井上尚弥も中谷潤人も「知らない」 かつてデラホーヤと戦い敗れ去った元世界王者の今

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2024年09月26日 07:20  webスポルティーバ

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【かつて中量級を盛り上げた元オリンピアン】

「え、知らない。パウンド・フォー・パウンドのベストを争っている? そんなにすごい選手なんだ......」

 米ネバダ州ラスベガスのハリー・リード国際空港から、北に23km。レンタカーを飛ばして、元IBF、WBAスーパーウエルター級チャンピオンのフェルナンド・バルガスが経営するジムを訪ねた。

 1990年代の終わりから2000年代頭にかけて、ボクシング界は中量級が熱かった。"プエルトリコの秘宝"フェリックス・TITO・トリニダード、バルセロナ五輪の金メダリストとしてプロに転向した"ゴールデンボーイ"オスカー・デラホーヤ、ライト、ウエルター、スーパーウエルターと3階級を制した"シュガー"シェーン・モズリー、スーパーフェザーから5階級制覇を成し遂げ、50戦全勝27KOのレコードで引退し現在もエキシビジョンマッチで稼ぐ、フロイド・"Money"・メイウェザー・ジュニア、そして、1996年のアトランタ五輪に18歳で出場したバルガス。

 総当たりとはならなかったが、ビッグネームのぶつかり合いがファンを恍惚とさせた。当時、筆者は5名それぞれのキャンプに何度も出向き、インタビューを重ねた。各々に魅力を覚えたが、バルガスは特に思い入れのある選手だった。

 記者会見や計量時、毎回のように対戦相手を突き飛ばし、扱き下ろすというワイルドさを売りにしていた反面、家族思いで繊細な顔も見せた。約束時間の5分前には、必ず待ち合わせ場所にやって来た。練習時にはいつも頭にバンダナを巻いていたが、日によって、赤、紺、水色、白と色を変える若さを覗かせた。

 1999年6月末、筆者はIBFスーパーウエルター級タイトル2度目の防衛戦を控えたバルガスのトレーニングキャンプに3日間、密着した。その折、彼は「人生で最大の喜びを感じたのは、アトランタ五輪代表になった日でも、世界チャンプになった日でもない。息子が生まれた日だ」と語った。

 21歳の若きパパは、言った。

「息子は、俺よりも"デカい男"になってもらいたい。弁護士でも医者でも、なんでもいい。とにかく自分が選んだ道でトップを目指して、精一杯生きてほしい。それをサポートするのが父親の役目だ。最高の親父になりたいと常々考えている」

 この時点でのバルガスの戦績は、16戦全勝16KO。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。ボクサーとしての夢は、「パウンド・フォー・パウンドのトップになることだ」とも話していた。同キャンプから、およそ2週間後に催された防衛戦では、かつて同タイトルを保持していた挑戦者のラウル・マルケスを圧倒し、11ラウンドTKO勝ちを収める。伸び盛りの彼は、6歳上の元世界チャンプを歯牙にもかけなかった。

【デラホーヤらとの対戦が実現】

 この年の9月、「1000年に一度の戦い」という派手なキャッチコピーで、トリニダードとデラホーヤによるIBF/WBC統一ウエルター級タイトルマッチが催される。全勝中のウエルター級王者同士の潰し合いは、僅差でプエルトリカンが勝者となったものの、謳い文句ほどに白熱した試合とはならなかった。

 バルガスは、「失望した。俺ならもっと熱いファイトがやれる!」と発言。そして、階級をアップして自身と同じスーパーウエルター級チャンプとなったトリニダードに統一戦を呼びかける。さらに3つの白星を加え、20戦全勝18KOとなった2000年12月2日、WBA王者だったトリニダードと対戦する。だが、38戦全勝31KOのトリニダードの牙城を崩すにはキャリアが足らなかった。

 第4ラウンドにWBAチャンプを倒したが、ファーストラウンドに2回、最終12ラウンドに3度のダウンを喫し、TKOで敗れる。この試合を境に、バルガスは頻繁にキャンバスに沈むようになった。ボクシング界の隠語を用いるなら、「壊れた」のだ。

 それでも持ち前の闘志で、デラホーヤ、モズリーとの対戦を実現させる。結果はすべて黒星だったが、敗れながらも"男"を見せた。反射神経に衰えが見られ、打たれもろさが露わになってからも、激しいトレーニングを続け、リングに上がれば全力でKOを狙いにいった。それこそが、バルガスの魅力だった。

 1996年11月生まれの長男、2000年7月生まれの次男、2004年4月生まれの三男と、バルガスの3人の息子は全員が父と同じ職業を選んだ。

「子供たちにやれ、って言ったことは一度もない。長男が『ボクシングをやりたい』って伝えてきたのは、彼が17歳の時。正直、ちょっと遅い気がした。でも、『チャンピオンになる』と真面目に練習する姿を見て、いいなと思ったよ。我が子が選んだ道で成功したいと願うなら、支えてやるのが父親の務めだろう。息子たちにとって文句のない親父になることが、俺の人生のゴールだから」

【「ボクシングで人生がプラスに運ぶように」と願ってジムを運営】

 元154パウンド(スーパーウエルター級)のチャンピオンは今、自ら息子たちを指導している。そして、ラスベガスにジムを開き、小学生からダイエットの老人までが健康的に汗を流せる空間を設けているのだ。

「ボクシングと出会ったからオリンピックに行けたし、世界王座にも就けた。そういった経験を次世代に伝えていくのが、自分の生き方だと考えた。6年前だったかな。いい物件が見つかったから、ジムをオープンしたんだよ。

 世界チャンピオンを目指すのもいいし、小さな大会で1勝したいと、このジムで汗を流してくれてもいい。痩せるために汗を流す人も大歓迎。人生の一時期、ボクシングに打ち込むことで会員さんの人生がプラスに運ぶよう祈って運営している。お陰さまで、170名が入会してくれた。ありがたいね」

 筆者がバルガスのジムを訪れた日は、17時から営業を開始した。扉が開いてからしばらくは、親の運転する車で、小・中学生がやってきた。時間が経つに連れ、会員の年齢層が上がる。

 30分ほどが過ぎた頃、元スーパーウエルター級王者は、ジムのタイマーを2分にセットし、「スパーリングをやろう!」と会員たちに声を掛けた。「サイズは大丈夫? 大き過ぎるかな?」と、それぞれのファイターに確認しながらヘッドギアを着け、スパーリング用の大きなグローブを嵌めさせる。そして自らリングに入って「グローブタッチして、コーナーに戻ろう。では、ファイト!」とレッスンを始めた。

 子供会員が打ち合っている最中は「ヘッドスリップを忘れるな!」「ワン・ツー・スリーと、3つ手を出せ」「コンビネーションを打て!」「止まるな」などの指示が飛ぶ。

 2分が経過すると、それぞれの選手に歩み寄り「もっと重心を下げて、パンチに体重を乗せて」「前にステップしながら打て」と、アドバイスを送る。スパーリングを終え、リングを降りる際には、「Good!」「Nice Fight!!」と子供たちを褒めた。そして「試合に出たい子は、1日に3マイルのロードワークをしよう。強くなるための基本だから」と繰り返した。

 この日、2時間足らずの間に57名がジムにやってきて、20組以上が2分×3ラウンドのスパーリングをこなした。

「貧しい子、崩壊した家庭で生きている子も健全に育ってほしい。俺が育ったカリフォルニア州オックスナードも、犯罪者がゴロゴロいる治安の悪い場所だった。ボクシングをやったので、いい人生になったよ。

 昔の俺と同じような境遇で暮らしている子に手を差し伸べたい、という思いは、現役時代からあった。やらない手はないと感じている」

【井上尚弥、中谷潤人の名も「聞いたことがない」】

 46歳となったバルガスは、自分らしく生きていた。ジムの入り口に座る妻とは、31年寄り添っており、関係は良好そうだ。

 そのバルガスに井上尚弥の印象を訊いた時の答えが、冒頭のひと言だった。

 知らない――。

 かつて、自身が狙っていたパウンド・フォー・パウンド1位の座に就いたこともあるジャパニーズファイターの名を聞いたことがない、と話したのだ。さらに、そのWBA/WBC/IBF/WBO統一スーパーバンタム級チャンピオンとの対戦が話題になり始めたWBCバンタム級チャンピオン、中谷潤人に関しても同じ回答だった。

 バルガスは、言葉をつなげた。

「(井上と中谷が)対戦するなら東京ドームじゃなくて、こっちの大きな会場でやったほうが注目されるだろう」

 言い得て妙だ。軽量級ながら世界的スターになったフィリピンの英雄、マニー・パッキャオも、アメリカの地でマルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレスといったライバルたちと激闘を重ねたことで上り詰めた。日本ボクシング界から誕生したトップ同士のファイトも、ボクシンングの本場開催こそが相応しい。

 後日、バルガスの発言を中谷潤人にぶつけてみた。

「そうですね。もともと、僕はアメリカを主戦場とすることを希望しています。昨年5月のアンドリュー・モロニー戦は、ラスベガスのMGMグランドガーデン・アリーナでやらせてもらいましたが、ファンの目が肥えていることを実感しました。反応がいいんですよね。パンチが当たった時、物すごく湧き、大歓声が耳に入ってきて、こちらが楽しくなるほどでした。

 それプラス、僕には『日本のファンだけでなく、世界中の方々に自分のボクシングを見せたい』という思いがあります。ここ最近、ラスベガスでビッグマッチが開催されているT‐Mobileアリーナで、いつかメインイベンターとしてリングに上がりたいですね」

 バルガスのひと言は、中谷に新たな刺激を与えたようだ。10月14日の有明アリーナでの防衛戦で、さらなる飛躍を期待したい。

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