ダニエル・リカルドの波乱に満ちたF1キャリア。14シーズン258戦、通算8勝の歩み

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2024年09月27日 01:20  AUTOSPORT web

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2014年F1第7戦カナダGP F1初優勝を飾ったダニエル・リカルド(レッドブル)、チームメイトを祝福するセバスチャン・ベッテル(レッドブル)
 日本時間9月27日、RBは次戦となる2024年F1第19戦アメリカGPより今季残る6戦において、ダニエル・リカルドに代わりリアム・ローソンをレギュラードライバーとして起用することを明らかにした。

 ここではシーズン途中にF1のレギュラーシートから離れることになったリカルドの、F1を中心としたこれまでのレースキャリアを振り返る。

 2005年に地元オーストラリアでシングルシーターキャリアをスタートさせたリカルドは、フォーミュラBMWアジア、フォーミュラ・ルノー2.0イタリア等を経て、2008年にレッドブルの若手ドライバー育成プログラムである『レッドブル・ジュニアチーム』に加入した。

 レッドブル育成加入まではシリーズタイトル獲得の経験がなかったリカルドだったが、同年にSGフォーミュラから参戦したフォーミュラ・ルノー2.0西ヨーロッパで4輪キャリア初のタイトルを獲得。また、フォーミュラ・ルノー2.0屈指の激戦区であったユーロカップでバルテリ・ボッタスに次ぐシリーズ2位という成績を残すと、2009年はカーリンからイギリスF3に参戦しチャンピオンに輝いた。

 イギリスF3でのタイトル獲得もあり、2009年12月にスペイン・ヘレスで行われたF1ヤング・ドライバーテストにおいて、レッドブルからF1初ドライブの機会を得た。若手だけが参加する冬季のテストとはいえ、最終日に3日間全体のトップタイムをマークしたことで注目を集め、ここからリカルドのF1参戦へ向けた動きが加速する。

 2010年よりレッドブルとスクーデリア・トロロッソ(現RB)のリザーブドライバーを務めつつ、フォーミュラ・ルノー3.5に参戦。ただ、リザーブ就任2年目の2011年シーズン途中、第9戦イギリスGPよりナレイン・カーティケヤンに代わり、HRTからF1デビューを飾ることになった(第17戦インドGPのみカーティケヤンがビタントニオ・リウッツィに代わり参戦)。

 HRTは資金難が続くテールエンダーだったこともあり、リカルドの最高位は18位だったが、シーズン途中の参戦、かつF1初年度ながら元レッドブル/トロロッソの先輩に当たるリウッツィと遜色ない走りを見せた。

 2012年にトロロッソのレギュラーシートを掴むと、レッドブル昇格の座をかけて同じくフル参戦初年度だったジャン-エリック・ベルニュとの激しいチームメイト対決を繰り広げた。2012年はポイントランキングでベルニュの後塵を拝するも、2013年はベルニュを上回り、同シーズンをもってF1を離れた同郷の先輩マーク・ウエバーの後任として2014年のレッドブルのシートを得た。

 ただ、2014年シーズンより1.6リッターV6のパワーユニット(PU)規定が導入され、メルセデスが躍進。2010年から4シーズンにわたって続いたレッドブル・ルノーが王座から引き摺り下ろされるという苦しいシーズンでの昇格となったこともあり、それまでセバスチャン・ベッテルが見せていたような圧倒ぶりを再現することはできなかった。

 それでもリカルドは第7戦カナダGPでの初優勝を含む3勝を上げ、チームメイトのベッテルを下しドライバーズランキング3位の座を掴む走りで、自身のレッドブル昇格は正しかったことを証明した。

 2015年はベッテルのフェラーリ移籍により、チームメイトはダニール・クビアトに変わった。これでリカルドはレッドブルのエースドライバーとなったが、シーズン後半で失速し、ドライバーズランキングでクビアトに3ポイント負けてしまう。追う立場でリウッツィ、ベッテルというベテランを破ったリカルドだったが、ルノーPUに起因するマシントラブルをはじめとする不運もあり、望むようなレースを戦えない時間が続いた。

 2016年シーズン序盤にアクシデントが多発したクビアトがトロロッソに降格。これでリカルドとクビアトのチームメイト対決は幕を閉じる結果となったが、代わってF1参戦2年目で当時18歳だったマックス・フェルスタッペンがレッドブル昇格を果たす。このフェルスタッペンの突然の昇格が、その後のリカルドの運命に大きな影響を与える。

 翌2017年はフェルスタッペンを上回るドライバーズランキング5位で終えたものの、2018年はメカニカルトラブルが多発し、フェルスタッペンにも先行を許してしまう。かつて自身がレッドブル昇格を果たした際の状況を再現するかのように、若く、勢いのあるフェルスタッペンがレッドブルのエース格としての地位を固めつつあった。そんな状況で迎えた2018年8月に、リカルドは翌年のルノー(現アルピーヌ)加入を発表し、自らレッドブルを離れる選択をした。

 ただ、新天地ルノーでの戦いはリカルドが望んだ展開にはならなかった。ニコ・ヒュルケンベルグをチームメイトとするルノーのエースとして臨んだ2019年は表彰台にすら立つことができずに終わった。この初年度の成績に嫌気がさしたか、続く2年目の2020年シーズン開幕前(コロナ禍により7月開幕となった)に今度はマクラーレンへの移籍を発表する。

 そのマクラーレン初年度となった2021年には、第14戦イタリアGPで3シーズンぶり、そして結果的にはキャリア最後の勝利を果たした。しかし、シーズン後半にリタイアが続いたことが響き、チームメイトのランド・ノリスに45ポイントもの大差をつけられてしまう。

 当初3年契約でマクラーレンに加入したリカルドだったが、2年目の2022年8月に同年をもってマクラーレンを離れることを発表。ルノーに続いて、マクラーレンもリカルドにとって安息の地ではなかったようだ。

 これでリカルドはF1のレギュラーシートを失い、2023年シーズンはかつて自ら離脱することを選んだレッドブルのサードドライバーという立場で迎えることになった。

 ただ、2023年にアルファタウリ(現RB)でF1フル参戦初年度を迎えたニック・デ・フリースがシーズン序盤から苦戦が続き、第10戦イギリスGP後にアルファタウリから解雇されてしまう。その代わりとして、レッドブルのサードドライバーだったリカルドがアルファタウリにレンタル移籍し、シーズン後半のアルファタウリのシートを掴むことになった。

 トロロッソ時代に在籍した古巣に戻るかたちにはなったが、アルファタウリでの走り次第では、再度レッドブル昇格への道筋が開ける可能性も少なからずあった。それだけに、角田とのチームメイト対決の行く末にも大きな注目が集まった。

 しかし、そんなF1復帰3戦目の第14戦オランダGPのフリー走行2回目(FP2)でリカルドはクラッシュを喫し、左手の中手骨を骨折。これでオランダGPの決勝を含む5レースを欠場する。

 リカルド不在の間はレッドブル育成の筆頭株だったリアム・ローソンがステアリングを握ることになり、リカルドは自らのシートを脅かす若手にF1デビューの機会を与えてしまう結果になった。

 第18戦アメリカGPで復帰したリカルドは、第19戦メキシコシティGPで7位に入り復帰後初入賞を飾り、2024年のRBのレギュラーシートをキープ。ただ、2024年シーズンもチームメイトである角田の後塵を拝するレースが続き、35歳を迎えたリカルドにはローソンとの交代、シート喪失の噂が常に付きまとった。

 そうして迎えた第18戦シンガポールGPではレース終盤にソフトタイヤに履き替えてファステストラップをマーク。ドライバー・オブ・ザ・デーも獲得したが、レース後の取材対応の際にこれがラストレースになる可能性にも触れ、目に涙を浮かべていた。

 14シーズンで258戦(決勝出走257戦)、移籍5回(決勝出走チームのみ/アルファタウリとRBは同一チームと集計)、通算8勝を飾ったリカルドは、最後のレースでファステストラップ記録を17に伸ばし、F1のレギュラーシートに別れを告げた。

 明るい笑顔が印象的な、記録以上に記憶に残るF1ドライバーだった。

■ダニエル・リカルド F1での主な記録
表彰台:32
総ポイント:1329
グランプリ出場:258
決勝出走:257
優勝回数:8
ポールポジション:3
ファステストラップ:17

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