュニケーションを取ってましたから。今は亡き仲田龍リングアナから、「柴田クンは『何か面白いことない?』が口グセだよね」と苦笑いされたことがありましたが、いつも"単独取材"を心がけていました。

 長州さんに「お前、うざいな、コラ!」と怒られたことも、1度や2度じゃありませんでしたよ。そういえば馬場さんにも、僕の結婚式に出席いただいた時、「柴田クンは『アッチ行け』と言っても、ニコニコして離れないんだ」という祝辞をいただきました。ほかには出ていない話を聞くためには、とにかく取材対象者のそばにいなくちゃいけないし、時には嫌な顔をされるのも覚悟の上です。

――精神的なタフさが必要ですね。

柴田:とにかく、諦めず食い下がる姿勢が大事。でも、踏み込みすぎたかなと思ったら少し下がる。そして、そこで止まらずにまた進む。そうすれば、歩みは遅くても着実に一歩ずつでも進んでいけます。

 何度も顔を合わせ、プロレスに関係ない世間話もしていけば、親近感も湧いてきますよね。そこからスクープにつながることも多かった。言ってみれば「仕事の付き合い」ですけど、僕はレスラーとマスコミというだけでなく、人と人として付き合ってきたつもりです。人間関係は難しく、一番大事なことでもあります。みなさんも熱意をもってアタックすれば、必ず相手はそれに応えてくれる。とくに猪木さんはそうでしたね。

(連載5:『極悪女王』で話題の全日本女子プロレスはすべてが「規格外」だった 人気とその裏側>>)

【プロフィール】

柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

このニュースに関するつぶやき

  • おはようございます。こうやって飴と鞭でマスコミを支配するやり方は好きじゃないけど、文春みたいにある事ない事混ぜて陥れるのも嫌だな。大人って汚いね〜。
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