川崎フロンターレ退団発表のFWゴミスが日本を語る「どこに行っても驚くほどに美しい」

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2024年09月25日 10:01  webスポルティーバ

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Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

川崎フロンターレ バフェティンビ・ゴミス インタビュー 前編

Jリーグは現在、じつに多くの国から、さまざまな外国籍選手がやってきてプレーするようになった。彼らはなぜ日本でのプレーを選んだのか。日本でのサッカーや、生活をどう感じているのか? 今回は川崎フロンターレのFWバフェティンビ・ゴミスをインタビュー。残念ながらこの度退団が発表されたが、欧州トップクラスを長く経験した彼が日本へ来た理由。そして実際に日本でプレー、生活してみた印象に耳を傾けてみたい。(※取材は8月末に行ないました)

中編「ゴミスが『日本のフットボールの未来は明るい』と確信する理由」>>
後編「ゴミスが語るフランスと日本のサッカーの違い」>>

【日本はあらゆる意味合いにおいて、興味深い国だと思っていた】

 今季のJリーグでもっとも国際的に名の通る外国籍選手といえば、川崎フロンターレのバフェティンビ・ゴミスだった。

 ミシェル・プラティニ(1970〜80年代に活躍したフランスサッカー界の大スター)も活躍したサンテティエンヌの下部組織で鍛えられ、リーグ・アンやプレミアリーグでプレーし、チャンピオンズリーグにも出場。ガラタサライでは2度の在籍期間中に1度ずつトルコ・スパーリグを制覇。その間にはアル・ヒラルに3シーズン半にわたって所属し、サウジ・プロリーグとAFCチャンピオンズリーグ(ACL)で2度ずつ優勝している。

 2019年11月に埼玉スタジアムで行なわれた浦和レッズとのACL決勝第2戦では、アンドレ・カリージョのアシストから2試合合計3点目となるダメ押しゴールを奪った。トレードマークの猛獣のゴールパフォーマンスを見せつけられて、悔しさを味わった浦和ファンも少なくないだろう。

 フランス代表の一員としてEURO2008にも出場したストライカーは2023年8月、川崎に加入。38歳の誕生日の2日後のことだった。

「私はそれまでにフランスや英国、トルコ、サウジアラビアでプレーしてきた」とゴミスは最初の質問に応じた。

「ガラタサライとの契約が満了して、自分のキャリアの最後にヨーロッパ以外の国でプレーしたいと考えていたんだ。できれば、フットボール以外にも豊かな文化があるところがいいと思っていたら、川崎からオファーが届いた。当初はフランスから遠いので少し迷ったが、そこで得られることを考えたら、断るわけにはいかなくなった。日本はあらゆる意味合いにおいて、興味深い国だと思っていたから」

【どこに行っても驚くほどに美しい】

 埼玉でアジアの頂点を極めた時は、試合に集中していたので、準備以外のことはほとんど何もしなかったという。だが2度目の来日を果たすと、すぐにこの国のことが好きになっていった。

「私は松井(大輔/今年引退)や酒井(宏樹/現オークランドFC)、長友(佑都/現FC東京)とともにプレーしたことがあるので、日本人のすばらしさは元から知っていた。他者を敬い、規律を守り、遅刻をせず、更衣室を綺麗に使う。選手としては、スキルフルかつ利他的で、チームのためにプレーする。彼らは各チームのロールモデルだった。日本で生活してみて、それがこの国のスタンダードだということが、よくわかったよ」

 この1年ほどの間、時間ができれば、様々な場所に行って、日本を堪能した。

「東京、京都、奈良、大阪、沖縄、富士山......どこに行っても驚くほどに美しい。人々はとても親切だし、エネルギーも感じるよ。寿司や焼肉、ラーメン、鉄板焼きなど、日本食はどれを食べても本当においしい。日本は想像以上にすばらしい生活のある国だね。川崎からのオファーを承諾したのは、私のキャリアにおける最高の決断のひとつだったよ」

 ゴミスのソーシャルメディアには、秋葉原でスーパーマリオと一緒に撮った写真がアップされている。日本のポップカルチャーについて尋ねると、彼はこう続けた。

「案内してくれる人がいろんなところに連れていってくれるんだけど、秋葉原も面白かったね。マリオも好きだよ。ただ、私にとって日本のポップカルチャーといえば、『オリーブとトム』、そう『キャプテン翼』だ。子どもの頃、よくテレビでこのアニメを観ていたよ。私が好きだったのは、主人公のオリーブ(翼)。ストライカーのライバルはマーク・ランダースという名前なんだけど、日本では何て言うの?」

 それが日向小次郎と伝えると、ゴミスはフランス語訛りで繰り返していた。時には寺や神社を訪れて、日本の伝統や文化を肌で感じたという彼は、この国で充実した日々を過ごしてきたという。ただし、フットボーラーとしては「最高とは言えない」と続ける。

【Jリーグは想像以上にレベルが高い】

「ピッチ上では、自分が思っていたようなパフォーマンスができていないからね。私はストライカーだから、ゴールを決めてチームの勝利に貢献しなければならないのに、それができていない」

 確かに昨季の全公式戦の成績は14試合に出場してノーゴール、今季は9試合で3得点だった(第31節終了時点)。トルコやサウジアラビアの国内リーグ、ACLで得点王になった実績を持つ点取り屋からすれば、納得できない数字だろう。

「Jリーグは想像以上にレベルが高い」とゴミスは続ける。

「選手たちの技術やインテンシティ(プレーの強度)は高く、トランジション(攻守の切り替え)も速い。そしてどんなチームにも気は抜けない。下位のチームが上位のチームを倒すことも頻繁にある。それは、私がこれまでに経験してきたどんなリーグとも異なるものだ」

 今年は初夏に入ってからコンディション調整に苦しみ、6月16日のヴィッセル神戸戦を最後に出場機会がなかった。ただし、それでもゴミスの話を聞いていると、彼の存在が貴重だと思えてくる。なぜなら現在39歳の元フランス代表は、これまでに自らが経験してきた多くのものを、川崎や日本サッカー界に還元したいと考えているように見えたからだ。

「私にオファーをくれた川崎には本当に感謝している。これは私にとってすばらしい経験となっているからだ。私はじきに現役を退くはずだが、その後もこの世界で仕事をしたいと思っている。指導者なのか、エージェントなのか、具体的にはまだわからないが、引退後も日本を訪れたいと考えているんだ」

――ヨーロッパと日本のフットボールをつなぐ架け橋のような?

「それはいいね。どんな形になるかわからないけれど、日本のサッカー界とコラボレーションしたい。私が見る限り、日本のサッカーには大きな可能性がある。それは間違いない」

 対話を続けていくうちに、この世界的な現役のレジェンドが日本に残そうとしているレガシーが、次第に明らかになっていった。

中編「ゴミスが『日本のフットボールの未来は明るい』と確信する理由」へつづく>>

バフェティンビ・ゴミス 
Bafetimbi Gomis/1985年8月6日生まれ。フランス南東部ラ・セーヌ=シュル=メール出身。国内の名門クラブ・サンテティエンヌのユースから2004年にトップチームデビュー。途中トロワへのローン期間を経ながらストライカーとして頭角を現わし、2009年にはリヨンに移籍して活躍。その後2014年スウォンジー、2016年マルセイユ、2017年からはガラタサライでプレー。2018年からはアル・ヒラルで3シーズン半、2022年から再びガラタサライでの1シーズンを経て、2023年の夏から川崎フロンターレでプレー。2024年9月、退団を発表した。フランス代表では12試合出場3得点。

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