ケンコバが語る、名レスラー馳浩の「一番ダメな試合」を救った越中詩郎の「震え」

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2024年09月25日 10:10  webスポルティーバ

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ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(14)

越中詩郎「禁断の試合」 後編

(前編:越中詩郎の「禁断の試合」 ザ・コブラのための大会で目撃したある異変>>)

 ケンドーコバヤシさんが語る、デビュー45周年を迎えた越中詩郎の禁断の試合。前編のザ・コブラ戦に続き、後編では当時売り出し中だった馳浩との一戦を語る。

【"プロレス名人" 馳浩の「ダメ試合」】

――「越中さんの出来次第では、その後に冷遇されるかもしれなかった」という試合を「禁断の試合」として語っていただいていますが、1986年のザ・コブラ戦のほかにもうひとつあるそうですね。

「それは、1988年2月7日、札幌・中島体育センターで行なわれた馳浩戦です」

――それは、ジュニアの最強決定リーグ戦「トップ・オブ・ザ・スーパージュニア」の優勝決定戦ですね。新春黄金シリーズを通じて開催された、12選手が参加したリーグ戦で、勝ち点が41で並んだ越中さんと馳さんが札幌大会で激突しました。

「当時、新日本プロレスの馳さんの売り出しがすごかったんです。前回お話したザ・コブラもそうでしたけど、それをしのぐプッシュのされ方で、キャッチフレーズとして超新星を意味する『スーパー・ノヴァ』と言われていました」

――馳さんは1987年、海外遠征に帰国した初戦でいきなり小林邦昭さんを倒し、IWGPジュニアヘビー級王座を奪取しました。

「12月27日の両国国技館ですね。この年の5月、ジャパンプロレスとして全日本プロレスを主戦場にしていた長州力さんたちが新日本にUターン。かなりの高待遇での復帰だったので、ファンの間でも『これから、長州さんが新日本で天下を獲るんだろうな』というのが目に見えていました。

 その長州さんの専修大学の後輩で、レスリングで1984年のロサンゼルス五輪に出場した馳さんは、"秘蔵っ子"として寵愛を受けていました。凱旋帰国してからは、ザ・コブラ以上の"スーパー・ノヴァ大売り出しセール"が新日本マットで展開された。だから俺は、ザ・コブラ戦以上に『越中さん、この試合の出来次第では冷遇されるぞ』という危機感を抱いていたんです」

――越中さんに再び訪れた「禁断の試合」という試練ですね。

「ただ、この越中さんとの試合で、馳さんはプロレスラーとして一番ダメな試合をしているんです」

―― 一番ダメな試合とは?

「読者のみなさんも、あらためて試合映像を見てほしいんですけど、この試合の馳さんは、自分がやれる技をすべて出しているんです。だけど、まったく観客が沸かない。技を出すのに客席が静まり返るのは、プロレスラーとして一番やってはいけない試合だと俺は思うんです。

 今でこそ馳さんは、常に会場を沸かす"プロレス名人"と評価されていますし、1990年代は新日本の道場のコーチも務めて、第4世代なんて全員が弟子と言ってもいいくらいですよ。レスラーとしても指導者としても卓越した才能を発揮した方ですが、歴史を振り返ると、馳さんが観客を沸かせるようになったのは、黄色タイツになってからなんです」

――この越中さんとの試合では、馳さんはまだ黒タイツでしたね。

「そうです。黄色タイツ時代の大技は、ノーザンライトやドラゴンのスープレックス、裏投げ、ジャイアントスイング、鎌固め、たまにやるラリアットぐらいでした。ところが黒タイツに白のハイソックス、リングシューズもアディダスのスニーカーみたいな時代は、ありとあらゆるプロレス技をやっていたんですよ。振り返ってみたら、みなさん、驚愕すると思います。

 流行りの技を全部やっていましたからね。当時、大人気だった前田日明さんの必殺技フライングニールキックまでやっていたんですよ。想像すらできないでしょ? 馳さんのニールキックって(笑)。ほかにもフライングクロスチョップとか、黄色タイツになってからは使ってない技だらけでした」

――めちゃくちゃ器用ですね!

「でも、逆になんでもできるから、お客さんが乗ってこないんです。技の形もきれいで、完成度も高いのに客席は静まり返る。地獄のような悪循環でした」

【高田延彦の試合からの「震え」に大歓声】

――そんな試合で越中さんは、どう戦ったんですか?

「越中さんは、コブラ戦と同じように相変わらずキチンシンク、ヒップアタック、エルボー、たまにやるドロップキックぐらいで試合を組み立てていました(笑)。しかも、会場が沸かない空気も感じ取って、震え出すんです。やられて、髪の毛をつかまれて立たされる時に震え出す。次第にお客さんがザワザワっとなりだして、そこからエルボー、ヒザ蹴り、ヒジ、またヒザ......それだけでお客さんは心を打たれ、大きく沸きました」

――越中さんの震えは、観客の心に火をつけますね。

「あの震えは、2年前のコブラ戦のころはありませんでした。越中さんが震え出したのは、1986年から始まった高田延彦さんとの抗争からですね」

――なぜ越中さんは、高田さんとの試合から震え出したんでしょうか?

「高田さんに『エッチュー』呼ばわりされて、普通に怒っていたんじゃないですかね(笑)。4歳下で、デビューも自分より2年遅かった男にそう呼ばれたら、怒りますよ」

――それは、誰でも怒りますね。

「馳さんとの試合に話を戻しましょう。馳さんは、この試合ではないんですが、師匠の長州さんの必殺技であるサソリ固めをやるんです。それはいいんですけど、長州さんと敵対していたUWF勢が得意としていたアキレス腱固めに移行するという、"長州チルドレン"としてはタブーのような組み立てをやっていた。この越中戦でも、そんな動きが随所に見られて......のちに名人になるとは思えない試合でした。

 売り出し中の馳さんとの試合で、沸かない客席。そのままでは完全に、相手の越中さんが冷遇されかねない危機に陥りました。ところが、会場のムードを感じ取り、少ない技と震えで客席を沸かせ、最後はドラゴンスープレックスで勝利。禁断の試合をどうにかクリアしました」

――すばらしいです! 見事に危機を乗り越えたんですね。

「いや、そこは果たして乗り越えたのか......」

【平成維震軍のメインで受けた最大冷遇】

――えっ? 乗り越えられなかったんですか?

「のちに越中さんは、自らが率いた『平成維震軍』で自主興行をやれる位置までいきました。ですが、その自主興行のメインイベントにブッキングした長州さんが来ない、という最大冷遇を受けたんですよ」

――1995年2月12日の、後楽園ホールでの昼興行ですね。海外武者修行から凱旋帰国したばかりの天山広吉さんが、どこのユニットに加入するかが注目された伝説の大会です。

「そうです。この日は後楽園で、昼に平成維震軍、夜に新日本の興行がありました。昼興行のメインイベントは、越中さんの平成維震軍と、『昭和維新軍』の長州さん、マサ斎藤さん、谷津嘉章さんとの6人タッグが組まれていたんですけど、あろうことか長州さんが会場に来ず、スーパー・ストロング・マシンが代役出場するという冷遇を受けたんです。

 そこでの越中さんのマイクが忘れられません。『なんでこねぇんだ、長州』。ストレートでシンプルな、ロックンロールのような響きでした(笑)。しかも、その後の控室で越中さんがやらかしてしまうんです」

――何をやらかしたんですか?

「本隊に反旗を翻していたのが平成維震軍です。しかも、反選手会同盟から発展した"アンチの象徴"なのに、会場に来なかった長州さんに『常識があったら来るのが当然だろうが』と言ってしまったんですよ(笑)。

 言っていることは正しいですよ。長州さんが出場するからチケットを売れて、お客さんが来ているわけですから。それでも、アンチの象徴が『常識』を口にしたらアカンやろと。古舘さんに『戦うサラリーマン』と言われた悲しみが、ここに出てしまったんだなぁと俺はしみじみと噛みしめました。

――あらためて今回、ケンコバさんの越中さんへの愛を感じ、越中さんの激動のプロレス人生も学ぶことができました。今後の越中さんへの期待も聞かせていただけますか?

「デビュー45周年記念試合を見て、コンディションがすばらしいし体も分厚いので、まずは50年を迎えていただきたい。越中さんなら必ずやってくれると信じています。しかもゲスト参戦ではなくて、全日本プロレスにレギュラーで出場して、できればタイトル戦線にも名乗りを上げてほしいですね。

 それは、全日本の若手にもいい刺激になると思うんですよ。ただ......」

――何か懸念があるんですか?

「越中さんは今、長野県内の山荘に住んでいるんです。そうなると、団体側が交通費を用意するのは難しいと思うんですよ(笑)。かといって毎回、『長野まで自分の金で帰ってくれ』っていうのも、あれほどの方に言うのは申し訳ないでしょう」

――確かにそうですね。

「でも、そういう展開でこそ燃える人ですから。団体側は越中さんにオファーする時、『悪いけど交通費は出ない』って宣告してほしいです。そういう冷遇を受けた時に越中さんは、『燃えてやるって‼』となるはず(笑)。ともあれ越中さん、あらためましてデビュー45周年、おめでとうございます!」

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。

このニュースに関するつぶやき

  • 馳健嫌いな自分の今日の養分はこの記事ですねw
    • イイネ!2
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