―[テーマパークのB面]―
全国に数多くあるテーマパーク。今もなお新しいテーマパークが生まれては人々を楽しませ続けている。しかし、そんなテーマパークには、あまり語られることのない側面が存在する。そんな、「テーマパークのB面」をここでは語っていこう。
そのホテルの地下には仏壇がある。でも、その仏壇は火事のあと、跡形もなく消えてしまった。その後、そこには幽霊が出るという噂が広まっていった……。これは、新潟にある、とあるテーマパークの話である。
◆かつて存在したテーマパーク「新潟ロシア村」
そのテーマパークは「新潟ロシア村」。1994年、新潟県笹神村(現阿賀野市笹神地区)に誕生。その名の通り、ロシアの生活や風俗をモチーフにしたテーマパークで、火事で焼けてしまったホテルは「マールイホテル」(「マールイ」とはロシア語で「小さい」という意味)といい、19世紀のロシア・クラシックを基調としたホテルだったようである。
その横には、ロシア正教の教会・ロジェストヴェンスキー大聖堂をモチーフにした「スーズダリ教会」があり、中にはロシア正教らしく、キリストたちを描いたイコン(聖画像)がびっしり貼られている。新潟ロシア村を紹介する雑誌によれば、この中では、1日4〜5回にわたって、本場の民族舞踊団の踊りを鑑賞できたという(「日経地域情報」1994年7月号)。
他にも園内では、ピロシキなどのロシアの食べ物の販売から、バイカル湖に生息するバイカル・アザラシのいる水槽など、ロシアに関連するさまざまなものが集められた。
◆2003年に休園、そして2004年に閉園…
まだ、ロシアがソ連だった頃。日本人にとってその存在は遠く、ここは興味深く人々の目に映ったのだろう。オープンしてから1ヶ月の間に、4万5千人の人々が押しかけたのだ。年間目標が20万人だっただけに、好調な滑り出しだった。ピロシキは1日で最高5000個を売り上げたらしい(「アミューズメント産業」1993年10月)。
しかし、ここは新潟県。しかも規模は「駆け足でまわれば1時間とかからずに一通り見てしまえる」ほど。すぐに人々は飽きてしまう。客足も横ばいで、景気だけが悪くなってくる。何度かのリニューアルも行ったが、大きな成果をあげることはできない。さらに不幸なことに、このテーマパークの最大融資元だった新潟中央銀行が1999年に破産。その後もなんとか営業を続けるが、2003年に休園してしまう。
そして、再開の目処が立たないまま、2004年に閉園してしまうのだ。
◆火事により、ホテルが消失。心霊スポットとして有名に
その後は長らく廃墟状態になっていたが、2009年、思わぬ出来事が起きる。火事だ。
今でもこの火元は不明だというが、火事の発見が遅れたこともあって、ホテルはそのほとんどが焼けてしまった。本当に朽ち果ててしまったのだ。
火事は、マールイホテルを焼いただけでない。火は消えたが、思わぬ噂が消えずに広まっていった。その噂が、冒頭のエピソードである。つまり、「マールイホテルの地下には仏壇があり、それが火事で跡形も消えてなくなってしまってから、新潟ロシア村には幽霊が出る」というもの。
普通、この手の心霊スポットが広まるとき、その場所で事件や事故がある場合がほとんどだが、新潟ロシア村の場合、そうしたことは一切起こっていない。しかも、この仏壇というのも、結局あったかどうか定かではないのだ。しかし、今でも「新潟ロシア村」は心霊スポットとして有名で、特にYouTubeなどでも盛んに取り上げられている。
2021年には、YouTubeチャンネル「ゾゾゾ」が許可を得てこの場所で心霊探索のロケを行い、ホテルの地下に潜入している。その後も、いくつかのチャンネルがこの場所を探索している。
◆なぜ新潟にロシア? 仕掛け人の目論見は…
しかし、新潟にロシア、というのは唐突な気もする。
どうして、ロシア村をここに作る必要があったのか。それは、このテーマパークに30億円という多額の融資をした、新潟中央銀行の頭取・大森龍太郎氏が深く関係している。大森氏は、銀行員でありながら、深く実業界とも関わった人物であり、起業家のようにさまざまな事業構想を打ち出していった。
その中の一つが「環日本海経済圏構想」であり、日本海を取り囲んだ日本・朝鮮半島・中国・ロシアが一体となって協力し合いながら経済を回していこうとする目論見である。その一つとして、日本とソ連の友好関係を強化し、文化的、かつ経済的に協力していく「新潟ロシア村」構想を立てていた。きわめて経済的な理由から、パーク建設を夢見たのだ。
とはいえ、新潟中央銀行は一地方銀行にすぎない。その計画は理想的すぎた。新潟ロシア村は明らかな過剰融資だったのである(ちなみに同時期、大森氏は「富士ガリバー王国」「柏崎トルコ文化村」の2つのテーマパークにも同時に融資をしていた。完全なるキャパオーバーである)。
その後、大森氏は融資時の不正取引による特別背任罪を問われ、実刑判決を受ける。そして、新潟ロシア村と同じく、2004年に獄中で息を引き取ることになるのだ。
◆大森氏が「新潟ロシア村」に抱いていたものは…
どうして大森氏はここまでの過剰(かつ不正)な融資をしてまで、新潟ロシア村を作ろうとしたのか。この点に関して、大森氏は興味深いことを述べている。
「私のオヤジは内務官僚の出身で、戦前、満洲国政府治安部の役人だった。私自身は新潟生まれだが、小学校五年生から中学校一年まで、新京で育った。満洲国内を旅したとき、ロシア人が造ったハルビンの町は子供心に実にきれいだと思った。[…]日本以外にこんな違った世界があるのか、と率直に言って驚いた。異文化に対するあこがれが生まれた。[…]そういう感情が長い間、心の奥で眠っていた」(『財界』1994年2月号)
新潟という自分の生まれ故郷に、幼い頃みたハルビンのような美しい街を作りたいーー。ある種のノスタルジーが、無理をしてまで大森氏に『新潟ロシア村』を作らせた。その心のうちは、今となっては大森氏しかわからないが、彼が新潟ロシア村に魅せられていたのは、経済的な理由だけではなかったのかもしれない。
しかし、その夢は結局、「理想」が先走りして現実には見合っていないものだった。結果、ロシア村は無くなり、今では心霊の噂だけが飛び交う場所になってしまった。
そこで事件も事故も起こっていないにも関わらず、心霊の噂が絶えないのは、もしかすると、幼い頃の思い出を求めて彷徨う大森氏の霊が漂っているから……かもしれない。
テーマパークには、それを作ろうとした人間の夢も怨念も詰まっている。
<TEXT/谷頭和希>
―[テーマパークのB面]―
【谷頭和希】
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)