ここ数年、いやここ10年間の朝ドラで最大の力作だといえる『虎に翼』(NHK総合)の功労者は誰だろうか。
第1週第1回から主人公・佐田寅子(伊藤沙莉)と因縁の関係性を第一線で演じ続けたのが、厳粛で堅牢な判事・桂場等一郎である。桂場役の松山ケンイチが、いかに映像的な俳優なのか。本作の名場面の数々が示している。
イケメン研究をライフワークとする“イケメン・サーチャー”こと、コラムニスト・加賀谷健が、どこまでもぶれず、どこまでも映像的な本作の松山ケンイチについて解説する。
◆基本からぶれない松山ケンイチ
『虎に翼』でもっとも素晴らしい働きをしているのは、松山ケンイチだと常々思う。今や全登場人物が戦後史の課題に粛々と取り組み、それを演じる俳優たちがやや身体をこわばらせながら右往左往する中、松山だけはひとり基本から決してぶれていないからだ。
司法の独立を鋼のような精神と忍耐で死守しようとする桂場等一郎役の基本とは、誰も寄せ付けない鉄壁のように固く結ばれたヘの字型の唇である。左口角を少しだけ下げて、右へかけて弧を描くヘの字。こんなに美しいヘの字があるものなのかというくらい。
ただそれが同じままでいるだけならつまらない。固いヘの字がある瞬間にパッと変形するから面白い。変形の原因は主にふたつ。ひとつは、足しげく通う甘味処「竹もと」で大好きなあんこ団子を食べるとき。ぎちっと結ばれていたヘの字が、今度はきれいな台形のハの字に和らぐのだ。
◆特別な緊張感漂う関係性
もうひとつは、ある意味では宿敵とも呼べそうな佐田寅子その人による。そもそも竹もとは寅子が法曹の道を目指すか迷っていた時代からの因縁の場所だった(夫婦から店を引き継ぐためにあんこ団子の試作品を作る竹原梅子(平岩紙)と等一郎との決闘の場所でもある)。
あんこ団子だけではない。甘い物好きな等一郎が持参したさつまいもを頬張ろうとしたときに限って必ず寅子がやってきて寸止めされてばかりいた。端から見ると微笑ましいが、当人たちにとっては特別な緊張感漂う関係性なのだろう。
それだけにこの関係性からは、本作史上最高純度に粒立つ名場面がいくつも生み出されてきた。ヘの字からハの字への豊かな変形の次に、松山の手の動きに注目してみよう。
◆本作でもっとも美しいカメラワーク
第20週第97回。新潟から東京に戻ってきた寅子が、上司である等一郎に挨拶と報告にくる場面である。東京地方裁判所所長室の自席に座る等一郎に対して、寅子は最初少し距離を置いて立っている。
寅子がその位置から「共亜事件のあと、私桂場さんに法とは何かというお話をしたんです」と言い、等一郎が「あぁ、君が法律は綺麗な水。水源のようなものと言っていたな」と返す。
すると寅子が「嬉しい。覚えていてくださったんですね」と嬉しそうに近づいた瞬間、等一郎が右斜上へむにゅっと唇を変形させる。ヘの字でもハの字でもない、この新たなバリエーションの変形が寅子との再会で引き出されたことの感動たるや。
本題に入り、寅子への異動を命じた等一郎が、右手の甲を付き出して、しっしとジェスチャーする。このしっしが、しっし(1、2)、続いてしっしっし(1、2、3)と拍を打つ。何ともリズミカルで音楽的な一面をのぞかせる。
そのあと、カメラはふたりをサイドから捉え、退出する寅子を下手から上手にフォローする。このフォローするカメラワークが、等一郎のしっしの動きの延長みたいな滑らかさなのだが、本作でもっとも美しいカメラワークだなと感じた。
◆そろりと動かす手の運び方
同じような室内構図の名場面が他にもある。第22週第108回。後輩裁判官・秋山真理子(渡邉美穂)から妊娠したことを相談された寅子が、女性法曹の労働環境についての意見書を等一郎に提出する。それを読んだ等一郎は「君はいつになったら学ぶんだ」と一喝。でもそんなことで引き下がる寅子じゃない。
「では、別の道を探します」と毅然と答える寅子に対して「ん?」と声をもらした等一郎が、意見書を持った右手を少しの間静止する。ここでの構図もふたりはサイドから捉えられている。等一郎はその手をどうしたか。
そろりと動かすのだ。退室する寅子の方へそろり。そこからまた元の位置へそろり。何だこれ、もはや能楽師の舞の一部みたいな動きというか、運び方じゃないか。もしかして等一郎の無表情は、能面として機能していたのか? 松山のこのそろりには、さすがに恐れ入った(!)。
◆テレビの中の等一郎
誰よりも頑なで、動かない岩のような存在感を保っている。しかもそれが演技レベルで硬直することはなく、どこまでも映像的な柔軟さを伴う。こんな手品みたいな不思議ができてしまう。
するとどうだろう。第24週第116回、ついに最高裁判所長官にのぼり詰めた等一郎が、テレビカメラに囲まれる。向けられたマイクに「裁判官は激流の中に毅然と立つ巌のような姿勢で」と就任後の意志も変わらずに固い等一郎。
その映像を星家の食卓からテレビ越しに見つめる寅子は「よっ!」と誇らしげに拍手する。所長室で少し距離を置いて向かい合っていた寅子が、今度はテレビの中の等一郎を見つめる。
見る、見られるの距離の描き方が物理的に拡大される面白い場面だが、この物理的な距離が寅子との心の距離になってしまうのか。
本作はクライマックスへ向けて、戦後の課題に対して現代史の授業みたいなスピード感で速度を早めている。どこまでも映像的な松山が演じる桂場等一郎がテレビの中の人となった今、桂場長官の肩に戦後の課題が重くのしかかるかもしれない。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu