限定公開( 21 )
「須麻流のことはすごく好きですね。ずっと共にいると思っていたので、最期まで一緒でよかったです」(NHK大河ドラマ『光る君へ』公式サイト)。『光る君へ』で安倍晴明を演じたユースケ・サンタマリア(53)は相棒をそう評した。その須麻流を演じていたのがダンサーで俳優のDAIKI(30、本名・西村大樹)だ。
身長128cm。俳優初挑戦だったが、ミステリアスな佇まいは“安倍晴明にしか見えていない式神”説が出るほど際立っていた。
NHK制作統括の内田ゆきさんが語る。
「明るく積極的な雰囲気が須麻流役に望ましいものでユースケ・サンタマリアさんとのコンビもしっくりくると予想できました。ダンスのキャリアから自分を表現したいという思いが強く、さらにスキルもお持ちであることを実感しました」
DAIKI自身もこう振り返る。
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「須麻流は、歴史の本にも載っていないオリジナルのキャラクターで、安倍晴明の従者でありながら友人という役柄。監督からも『DAIKIさんなりの須麻流を見つけてください』と言われ、探り探りしながら。でも撮影現場が温かい空気に包まれていて、ユースケさんともたわいもない話をしながら肩の力を抜いて演じることができました」
国民的なドラマに出演したことで街を歩いていても大きな変化があったという。
「この見た目で目立つからというのもあるけど声をかけられることは圧倒的に増えました。うれしかったのは公園にいる子どもたちに『須麻流だ』と言われたとき。大河ドラマは大人が見るイメージがあったのでビックリ。子どもは見た目で覚えることが多いから、印象に残っていたんでしょうね」
DAIKIと同じ病気の息子を持ち、骨系統疾患患者支援団体Glory To Achondroplasiaの代表理事を務める糸岡栄博さんが語る。
「視線が怖くて外に出るのがはばかられることもある当事者やその家族にとって、彼が大河ドラマに出て活躍する姿は“希望の提示”。DAIKIは私たちを知らない世界に誘ってくれる存在です」
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須麻流という名は、六連星ともいわれる星団「昴」からきている。大河ドラマに出演したDAIKIは、夜空に輝く昴のように、多くの人たちの希望の星となった。
■真っ暗な部屋の中で沈む日々「自分の手足を切ってつなげられたら」
1994年6月20日、神奈川県生まれ。3歳上に姉、7歳下に妹がいる。DAIKIを出産したばかりの母、西村ひろ江さん(57)は、退院する際、医師からこう告げられた。
「ちょっと何かあるかもしれないから大きな病院を紹介しましょう」
ひろ江さんが当時を振り返る。
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「とにかくミルクをよく飲むし、よく寝る。生まれたときから3千600gで大きい、大きい。だから、正直驚きました。その後、大学病院で、低身長で四肢短縮、大きい頭など病気の特徴が書かれた紙を渡され、病名を告げられました。あまりにも面食らっちゃって、断片的にしか覚えていませんが。それで先生に『治る病気ですか?』と聞いたのですが、希望が持てるような返事はもらえなくて」
DAIKIの病名は軟骨無形成症。低身長症の原因となる病気のなかでも代表的なもので、2万人に1人といわれる難病。遺伝子の突然変異によっておこる先天性の疾患だ。知能や寿命に影響はないが、骨の成長にかかわる軟骨の異常により、成長しても身長は120?130cm。手足が短く、相対的に頭が大きいなどの特徴がある。
ひろ江さんは、なかなか前を向くことができなかったという。
「不安しかありませんでした。大樹が6カ月になるまでは、夕方になっても電気をつけずに真っ暗な部屋でボーっと過ごすような日々。自分の手足を切ってつなげてあげられたらというような訳のわからないことまで考えていましたし。でも、あるときに3つ上のお姉ちゃんが私の大好きなブルーベリーガムを持ってきて『ママ元気出して、これあげるから』と言われたんです。それでハッとして、こうしてはいられないと」
元来明るく、人生は好きなことをやるべきという信条のひろ江さんは変わった。
「大樹はよく笑う子で物おじしない。だったら外に連れ出そうと思ったんです。気道を広げる手術をしていたし、細気管支炎がひどくなって入院したこともあったので、うちの子の場合、どこにいても吸引器を使ってたんを吸ってあげないといけなかった。それでも公園で普通に遊ばせたい、砂場で砂だらけになって遊んでほしいと思っていました」
DAIKIが2〜3歳のとき、ひろ江さんは医師に「3段ある階段を跳びたい、と言ったらどうします?」と尋ねられ、彼女は即答した。
「すみません、やらせますと。親の私が守るだけだったら、この子はだめになると思ったんです。せっかくこの世に生まれた命。一人の人間として、やりたいことをやらせて後悔しない人生を送らせてあげたい。だから出かけるときは『なんかいいこと見つけて帰ってくるんだよ』と送り出していました。友達がマウンテンバイクを乗り回しているなか、大樹はキックボードで追いかけていました」
身体的特徴から好奇の視線にさらされたり、心ない言葉を投げられたりすることもあった。
「大樹が3歳のときだったかな。お姉ちゃんと3人でスーパーに買い物に行ったときです。『あの子見て、すごいね』って。年配の女性ですよ。それで頭にきちゃって、彼女たちのところに行って『うちの子に何か?』って」
小学校に上がると、いじめられないかと心配になったが──。
「『休み時間になるとお姉ちゃんが心配で自分の教室から下りてきて、また戻るを繰り返す。それを見ると本当に涙が出てきますよ』と大樹の担任の先生に言われたことがあります。それに同級生の子たちも大樹のことをすごくかわいがってくれました。負けず嫌いだから、運動会のときは『なんで自分は速く走れないんだ』と荒れていましたが、6年間普通の子たちと一緒にやり遂げたんです」
ただし、勉強は苦手だった。
「テストはいつも0点ばっかり。でも怒ったりせず、『次は1点でも取れたらいいね』と話していました。伸び代しかありませんからね」
とても真面目な少年とは言えなかったDAIKIだが、中学3年生になると意外なことを言いだした。
「『俺、塾行きたい』と。近所にちょっと自由な塾があったので行かせてみましたが、学力があまりに低いから『星の王子さま』を渡されて『これを読めるようにしないとダメだ』と言われたようです。中学校の先生に相談して、小学校4年生の学力からでもやり直してくれる高校が見つかって、そこに通わせることに。それから、恐ろしいほど変わっていきました」
もがき続けていた中学時代に見つけた「教師になる夢」と「ダンスの楽しさ」がDAIKIの人生を大きく変えていったのだ。
【後編】「踊れても、あと5年」身長128cmのダンサーDAIKIが大河ドラマ出演に至った道へ続く
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