美川憲一、越路吹雪さんとの縁語る「私にとって神様のような、師匠のような存在」

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2024年09月26日 20:49  日刊スポーツ

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日刊スポーツ

熱唱する美川憲一(撮影・中島郁夫)

歌手美川憲一(78)が26日、東京・よみうり大手町ホールで27日開催のコンサート「美川憲一 ドラマチック・シャンソン 2024」の通し稽古を行った。


今回で23回目となる「ドラマチック・シャンソン」。今回は1、2部制で1部では、1980年(昭55)年に56歳で亡くなった“シャンソンの女王”越路吹雪さんの「ろくでなし」「愛の讃歌」など9曲を披露する。「越路吹雪さんが今年、生誕100年。それを記念して、越路さんの歌を歌いたいと思います」と話した。


越路さんとは、99年(平11)に92歳で亡くなった“ブルースの女王”淡谷のり子さんの紹介で知り合った。「『柳ケ瀬ブルース』(66年)がヒットして、淡谷さんと対談させてもらって『シャンソンやった方がいいわよ』って言ってくれて、仲良くなったの。それで、うちの母親が越路さんのファンで、淡谷さんに『紹介してちょうだい』ってお願いしたの。そうしたら、淡谷さんが『私はどういう立場になるの』って言うから『お姉さまのような、師匠のような感じ』って答えたわ」と笑った。そして「淡谷さんに電話していただいて、日生劇場の楽屋に会いに行ったの。鏡台の前に越路さんがいて、フランス映画のワンシーンみたいだった」と振り返った。


その後、越路さんと仲良くなり、自宅に遊びに行くようになった。「まだ、ルイ・ヴィトンの直営店がなかった時代に、ボストンバッグを買ってきて、切ってブーツを作ったの。プレゼントして越路さんが履いてくれて、亡くなって形見分けで私に返ってきました」と、ヴィトンのモノグラム柄のブーツを披露。「私、大胆なところがあって、ブランド品に失礼だと思わないで切った。越路さんが『あら、いいわね』って言うんで『自分でやりなさいよ』って言ったら『もったいない』って。やっぱり女なんでね、私は男だから」と振り返った。そして「プレゼントした時の箱に入って戻って来た。大事に履いてくださっていた。縁を感じますね。ショルダーバッグとセットで履くのがすごくかっこ良かった」と懐かしんだ。


越路さんの自宅ではブランドのバッグのコーナー、毛皮のコーナー、洋服とさまざまなものを見せてもらった。「『宝石を見たい』ってお願いしたら、宝石をテーブルに並べてくれて、宝石屋さんができるくらいたくさんあった。たくさんあるから、1つくらいくれるかなと思ったら『はめてなさいよ、貸しといてあげるから』って言うのよ。結局、借りなかったけど、借りときゃよかった。肩身になったのに」と話した。


越路さんからは「嘘」という曲ももらった。「『美川君に合うかも。あげてもいいわよ』って言うの。そこへ旦那さまの(作曲家)内藤法美さんが帰ってきたので、越路さんが『旦那さま、憲ちゃんにあげていい』って聞いたら『あげるとかじゃなく、好きなら歌えばいい』って(笑い)。越路さんは私にとって神様のような、師匠のような存在。本当に越路さんがあって、今の私がある」。


64年に「だけどだけどだけど」でデビューして、60年目の歌手生活。「しぶといですからね。悩みは引きずらない、クヨクヨしない、嫌なことはスッパリ切る、そういうスタンスでやって来た。でも、60年やるとは思わなかった。早かったですね。新曲もB’zの松本さんの作曲、GLAYのTAKUROさんの作詞で『これで良しとする』を作っていただいて、25日に発売したばかり。一生懸命キャンペーンして売ることと、歌手の道に精進してまい進したい。反響はすごくいいの。自然体でやってますから、若いファンも多いんですよ、私。そういう方たちが、今回喜んでくれている、幅広く喜んでくれて、うれしい」と話した。


60年の間には絶頂も、どん底も味わった。「絶頂は365日中250日も営業。何十億よ。でも、事務所の社長がもうかっただけ。もっともらっておけばよかった。どん底は私も失敗して、サパークラブで歌ったりした。その時はきつかった。ちょっと大きめのスナックで歌ったりね。控室がなくて、隣のラブホテルで着替えたりした。今、こうしてやれているのが幸せです」と笑顔を見せた。

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