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2015年9月に埼玉県熊谷市で住民6人が相次いで殺害された熊谷6人殺害事件から今年で9年が経つ。家族全員を奪われた男性は加害者に極刑を望んだものの、無期懲役が確定。警察の対応に問題があったのではないか。そんな強い疑念から起こした国家賠償訴訟も1審、2審ともに退けられ、日本の司法に失望させられてきたという。「これが最後になる」。今、最後の望みをかけた最高裁の判断を待つ。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
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<平成二十七年九月十六日>
事件が発生した後も暮らし続けている自宅の仏壇には、同じ日付が刻まれた3つの位牌が並ぶ。
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熊谷市の加藤裕希(ゆうき)さん(51)は、熊谷6人殺害事件で妻・美和子さん(当時41歳)、長女・美咲さん(同10歳)、次女・春花さん(同7歳)の家族3人を一度に失った。
加藤さんはこの9年間、1日1日をなんとか生き延びてきた。
「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。事件のことをあまり考えないように頭から事件のことが離れた方が生きやすい。一方で、事件と距離を置くことに罪悪感みたいなものがあります。私は全部を失って生きる希望がありません」
事件を起こしたのは、ペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン受刑者(当時30歳)。さいたま地裁の裁判員裁判は2018年に死刑の判決を下したが、2審の東京地裁が2019年に無期懲役とし、そのまま確定した。
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「司法を恨むというか、もう悔しくて一生頭から離れることがありません」
1審の死刑判決を覆された刑事裁判だけでなく、加藤さんは民事裁判でも打ちのめされることになる。
ジョナタン受刑者は加藤さん家族を殺害する3日前の2015年9月13日、任意の事情聴取を受けていた熊谷警察署から逃げ出していた。
翌9月14日に熊谷市内に住む夫婦2人を殺害し、さらに2日後の9月16日に84歳の女性を殺害した後、加藤さん宅に侵入し、妻と娘2人の命を奪ったのだった。
ジョナタン受刑者が警察署から逃げ出した後、近くで住居侵入の通報が寄せられるなどしており、埼玉県警は9月14日に夫婦が殺害された事件の参考人としてジョナタン受刑者を全国に手配していた。一方で、加藤さん家族が巻き込まれるまで、ジョナタン受刑者が逃走していたことを広報しなかった。
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加藤さんは葬儀を終えた後になって初めてその事実を知った。驚きに加えて、怒りの感情が湧き上がった。
<警察は地域住民に対し、もっと効率的な注意喚起をなぜ行ってくれなかったのか。せめて「こういう人物が逃げている可能性がある」とお伝えしていただければ、私の家族も対応のしようがあったと思います>
そうした疑念を拭えず、埼玉県警の対応に問題がなかったかを問うために国家賠償請求訴訟を起こした。
疑問を抱いたのは加藤さんだけではなかった。事件現場周辺の住民らを中心に広がった署名活動では約4万筆が集まり、事件の検証を求める要望書が埼玉県知事に提出された。
しかし、残されたわずかな期待も裏切られている。
さいたま地裁は2022年4月、事件が起きる前日の正午時点で「埼玉県警は原告が主張する内容と方法による情報提供を行うべき法的義務を負っていたと認めることはできない」などとして加藤さんの訴えを棄却。東京高裁も2023年6月、原告の控訴を退けた。
「ひょっとしたら埼玉県警の内部に、今回の対応に疑問を感じていた捜査員もいたのではないでしょうか。それが組織になると不備や違法性は認めませんが、当時の対応を後悔し、声を上げられなかった捜査員はいたはずです」
加藤さんは裁判でそう訴えたが、警察組織の中から対応の誤りを告白する声は今も出てこない。
妹の春花さんはやんちゃな性格、姉の美咲さんは思いやりのある子だった。妻の美和子さんは何でも器用にこなす芯のある女性だった。
そんな愛する家族はこの世にもういない。なのに全てを奪った加害者はなぜか今も生きている。
「本当に悔しくて飲み込んで生きていくのがつらい。死刑になったとしても救われません。ただ、加害者が今生きていることに比べれば少しは救いになるかもしれません。本当はこの手で殺してやりたい」
加藤さんは上告しており、現在、最高裁の判断を待っている状態だ。最高裁では一度も弁論が開かれないまま上告が棄却されることも多い。
「これが最後になると思います。今は裁判がまた開かれるのを待つしかありません」
国家賠償請求訴訟の控訴審で、加藤さんは最後にこう訴えている。
「これ以上、遺族を見捨てないでください」
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