サッカー日本代表がピッチコンディションと戦ってきた歴史「12月には砂埃が舞い、雨が降ると泥沼状態に」

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2024年09月24日 07:20  webスポルティーバ

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連載第16回 
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。ACLで韓国のスタジアムのピッチコンディションの悪さが話題に。ただ、日本も以前は芝の状態が悪く、泥沼のなかのサッカー日本代表戦もありました。当時の様子とそこからの改善の歴史を伝えます。

【ACLで韓国のスタジアムのピッチコンディションが話題に】

 今シーズンから新方式が採用された、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)エリートが開幕。第1節では韓国に遠征した横浜F・マリノスが、ACL初出場の光州FCに7対3というスコアで敗れたのが大きな驚きだったが、それ以上にショッキングだったのは韓国のスタジアムのピッチコンディションの悪さだった。

 横浜FMの初戦の会場、光州ワールドカップ競技場のピッチは荒れ果てた状態だった(光州FCはKリーグでは光州蹴球専用球場を使っているが、ACLの施設基準を満たせないためワールドカップ競技場を使用)。そして、その翌日に川崎フロンターレが蔚山HD FCと対戦したが、蔚山文殊(ムンス)競技場の芝生の状態はさらに劣悪なものだった。

 もっとも、横浜FMの大敗はピッチコンディションのせいではない。相手にはヤシル・アサニ(アルバニア代表)のようなシュート技術の高い選手がいたのだ。あれだけ守備が甘かったら、大量失点は必然の結果だ(週末にはサンフレッチェ広島にも6失点!)。

 一方、川崎はピッチコンディションを考えて、ポゼッションにこだわる本来の戦い方を放棄。相手にボールを持たせて、プレッシャーをかけてミスを誘うという、現実的な戦い方で試合をコントロール。スコアは1対0だったが、内容的には完勝だった。

 それにしても、あの韓国のスタジアムのピッチコンディションはどうしたものか。

 たしかに、最近の異常気象や天候不順で芝生の養生が難しかったのだろう。しかし、それは日本でも似たようなもの。昨年は暑さのせいでJリーグのスタジアムでも芝生が荒れているところが多かったが、今シーズンは荒れたピッチは少なくなっている。昨年の経験を踏まえて、グラウンドキーパーのみなさんが努力を重ねてくれたおかげなのだろう。

 それに、引き替えて、韓国のあのピッチは......。

【日本でもピッチが泥沼のような状態の時があった】

 今から30年ほど前、Jリーグが開幕した当時、韓国では日本に対する警戒心が高まっていた。問題として指摘されたのが施設面の格差だった。

 当時、韓国ではスタジアムや練習グラウンドが不足しており、Kリーグでもほとんどが古い陸上兼用競技場ばかりでピッチコンディションが悪かったし、大学などアマチュアサッカーでは旧式の人工芝が使われており、日本とは施設面で大きな差があると言われていたのだ。

 大韓蹴球協会の鄭夢準(チョン・モンジュン)元会長(1994−2011年までFIFA副会長)の側近から聞いた話だが、韓国が最初に2002年W杯招致に乗り出した時、勝算はまったくなかったそうだ。狙いは日本と招致合戦で競争することによって、政府から施設近代化のための予算を引き出すことだったという。

 その後、鄭夢準氏はその政治的センスを発揮し、欧州出身のFIFA理事とジョアン・アヴェランジェ会長(当時)との対立を利用して共同開催を勝ち取ることに成功。W杯共同開催が実現したことによって、韓国のサッカー施設問題は一気に解決されたのだ。

 現在、W杯最終予選で韓国代表はパレスチナと引き分けるなど大苦戦。ユルゲン・クリンスマン前監督解任から、洪明甫(ホン・ミョンボ)監督の就任までに長い時間がかかってしまったのも影響したか。どうやら、W杯共同開催から20数年が経過して、韓国のサッカー界全体が弱体化しているようなのだ。

 2002年W杯のために建設された競技場の荒れ果てた芝生は、そうした韓国サッカーの劣化の象徴にようにも見えた。

 もっとも、歴史的に見れば、日本はピッチコンディションに関してあまり上から目線で物を言える立場にはない。

 1980年代まで、日本のサッカー場にはいわゆる夏芝が張られており、冬になると枯れて白くなってしまっていたのだ。夏芝の上に冬芝の種を播いて冬でも緑を維持する「オーバーシーディング」を国立競技場が初めて試みたのは、Jリーグ開幕直前の1990年のことだった。

 夏芝が枯れた状態であっても、ちゃんと根付いていてくれればありがたかったのだが、たいてい夏の初めに植えた芝(夏芝)は秋が深まる頃にははがれて、泥がむき出しになってしまったものだ。東京で初めてのサッカー(球技)専用競技場だった西が丘サッカー場(現・味の素フィールド西が丘)なども試合に酷使されたため、秋口には芝生は姿を消し、大学選手権(インカレ)が開かれる12月には吹きつける北風に砂埃が舞い上がっていたものだ。

 1989年6月のイタリアW杯アジア予選のインドネシア戦は、その西が丘で行なわれた(国立競技場で開催しても観客は集まらないと思われたからだろう)。ところが、前日からの雨で芝生が禿げた状態の西が丘のピッチは泥沼のような状態となり、インドネシア側から抗議を受ける始末だった。

 もっとも、国立競技場で試合をしたとしても、ピッチは同じようなものだったはずだ。1985年3月の国立での北朝鮮戦(メキシコW杯予選)も雨に見舞われ、決勝ゴールは水たまりで止まったボールを、FWの原博実がうまく浮かせて決めたものだった。

【本当にうまい選手は、どんなコンディションでも対応】

 その後、国立競技場は1991年に全面改装されてすばらしい芝生が実現。Jリーグ開幕とともに、緑の美しい芝生は全国に広まっていった。

 ピッチコンディションの改善は日本人選手のテクニックの向上に大きく貢献したが、思わぬ副作用に悩まされた時代もあった。

 すばらしい芝生に慣れきった日本人選手が、海外の凸凹のピッチに対応できなくなってしまったのだ。当時、アウェーゲームの様子を伝えるサッカー記事には「劣悪なピッチコンディション」という言葉が常套句のように使われた。

 2001年3月に敵地、スタッド・ド・フランスに乗り込んだフィリップ・トルシエ監督の日本代表は、フランス代表に0−5という大敗を喫してしまう。中田英寿以外の日本人選手は、ぬかるんだピッチの上でまともなプレーができなかったのだ。

 しかし、本当にうまい選手は、どんなコンディションでも対応できるものだ。

 1994年のキリンカップにはフランス代表が来日した。アメリカW杯予選の最終戦、ホームでのブルガリア戦でまさかの逆転負けを喫して出場を逃してしまった半年後のことだったが、エリック・カントナやジャンピエール・パパン、ユーリ・ジョルカエフ、ディディエ・デシャンなどを擁するスター軍団で、もしW杯に出場していれば優勝候補のひとつだったはずだ。

 キリンカップではそのフランスが神戸ユニバー記念競技場でオーストラリアと対戦したのだが、台風の影響で当日は大雨。水浸しの状態だった。すると、いつもはグラウンダーのパスを駆使して流麗な「シャンパンサッカー」を展開するフランス代表が、浮き球とロングボールを効率的に使った攻撃でオーストラリアを圧倒した。

 最近は、日本の若い選手たちも豪雨のなかでも、水が浮いた悪コンディションでも、あまり苦にせずにプレーできるようになっている。そして、最近はあの味の素フィールド西が丘のグラウンドも、日本で最高クラスの美しい芝生に覆われている。

 すべてが、30年前には想像もできなかったことばかりである......。それにしても、韓国が心配だ。

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