中村憲剛が引退から3年半で学んだこと「指導者の数だけスタイルがある。最初からガチガチに守る発想はない」

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2024年09月26日 10:10  webスポルティーバ

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中村憲剛「S級ライセンス取得までの3年半」を語る(後編)

◆中村憲剛・前編>>レポートを200枚書き、ミシャに会い、カナダへ飛んだ

 S級ライセンス取得のため、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもとを訪れたり、カナダのサッカークラブで海外研修を行なうなど、指導者となるためにさまざまな経験を積んできた中村憲剛氏。その貪欲な姿勢は、現役時代の時となんら変わらない。

 ただ、S級ライセンスの受講を終えた今、練習ひとつをとっても、選手と指導者では見るべきポイントがまったく違うと言う。この引退してからの3年半で、中村氏は何を感じ取ったのか。プロのチームを率いる資格を得て、これからどういう監督を目指していくのか、将来像も聞いた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 一部では「ライセンス制度は必要ない」という声もありますが、S級を受講し終えてみて、憲剛さんはあらためてどういった感想を持ちましたか。

「正直に言うと、僕も晩年にかけて引退後のライセンスのことを考えた時に、『もっとラクして取れないかな』と思っていた側の人間でした。でも毎年、真正面から真摯に取り組むなかで、やっぱり必要だなと感じています。

 選手と指導者はまったくの別物で、求められる要素もまったく違うからです。それを引退直後、C級で小学5年生相手に指導実践をした時に痛感しました。同じ現象を見ても、全然別の物に見えることが多々あったんです。

 そこから毎年受講しに行き、引退してもう4年目になりますが、ピッチの上にいる感覚から、外から見る感覚に変わってきている。現役じゃなくなれば、その視点になっていくのは当然で。そして、現役としてピッチのなかで解決できなくなり、指導者として選手たちに解決してもらうためには、求められる要素は全然違ってくるなと。

 その時点で別物じゃないですか。やるのは選手たちなわけだから、圧倒的に前提条件は変わりますよね。だから、指導者として学び直すんだと思いました。学び直すというよりも、目線が変わったので、『新たな学び』に近かったですね」

【『指導者・中村憲剛』を作ってもらった】

── 選手時代にはわからなかったことが、見えてきたということですね。

「練習をひとつとっても、選手と指導者の見るべきポイントが同じようで、まったく違うんです。選手の時はもっと局所的でよかったんですよね。自分がどうやってうまくやるかに集中して、成長する作業に専念していい立場でしたから。

 でも、指導者は当然、ひとりの選手だけを見るわけにはいきません。まずは自分のやりたいプレーモデルや理想のスタイルの全体像をしっかり持ったうえで、そのトレーニングのなかで選手たちに何を獲得してほしいのか、どう成長してほしいのかを明確に伝えられないといけません。

 この3年間のなかで、個人への基礎的なアプローチから、グループ、チーム戦術における個人への役割の提示や働きかけを、指導実践を通して学びました。だから、選手時代に培ったものだけでは、監督になるのは難しいと思います」

── 個人の知識や考え方だけでは、限度がありますしね。

「もちろん個人でも学べるものはあると思いますが、ライセンス講習会はチューターの方たちやほかの受講生の方たちからのフィードバックがあるのも、とても大きかったと思います。現場をやることで得られることはあるんですけど、どうしても孤独なところがありますし、インプットという観点で言えば限界があると思います。

 でもライセンス講習会では、本当に人の数だけ考え方だったり、アイデアだったり、想いがあるので、自分がやったものに対してみんなが忌憚(きたん)なく意見をしてくれるんです。今思えば、『指導者・中村憲剛』をみんなに作ってもらう時間はとても貴重でしたし、この講習会のよさのひとつだったなと思っています」

── ライセンス制度に対する否定的な意見として、画一的な指導になってしまうんじゃないかと危惧する声もありますが、実際のところはどうなんでしょうか?

「それは、少し前の話だと思います。チューターの方たちも、以前は言ったことをやってもらう感じだったと言っていました。要は、求めるものに沿えないとならないということですね。

 だけど、この何年かで状況は変わってきていますし、実際に自分の時も、採用するシステムや戦術を含め、オリジナリティを出していい環境になっていました。こうしなさい、こうするべきだと強要されることはなかったですし、その指導者の持っているものを指導実践で出してもらったうえで、たとえば前線からのプレスがもっとよくなるためにはどうすればいいのかを、みんなで話し合うような感じでした。

 そういう形に変わってきているので、画一的なものにはならないと思います。人によって、いろんな色があって面白かったです。3-5-2の人もいれば、4-3-3が好きな人もいたり。指導者の数だけスタイルがありましたから」

【特殊なことをやってきた自負はある】

── 判断基準や合格基準も変わってきているのでしょうか。

「そう思います。その意味では、チューターの方はすごく大変だなと思いました。JFA(日本サッカー協会)の指針に則って合否をつけるほうが基準は明確ですからね。当然、最低限の原理原則はあるので、そこからあまりにも逸脱してしまうのはよくありませんが、指導に正解はないので、受講生一人ひとりをみんなでよりよくしてくような場だった、という認識です」

── S級ライセンスを取得したことで、いよいよプロのチームを率いる資格を手にしました。現時点でどういう監督を目指しているのでしょうか。

「まず自分が『こうしたい』という確固たるものを持っていないといけないと思います。そこは講習会でもずっと問われてきたところでした。そこに関しては、自分は持っていると思っています。特殊なことをやってきた自負はありますし。

 ただ、それだけで勝てるかはまったくの別問題で、確固たる部分を持ちながらも、そのチームの編成や状況に合わせて、柔軟に変えてでも勝たせる監督になる可能性もあるし、結果が出なくても意固地にやり続けて浮上を狙う監督になる可能性もある。こればかりは、実際に始めてみないとわからないです」

── 状況に応じて変わる可能性があると?

「自分の考えだけではなくて、クラブからのオーダーも当然あると思います。『このメンバー編成で、この順位を目指してほしい』とオーダーされれば、ある程度現実を見るかもしれないですし。その時のコーチングスタッフだったり、選手の個性や年齢層だったり、クラブのビジョンだったり、すべてを理解したうえでやらなければいけないと思います。

 自分がやりたいことをやるだけでうまくいく世界ではないことは、僕も現役の時からいろんな監督を見てきているので、理解しています。ただ同時に、自分のやりたいサッカーを具現化させるための施策や引き出しをどれだけ持っているかも重要だと、同時に感じています。やっぱり監督は、チームと選手を成長させなければいけない存在であることは間違いないですから」

【いつ監督の出番が来てもおかしくない】

── 現役時代に培ってきたものは、監督になっても影響されると思いますか。意外と、現役時代はフォワードだった人が監督になれば守備的なサッカーをやっているケースもありますよね。

「僕は中盤ですから、攻撃・守備どちらの考えも理解できますし、うまくバランスを取って進めていくのではないかなと思う一方で、自分が育ってきたクラブは攻撃的な哲学を貫き続けてきているので、そのエッセンスは多分に入っていると思います。個人的にも『ボールを握って攻めたい』という想いは当然ありますし。

 だけど、さっきも言ったように、その時のメンバーによっては、それを体現することがなかなか難しい時もあると思います。だとすれば、守備から構築することも考えられます。もちろん、いきなり最初からガチガチに守るという発想は、今はないです。

 あとは、選手をうまく、強く、タフに成長させたいという想いは、指導者として普遍のテーマだと思っています。そのほうがお互いに楽しいですからね。中村憲剛のところでやるのは成長できるなと感じてもらえる、真剣に成長することを楽しめる空間にしたいです」

── やはり一流の監督には、人間力や求心力が備わっていますからね。

「『この人とやりたい』と思ってもらえないと、厳しい職業だと思います。かといって、気を遣いすぎると距離感がおかしくなってしまうので、そのあたりのバランス感覚はとても重要だと思います。

 そして、監督になったとしても自分にやれることに限界はあるので、コーチングスタッフや強化部・事業部を含め、クラブに関わるすべての方たちとの関係性やリレーションはとても大切になると思います。一方で、自分にしかできないこともあるとも思っていて、それが自分の唯一無二の武器になると思います。

 今はいろんなことを経験しながら幅を広げている段階ですが、S級を手にした以上、いつ出番が来てもおかしくないとも思っていますし、これからもしっかりと経験を積みながら成長し続けていきたいと思います」

<了>


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

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