「天下分け目の戦い」として誰もが歴史の授業で学んだ「関ヶ原の戦い」。しかし、その日付まで記憶している人はそう多くないようだ。
■関ヶ原合戦が起きたのは何月何日?
Sirabee編集部が全国の10代〜60代の男女700名を対象に実施した調査にて、「“関ヶ原の戦い”が何月何日に起きたか知っている」と回答した人は、10.4%ほど。
なお男女別に見ると、男性は13.7%、女性は6.5%という結果になっている。
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■年号は覚えていても日付までは…
編集部が話を聞いた30代の男性は「歴史で習うし、年号はテストにも出された記憶があるので、1600年だということは覚えていますが、さすがに日付までは…」と述べた。
編集部の調査でも「知っている」と回答した人はわずか約1割にとどまっているように、歴史的に大きな出来事ではあるが、日付まで認識している人は少ないようだ。
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■慶長5年9月15日、6時間の短期決戦
豊臣秀吉の死後、各武将たちの思惑が複雑に交錯し、ついに勢力を二分する「天下分け目の戦い」が勃発するわけだが、合戦の場となる関ヶ原に東西両軍が布陣を終えたのは、慶長5年9月15日のこと。開戦からわずか6時間ほどで決着がついたと言われている。
徳川家康率いる「東軍」と、石田三成率いる「西軍」合わせて総勢15万人以上が参戦したと言われているこの合戦。しかし、石田三成を良く思っていなかった西軍の武将たちの寝返りもあり、その終幕はあっけないものであったようだ。
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現在、関ケ原の戦いの際に家康最後の陣地が置かれたとされる場所には「岐阜関ケ原古戦場記念館」が建てられている。常時展示やイベントを行っているほか、史跡を巡るツアーなども開催しているので、実際に訪れてみると新たな発見があるかもしれない。
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■太陽暦では10月21日
ところで、9月15日という日付は「太陰暦」によるもので、現在日本で使われている「太陽暦」に当てはめると、関ヶ原の合戦が行われたのは1600年10月21日となる。
江戸時代になり天文学の知識が高まってくると、暦と日蝕、月蝕などの動きが合わないことが問題となり、たびたび日本独自の改暦が行われていたようだ。太陽暦(グレゴリオ暦)を使用することになったのは明治5年のこと。西洋の制度を導入して近代化を進めていた明治政府が暦についても欧米との統一をはかったものだ。
これにより、歴史的に語り継がれている出来事の日付が、じつは今の暦では違う日付であるというズレが生じている。史実を追う際には資料に用いられている日付がどの暦を使っているのかにも注意する必要がありそうだ。
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(取材・文/Sirabee 編集部・蒼羽 結)【調査概要】
方法:インターネットリサーチ
調査期間:2024年7月12日〜2024年7月17日
対象:全国10代〜60代男女700名 (有効回答数)