新日本プロレスにて初代タイガーマスクの好敵手、“虎ハンター”の異名で活躍し、引退後は新日本プロレス道場の管理人としても知られていた小林邦昭さんが9日に死去した。享年68。10日に新日本プロレスが報告した。
【写真】リングへの思いを赤裸々に語る武藤敬司 小林さんは、1972年に新日本プロレスへ入門。1973年に栗栖正伸を相手にプロデビュー。その後メキシコ武者修行を経て、1982年10月に赤いパンタロンコスチュームで凱旋帰国をはたして以降、当時絶大な人気を博していた初代タイガーマスクとのライバル抗争がスタート。試合ごとにタイガーのマスクを剥ぐ無法殺法で“虎ハンター”として、大きな注目を浴びた。
1984年9月には、“維新軍団”長州力、マサ斎藤、キラー・カーン、アニマル浜口らと新日本プロレスを離脱して、ジャパンプロレス所属となり、全日本プロレスへ参戦。全日本マットでは、2代目タイガーマスクともライバル抗争を繰り広げた。また、全日本マットでは、1986年11月23日にヒロ斎藤を破って、第2代世界ジュニアヘビー級王者となる。
1987年4月には、新日本プロレスにカムバック。8月20日、東京・両国国技館では、王座決定トーナメント決勝で高田伸彦(現・高田延彦)を下して、第4代IWGPジュニアヘビー級王者となる。1989年4月24日の東京ドーム大会では、デビュー戦となった獣神ライガー(のちの獣神サンダー・ライガー)の相手を務めた。
1991年12月には新日本プロレスと誠心会館との抗争が勃発、齋藤彰俊、青柳誠司との異種格闘技戦などで最前線に立った。この抗争の終結をめぐって、新日本プロレス選手会と対立、越中詩郎らと反選手会同盟を結成。のちの平成維震軍の一員として活躍した。
2000年4月21日後楽園ホールで行われた獣神サンダー・ライガー戦で引退。引退後は、新日本プロレス道場の管理人として知られ、後進の育成にあたっていた。
小林さんは、1992年7月に大腸がんが発覚。そのあと、約半年の休養期間を経て1993年2月にリングに復帰。また、1999年にがんが肝臓に転移、肝臓の切除手術を行っていた。
なお、新日本プロレスでは、小林さんを偲び、追悼の意を込めて 、11日に宮城・仙台サンプラザホール大会において、10カウントゴングセレモニーを実施する。セレモニーは、大会開始前の午後6時時15分より開始する。
小林さんの訃報を受け、武藤敬司は10日、公式Xを通じて「新日本プロレスに所属していた時の先輩、小林邦昭さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。最近訃報が相次いでいますが、俺はもう少し頑張って生きていこうと思います」と追悼。
真壁刀義もXを更新し「小学4.5年生の頃、初めて見たプロレスで初代タイガーマスクの好敵手として反則を駆使しBIGヒールとして君臨した『小林邦昭』さんが亡くなられた。引退後も裏方で道場管理から雑用をこなし、現役選手をバックアップしてくれた。今のプロレス界があるのもアノ人のお陰。安らかにお眠りください」としのんだ。