日本女性として初めて、さまざまな道を切り開いた人物をクローズアップする不定期連載。第4回は300年以上男性しかいなかった落語界に飛び込み、修業に勤しみながら6人の子どもを育て上げた露の都さんの波瀾万丈な人生について聞いた。
「女には無理だ、帰りなさい」
「女性の落語家っているのかなって調べたら、いなかったんですよね。いないなら、私がやろうと思ったんです」
そう話すのは、落語家の露の都さん(68)。日本女性で初めて落語家になり、今年で芸歴50年を迎える。
高校時代にテレビで見た笑福亭仁鶴さんがこの道に入るきっかけに。卒業後の進路に悩んでいたときだった。
「落語ってこんなに人を笑わせるものなんだ、私もああなりたいって思って。でもどうやったら落語家になれるのかなんて、わからないじゃないですか」
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テレビの素人名人会に出場し、見事、本選出場を果たす。審査員を務めていたのが、後に師匠となる二代目露の五郎兵衛さんだった。
「露の五郎兵衛のことは知らなかったけど、だからといって落語家は他に知らないし、じゃぁこのおっちゃんにしとこうと(笑)」
番組終了後、その足で「弟子にしてくれ」と押しかけた。とはいえ落語は300年以上にわたり男性が演じてきた伝統芸能で、女性落語家など前例がない。
「女には無理だ、帰りなさいと言われました。でも私の中では落語家になるって決めてたから、どんなに断られても何ともなかったよね」
家計を助けるため、高校の授業料をアルバイトで稼いでいた露の都さん。平日は授業が終わるとバイト先へ直行し、週末がくると露の五郎兵衛さんのもとへ通っては、楽屋の隅で裏方の仕事を目で覚えていった。
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「あるとき“おまえ、着物畳めるか?”って師匠に言われて。やったことはなかったけれど、ずっと見てたから、ぱぱっと畳めたんです」
目はしのききと粘り強さは人一倍。弟子志願者は他にもいたが、露の都さんの弟子入りが決定する。
「師匠が本屋さんに連れていってくれて、落語事典を買ってくださったんです。もうボロボロになってしまったけれど、今も私の宝物です」
「女がしゃべるなんて気持ち悪い」
高校の卒業式が終わると、荷物をまとめて師匠の家へ内弟子として入った。1974年3月3日、日本初の女性落語家の誕生である。
内弟子生活は3年間。師匠の自宅に住み込み、師匠の身のまわりの世話はもちろん、家族の食事に洗濯、掃除と家事のすべてをこなす。稽古は口伝で、厳しく仕込まれた。
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「大変でしたね。次から次へとやることがあって、ボケッとしてたらすぐ怒られる。師匠に仕込んでいただいたので、私も自分の弟子はしっかり厳しくしつけます。よく“都さんのお弟子さんはきっちりしてる”と言われるけれど、それは師匠のおかげだと思います」
晴れて高座に上がっても、風当たりは強かった。落語家たちには「女のくせに」と煙たがられ、お客には「女がしゃべるなんて気持ち悪い」と言われてしまう。
しかしそこは持ち前のたくましさで、「女だからと言われてもどうもできない。だからもうあんまり気にならなかったよね」と豪快に笑い飛ばす。
同時に、自身の中にも葛藤はあった。落語はもともと男性がしゃべるよう書かれた話で、女性が話すとどうも落ち着かないものがある。
「最初のころは男性がやる落語を同じように話していたので、やはりしんどかったです。だけどあるとき女性が主役になる落語を試してみたら、しっくりきて。新聞記者の方に、『やっと都さんに合うネタと出会いましたね』と言っていただき、そうか、こういうネタを選んでいけばいいんだと気づきました。
それが『悋気の独楽』という、妻がやきもちを焼く話。それからは女性がたくさん登場する落語を選ぶようになりました」
女性を自然体で演じられるのは女性落語家ならではの強み。古典落語で書かれた女性像も、違和感があれば手を加えていった。反面、男性を演じるのはやはり難しい。
「うちの師匠に、『女が演じる男は宝塚ちゃうか。おまえ、いっぺん宝塚を見てみろや』と言われて。最初は“えーっ”て思ったんですけどね」
初めて見たビデオでその魅力の虜になる。たちまち宝塚にハマっていった。
「元宝塚トップスター・剣幸さんの舞台で、もう衝撃でした。バウホールに行っては、宝塚を見まくりましたね。おかげで『都さんの登場人物は男前だ』って言われます(笑)」
落語と子育ての両立は「修業よりもしんどかった」
女性初の険しい道を果敢に切り開いてきた露の都さん。私生活もまた波瀾万丈だ。25歳で結婚し、2人の子どもに恵まれるも離婚。
39歳のときに4児の父である会社員の男性と再婚し、実子と合わせて6人の子どもたちを育てている。落語と家庭の両立は苦労もあったのでは?
「やっぱりものすごく大変でした。落語の修業よりもしんどかったです。でもやらなければしょうがない。両立なんて、そんないい言葉ではなかった。もう必死ですよね」
子どもたちを分け隔てなく育てようと心を尽くした。ただ時には、思いが空回りすることもあったと話す。
「例えば、お造りを晩ごはんのおかずにしたときのこと。他の子たちはマグロと白身にしたけれど、実の娘はマグロしか食べられなかったからマグロだけにしたら、『なんであの子だけ』と言われたり。そんな日常の繰り返しで、子どもたちに教えられ、少しずつ修正していきました」
今は子どもたちもそれぞれ家庭を持ち、露の都さんは9人の孫のおばあちゃんでもある。
「みんな本当に仲良しで、年に1回は家に集まります。これはお父さんじゃなくて、私の力。それはもう声を大にして言ってます(笑)」
現在、女性落語家は東西合わせて約50人。露の都さんの6人の弟子もみな女性で、上方を中心に活躍している。
「今となっては男性の落語家より女性のほうがお客を呼べたりする。やっぱりそれはすごいことですよね」
ただいくら増えたとはいえ、女性の落語家はまだまだ少なく、全体の1割に満たないのが実情だ。女性の進出が伸び悩む理由は何なのだろう。
「今でも女性だからと色眼鏡で見るところが多いような気がします。でも女性ってパワフルだし、まじめで一生懸命で、いいものを持ってる人はいっぱいいる。だから女性でもっと活躍する人が出てきたら変わると思うけど……」
その先頭に立ち、後進に背中を見せる。彼女を突き動かすのは、落語が好き、というシンプルな思い。
「やっぱり私は登場人物を演じるのが好きなんですよね。お客様と息がうまくハマって、みなさんが喜んでくださると、もうとても幸せです。ただお客様も毎回違うので、1回1回気を抜くことはできません。毎回“今日はどんなお客様だろう?”って思う、その緊張感も楽しくて」
落語の魅力に取り憑かれて50年。この大きな節目を経て、これから何を目指していくのか、現在の思いを聞いた。
「子育てしていたときは日々の忙しさもあって、落語をやり切れたとは言えない気がします。だからこそこれからは落語と四つに組んでやり切りたい。露の都落語会があるというだけで、お客様がわーっと寄ってくる、そんなふうになれたらと……。やっぱり努力に勝るものはない。
諦めないで、やろうという思いがあれば大丈夫。それはよくわかってる。この年になったら人生もう山を下りるだけと言われるけれど、私はそんなつもりは全然なくて。“これからも私は登り続けるで!”って思っているんです」
取材・文/小野寺悦子