関わる人を狂わせていく魔性の女!『海のはじまり』の子役が過去ドラマの“大人びた子ども”とはちがう新機軸な理由とは

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2024年09月16日 16:20  女子SPA!

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(C)フジテレビ
月9『海のはじまり』(フジテレビ 月曜よる9時〜)第10話の注目ポイントは3つ。

その1:弥生(有村架純)の「ちょっといいとこのゼリー」。どこのゼリーか問題。
その2:海(泉谷星奈)、わりとあっさり“月岡海”を選ぶ。
その3:津野くん(池松壮亮)のLINEの勢いがやばい。

順を追って見ていこう。

◆なぜ弥生が、夏と別れたら月岡家に謝罪しないとならないのか

その1:弥生の「ちょっといいとこのゼリー」。どこのゼリーか問題。

夏(目黒蓮)が実家に戻ると、ゆき子(西田尚美)が「噛み締めてお食べ」と弥生が持ってきた「ちょっといいとこ」のゼリーを差し出す。いいとこのだけあってサイズが小ぶりで上品であった。

ドラマ前半、「鳩サブレー」はあんなに実名を出していたのに、いいとこのゼリーはどこのものなのかブランド名がない。それはともかくなぜ弥生が、夏と別れたら月岡家に謝罪しないとならないのか。

生真面目(きまじめ)な弥生は彼女なりに、海の母になる期待に応えられなかったことに後ろめたさもあるのだろうか。でもゆき子に謝罪することではないように思う。一度は嫁として迎えてもらうことにした月岡家へ、ゼリーを持ってお詫びに来るのもちょっとなんだかへんなアピール感がある。黙って去らない、爪痕残したい意識のようなものを感じなくはない。

ただ、その後、海には市販のコロッケ。「手作りじゃなきゃ愛情伝わらないなんてそんなことないんだよねえ」とさばさばと売り物のコロッケ(あんなに練習したのにもう作らない)を海と食べてるときの切り分け感は先に進んでいる感じがした。

「お別れしたから」「もう恋人じゃないから」「(ママに)うん、ならない」「うん。一緒じゃない」「パパとかママじゃない大人にもちゃんと味方っているの」……云々と聞き心地のよい穏やかそうな声で話しているときも、その作り声がやっぱりちょっとこわかった。

◆海の苗字変更快諾には、水季の教育が生きていた

その2:海(泉谷星奈)、わりとあっさり“月岡海”を選ぶ。

夏は海を引き取ることになったものの、煩雑(はんざつ)な事務手続きとそれに伴う海の感情に頭を悩ます。転校はしたくないとぐずる海。ママが死んでいろんなことが変わったのに学校まで変えなくてはいけないことがいやなのだ。ママの思い出いっぱいの南雲家に離れがたいし、学校も変えたくない。でも夏と一緒に暮らしたい。わがままのようだが海の気持ちもわかる気はする。

夏は海のために転職まで考え始める。良い親のようだけど、親になるって大変だなと思う。

海は居場所にはこだわるが、苗字を変えることはあっさり承諾する。夏は親の再婚に伴って苗字が変わっていやな思いをしたので、変えなくていいかと思っていたし、「大人の都合に合わせて変えなくちゃいけないのは違うんじゃないかって」と深刻に考えていたのに。

海の苗字変更快諾には、水季(古川琴音)の教育が生きていた。水季が、家族とおそろいにできるのが苗字、家族からもらえるのが名前と海に教えていたのだ。海のさんずいは「水」の意味で、水季の「水」と「ちょっとお揃い」と楽しさを分かち合っていた。そのため、海は苗字が変わっても水季と離れてしまう心配をしないで済む。そして、第1話で夏と出会ったとき、「さんずい」と海が強調していた理由もわかる。

水季の「季」から「夏」も季節の名前。夏は「すごいちょっとだけどおそろい」と言って「海」「水季」「夏」と書く。親子の名前が何か特別な想いを伴って並ぶ。

余談ながら、朝ドラこと連続テレビ小説「虎に翼」(NHK)では、猪爪家の男子にはみな「直」がついている。星家も「朋」がついている。子供に、親や親族の名前のいち文字を取り入れるのは戦国武将の時代からもよくあることだった。『海のはじまり』では同じ漢字ではなく、もう少しイマジネーションが豊かなおそろいであった。

いま、世間は「夫婦別姓」問題が熱い。『海のはじまり』では、選択的夫婦別姓ならぬ選択的親子別姓(同姓)問題。たしかに夫婦間だけでなく、子供の苗字問題も考える必要はあるだろう。

夏は名前の問題のほか、子育てに2000万〜4000万円かかるとネットで調べて、憂い顔になる夏。老後2000万円問題のまえに子育て2000万円問題が横たわっている。夏がどんどん現実的になっていく。

会社の先輩・藤井博斗(中島歩)が「親がストレスでボロボロになったら子供に二次災害だよ?」と心配していたが、この藤井さんが一番、フラットな存在な気がする。

◆池松壮亮さんのやわらかい話し方だと緩和されるが文字だけだとキツイ

その3:津野くん(池松壮亮)のLINEの勢いがやばい。

特別編で津野くんがやさぐれたり執着したりするのも無理はないと思い直した視聴者も多かったと思うが、夏へLINEを続々と送ってくる勢いはやっぱり少し怖かった。「子育てなめてませんか」という言葉なんてなかなか辛辣(しんらつ)である。

その後、海が図書館に遊びに来て、図書館で海と話しているときは優しそうなのに。池松壮亮さんのやわらかい話し方だと緩和(かんわ)されるが、文字だけになるとキツく感じるようだ。

「子どものことで困るのが生きがいなんだから、あのひとたち」っていう言い方も文字だけだとキツイが、池松さんが話すと毒あるなあとは思うが、ギリギリで留まる。

◆大人と子供が対等に見える演出は『海のはじまり』の新機軸

関わる人を狂わせていく魔性の女・海! 津野と話すときも夏と話すときも、海があどけない幼女というより、すっかり成熟した女性のように見える。『海のはじまり』が新機軸だと思うのは、これまでのドラマにあった、保護する大人と保護される子供の関係性に見られる、大人は強くて子供は弱いという先入観ではなく、大人も子供と対等で、なんなら恋愛ものにも見えるような演出をしているように見えることである。

どんなに演技が大人びている子役――例えば芦田愛菜を起用したとしても『マルモのおきて』の阿部サダヲと芦田愛菜、『ビューティフルレイン』の豊川悦司と芦田愛菜など、芦田愛菜はあくまでも大人びた子供だった。

一方、泉谷星奈は何もかもわかったうえで男性を振り回している感じがして、子役の概念を超えている。図書館で津野と話しているときの無警戒な仕草とか、夏と話すときのじとっとした瞳とか、フランス映画などの小悪魔キャラ見えてしまう。そうか、わかった、藤井がフラットなのは海と関わっていないからかもしれない。
<文/木俣冬>

【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami

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