モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは2004〜2005年の全日本GT選手権(JGTC)およびスーパーGTのGT500クラスを戦った『ランボルギーニ・ムルシエラゴ』です。
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全日本GT選手権(JGTC)がシリーズとして1994年に本格的にスタートを切って以来、ランボルギーニ・カウンタック、ディアブロとスーパーカーであるランボルギーニをレーシングカーに仕立て、GT500(GT1)クラスに参戦してきたJLOC(ジャパン・ランボルギーニ・オーナーズ・クラブ)。
そんなJLOCは2003年まで、2001年から導入したJGTC専用開発のディアブロ、JGT-1でGT500クラスへの参戦を続けていたが、目立った成績を残すことができなかった。そして、2004年にニューマシンを投入した。それがランボルギーニ・ムルシエラゴだ。
ムルシエラゴは2001年に市販車が発表されたディアブロの後継モデルといえる位置付けのミッドシップスーパーカーで、2003年12月にはドイツのフランクフルトショーでR-GTと呼ばれるFIA GT選手権向けのレーシングカーが発表された。
このR-GTはライターエンジニアリングとアウディスポーツがタッグを組み、前述の通り、FIA GTへの参戦を視野に入れて開発されたマシンである。
搭載されるエンジンは、そのFIA GTのリストリクター規定を考慮して、生産車では6.2リッターだった排気量を6.0リッターへと縮小。
トランスミッションはホリンジャー製の6速シーケンシャルミッションを採用し、駆動方式は市販車の4WDからリヤ2輪駆動へと変更されていた。
そんなR-GTをベースにJLOCでは独自のモディファイを加えて、『RG-1』の名称で2004年のJGTC GT500クラスへと挑んだ(同年はJLOCのほかにアンプレックスモータースポーツがR-GTをGT500クラスに投入している)。
しかし2004年当時もGT500クラスでは、ニッサンがフェアレディZ、トヨタはスープラ、ホンダはNSXと国内3大メーカーが鎬を削って開発競争を繰り広げており、ムルシエラゴに限らず、その他のマシンが競争に入り込む余地はほぼない状況であった。
そのため、ムルシエラゴはスーパーGTとシリーズ名を変えた2005年の終盤戦までGT500クラスへの参戦を続けたが、その後はGT300クラスへと移行。
GT300へと移ったムルシエラゴは、クラス本格移行初年度である2006年からいきなり活躍を見せるのだった。