フェンシングはなぜ日本の「お家芸」になったのか? 東京五輪金メダリストが語る強化の20年史

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2024年09月15日 07:30  webスポルティーバ

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 今夏に行なわれたパリ五輪のなかでも日本選手団の躍進が目立ったのが、合計5個のメダルを獲得したフェンシング。フェンシングが「国技」と言われるフランスでの奮闘は、多くの人の目を釘付けにした。

 では、その躍進の理由はどこにあるのか。3年前の東京五輪男子エペ団体で金メダルを獲得した宇山賢(うやま・さとる)氏に、自身の選手としての経験を踏まえながら、フェンシング強化の歴史や大躍進を遂げられた理由を分析してもらった。

【日本フェンシングの歴史はフルーレ強化から始まった】

 フェンシングはヨーロッパの決闘文化が発祥であるとされ、その後にスポーツへと変化を遂げてきた歴史があります。日本に初めてフェンシングが持ち込まれたのは1932年のことでした。フランス留学中にフェンシングを習得したという岩倉具清(いわくら・ともつな/華族、宮内省官僚。政治家・岩倉具視の義息)によって、日本でもその存在が知られることになりました。

 ヨーロッパ各国と比較すると、フェンシングはまだまだ日本国内での歴史が浅いスポーツです。それでも、2008年の北京五輪で太田雄貴さんが銀メダルを獲得するさらに前から、フルーレに特化した選手育成プランが導入されることとなりました。

 フェンシングには、フルーレ、エペ、サーブルと3種目があり、それぞれ有効面(突きや斬りが有効になる身体の部分)や攻撃権(どちらが優先か)の有無が異なります。

 そのなかでも、有効面が胴のみに制限されていて攻撃権があるフルーレが、「剣の操作技術と剣先の精度に長けていて、海外選手との体格差も埋めやすい」という理由で日本人に合っているとされ、優先的に強化が進められていきました。

 以前は国内試合において、フルーレの試合が圧倒的に多かったこと。そして国民スポーツ大会でフルーレだけが毎年競技が実施されている一方で、エペとサーブルは1年おきに開催されている点も、当時の強化策の名残です。

 僕らが東京五輪でメダルを獲得したエペは、全身が有効面になるため、当時は「身長や腕のリーチに勝る海外勢に及ばないだろう」と考えられていました。また、パリ五輪の女子団体で日本勢初のメダルを獲得したサーブルも、日本人は「体格差に加えて瞬発的なパワーが劣るだろう」とされ、強化が後回しになりました。

【「行く」のではなく「呼ぶ」。海外指導者の招聘】

 日本におけるフェンシングの強化が進んだ理由として、海外から積極的にコーチを招聘した点が挙げられます。これまでも"武者修行"という名目で一部の選手は海外に活動拠点を移すケースが見られましたが、金銭面などさまざまなハードルを乗り越えなければ実現しません。

 そこで、選手たちが自ら海外に出向かなくとも、本場の技術を学ぶことができる環境を整えたことにより、競技力の底上げに繋がったと思います。また、外国人コーチが持つルートを駆使することによって、世界のトップを知る方々と触れ合う機会が増えるなど、非常に大きな効果があったと思っています。

 日本に初めて招聘された外国人コーチは、2003年のオレグ・マツェイチュク氏(ウクライナ)でした。

 同氏の担当種目はフルーレで、太田さんを筆頭とする日本人選手の強化や五輪メダル獲得に大きく貢献することになり、その後のエペ、サーブルの強化も、この成功モデルを参考にしながら進められていきました。

【HPSCによる競技力向上やハイパフォーマンス・サポート】

 フェンシング競技でオリンピックを目指す拠点となっているのが、東京都北区西が丘に拠点を構える「ハイパフォーマンススポーツセンター(HPSC)」です。代表に選ばれた選手たちは、ここでさまざまなサポートを受けながら練習に励み、世界の舞台で活躍できるレベルへと成長していくこととなります。

 このHPSCで選手たちが受けられるサポートは、フィジカルトレーニング、メディカル/フィジカルサポートに加えて、栄養、映像分析、動作分析、心理面など多岐にわたります。各専門分野のスタッフが真摯に寄り添いながら、競技力の向上や選手生命を脅かすリスクとの向き合い方などを支援しています。

 さらに、これらの選手たちのサポートによって集められたさまざまなデータは「試料」として、さまざまな研究や国内外のスポーツ医科学発展、そして後進の選手育成にも活かされています。

 2012年のロンドン五輪以降は、開催地に"村外拠点"という形のサポートハウスを設置し、オリンピック期間もHPSCと同様のサポートが受けられるようになりました。

 フェンシングは、パリ五輪で重点支援競技の「Sクラス」に指定されたことから、サポートハウス内に専用練習場が整備され、選手が最高のパフォーマンスを発揮するための環境が整いました。この恩恵によって、本番での好成績に繋がったと言っても過言ではないと思います。

 今後のHPSCを活用していく方法については、中央競技団体(フェンシングの場合は日本フェンシング協会)が舵を切っていくことになるでしょう。

 競技によっては、クラブチームや企業チームで練習する合間にHPSCを利用するケースも考えられますが、フェンシングに関してはHPSCを国内の活動拠点にしていくことになると思います。長期的に同じ選手を管理しながら強化できる点については、個人競技であり、国内の競技人口が7000人弱の"マイナースポーツ"であるフェンシングの現状を踏まえても、強化に及ぼすさまざまな利点があると考えられます。

【タレント発掘事業の成功】

 競技力の向上には、世界で戦える才能を持つ選手たちの発掘に成功したことも、メダルラッシュの要因として挙げられます。

 パリ五輪の女子サーブル団体で銅メダルを獲得した福島史帆実選手と高嶋理紗選手は、いずれも福岡県の出身。2004年からスタートした福岡県のタレント発掘事業によりフェンシングと出会い、競技を始めた選手たちです。

 同事業では、小中学生を対象に体力測定などを行ない、ステッピングの俊敏性や道具を操作する巧緻性(こうちせい)など、フェンシングに必要なスキルに長けている選手に対し、競技への誘引を積極的に実施しているようです。このような施策は各競技団体や学校、地域クラブなどとの連携が欠かせないので、周囲との協力によって成果を手繰り寄せたと言っていいと思います。

【成功した競技の課題と責任】

 今回挙げた施策以外にも、国際大会誘致、合宿誘致、審判員育成などさまざまな試みが行なわれてきました。

 今夏のパリ五輪では、男子エペ個人で加納虹輝選手が日本史上初の個人金メダル、同じく日本史上初の女子種目でのメダル獲得など、過去最多のメダル5個を獲得しました。レスリングと同じように日本の"お家芸"になったと認識していただいた方も多いと思いますが、本当に大切なのはこれからだと僕は考えています。

"なぜ勝てたのか"をいち早くまとめ、次世代に繋げられるよう準備しなければならないと思いますし、現場で起きていることを異なる視点から見たり、言語化、可視化していく作業が求められるでしょう。パリ五輪の熱をどのように競技界内や社会に還元していくかが今後の課題になっていくと感じています。

 また、国内スポーツ界全体が変革の時を迎えており、部活動の地域移行など、その構造自体にメスが入れられています。

 フェンシング競技の大半は部活動に依存しているため、既存の総合型スポーツクラブへの新規参入や専門クラブの立ち上げ、それに伴う指導者の養成など、さまざまな人材の"受け皿"を準備する必要があるでしょう。

 今回のパリ五輪をきっかけに、フェンシングに興味を持ってくれた子供たちの期待に応えていくためにも、さらなる進化を期待しています。

【プロフィール】
宇山賢(うやま•さとる)

1991年12月10日生まれ、香川県出身。元フェンシング選手。2021年の東京五輪に出場し、男子エペ団体において日本フェンシング史上初の金メダルを獲得。同年10月に現役を引退。2022年4月に株式会社Es.relierを設立。また、筑波大学大学院の人間総合科学学術院人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学学位プログラム(博士前期課程)に在学中。スマートフェンシング協会理事。スポーツキャリアサポートコンソーシアム•アスリートキャリアコーディネーター認定者。

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