12歳からマレーシアで単身スカッシュ修行 渡邉聡美が日本を飛び出して世界5位のトッププロから学んだこと

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2024年09月27日 07:30  webスポルティーバ

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2028年ロサンゼルス五輪のメダル候補
スカッシュ・渡邉聡美インタビュー(後編)

◆渡邉聡美・前編>>「スカッシュの本場・イギリス留学で急成長」

 全日本選手権は18歳から5連覇を成し遂げ、2023年の杭州アジア大会では日本スカッシュ史上初の銅メダルを獲得。2024年3月には世界ランキング4位のネレ・ギリスから勝利を奪うなど、渡邉聡美の勢いが止まらない。

 日本代表のエースとなるまでの足取りを振り返ると、12歳で決断したマレーシアへの単身スカッシュ留学が自身の成長において大きかったと語る。彼女はどのような環境でスカッシュに出会い、その道をまっすぐ突き進んでいったのか。ロサンゼルス五輪で最もメダルに近い日本人スカッシュプレーヤーの歴史を紐解く。

◆スカッシュ渡邉聡美フォトギャラリー>>

   ※   ※   ※   ※   ※

── 渡邉選手とスカッシュの出会いを教えてもらえますか?

「子どもの頃は、水泳、体操、トランポリン、バレエ、フィギュアスケートも少しかじっていました。小学校3年生の終わり頃、近所のスポーツクラブにあったスカッシュコートで友人のお母さんがやっていたこともあって、お遊び感覚で始めたんです。そして小学校4年生から北新横浜のスカッシュ専門施設『SQ-CUBE横浜』に通うようになり、本格的に競技を始めました」

── どのタイミングでスカッシュにハマったのですか?

「スカッシュを週1〜2回ほどやっていた当初は、ただ楽しいという感覚くらいで、まだバレエのほうに気持ちは向いていました。でも、SQ-CUBE横浜に練習場所を移した時、松井千夏さんや小林海咲さん・僚生さんの姉弟などトップ選手たちがプレーしているのを間近で見て、『私が知っているスカッシュとは全然違う!』と衝撃を受けたんです。

 また、小林姉弟のお父さんから『運動神経がよさそうだから、本気でスカッシュをやってみない?』と声をかけてもらったことも、スカッシュにのめり込むきっかけです。その後、ジュニアアカデミーというクラスができたので、週5回くらい練習するようになりました。

 メインのコーチは机伸之介さんで、全日本選手権で8度優勝している机龍之介さんのお兄さんです。そのクラスには強い選手がたくさんいて、(トップ選手の)清水孝典さんや前川宏介さんからプライベートレッスンを受けたこともありました。今振り返っても、恵まれた環境にいたと思います」

【嫌な顔ひとつせずにすべて答えてくれた】

── そして中学校1年の夏から、マレーシアに留学されました。

「小学校から森村学園に通っていましたが、中学の途中から約5年間、スカッシュ留学のためにマレーシアで修行しました。実は小学生の頃、小林さん一家と一緒にマレーシアのペナン島へ行ったことがあって、2週間ほど過ごした経験があったから、場所は知っていたんです。

 その後、母に『ひとりになるけど、マレーシアに留学する? どうする?』と聞かれた時、特に深く考えず、『マレーシアに行けばスカッシュが強くなるよね? じゃあ行く!』という軽い気持ちで決めました」

── マレーシアではどのような生活を送っていたのですか?

「ペナン島にあるイギリスのインターナショナルスクールに通い、15時まで学校生活を送り、そして16時から19時くらいまでクラブで練習する毎日でした。コートは12面あり、世界のトップ選手や友人と好きなだけ練習できる恵まれた環境でしたね。

 ただ、日本とは学校の教育システムが違い、まだ英語も自由に話せなかったので、成績が落ちる不安もあり......。そのため、日本の高校の卒業資格も取っておこうということになり、ダブルスクーリングで通信制の高校にも通っていました」

── マレーシアでの環境が渡邉選手を大きく成長させたようですね。

「日本で競技を始めた10歳くらいの頃は、漠然と『このエリアに打とう』と考えてプレーする程度でした。ストレートやクロスなど、ショットをしっかりと認識し、頭で考えて使い分けるようになったのは、マレーシアに行ってからだと思います。

 コートに入る前の準備や考え方を最初に学んだのは、マレーシア人のロー・ウィン・ウェン選手からでした。ジュニア時代の私は感情の起伏が激しく、思ったような判定が出なかったり、相手に少しぶつかられただけで、集中力が切れてしまうことがよくありました。でも、彼女はとてもフレンドリーで話しかけやすく、12〜13歳のジュニアだった私が世界ランキング5位のトッププロに質問しても、嫌な顔ひとつせずにすべて答えてくれました。

 現役選手のなかには、自分の後輩となるジュニアに技術を教えたくない人もいるかもしれませんが、彼女はまったくそんなことはなく、本当に親身に面倒を見てくれました。競技以外のことも含め、彼女からたくさんのことを学びました」

【世界1位の選手の技術を盗みたい】

── そしてマレーシアでの5年間の留学を終えて、帰国後の2017年に18歳で全日本チャンピオンとなりました。

「決勝の相手は、小林海咲さんでした。実は、前年に決勝進出した時も相手は海咲さんで、ファイナルゲームにもつれ込んでマッチポイントまで握ったんですけど、最後はひっくり返されて負けてしまったんです。その時は大号泣しました。

 だから今年は、海咲さんの海外での試合や松井千夏さんのプレーなどを片っ端から見て、相手を研究しました。そういう意味では、メンタルの準備がしっかりできていたのかなと思います。スポーツでは技術も重要ですが、メンタルのアップダウンで結果が変わることも多いので。

 試合が終わった瞬間、もちろん優勝はうれしかったですけど、海咲さんに『本当におめでとう!』って声をかけてもらった時は、思わず涙がこぼれちゃいましたね」

── 渡邉選手の得意なプレーや武器は?

「パワーショットが私の武器なので、パワーとスピードで押してチャンスボールを引き出します。そしてチャンスボールが来たら、タメを使ってクロスや相手のいないエリアに打ち込むのが得意ですかね。まだまだ磨きをかけている最中ですけど。

 世界ランキング1位のエジプト人選手も、相手の逆を突くショットがすごくうまいんです。その技術を盗みたい。1位の選手に追いつき、追い越せるようにしたいですね」

── 今年3月には世界ランキング4位のベルギー人選手に初めて勝利し、日本人過去最高の世界ランキング13位まで上がってきました。

「海咲さんの過去最高位が29位だったことを考えると、ここからが本当の勝負、スタートラインだと思います。世界ランキング10位より上に行くためには、毎大会ランキング上位の選手に1回か2回は勝たなければなりません。

 ロサンゼルス五輪までの残り日数を逆算すると、メダルを目指すにはそれまでに世界のトップ3に入らないと。だから、まず2024-25シーズンで世界ランキング10位以内に、そして次のシーズンでは5位以内を目指さないと、オリンピックのメダルは難しいと思っています。

 トップ選手と渡り合える実力がついてきた、という手応えはあります。あとは、まだ安定してパフォーマンスを発揮できていないので、それが今の課題です」

【金メダルも夢じゃない場所にいる】

── 渡邉選手は8歳からずっとスカッシュを続けています。あらためて競技の魅力を教えてもらえますか。

「スカッシュは老若男女を問わず、誰でも挑戦できるスポーツです。それが大前提ですね。そのなかで、パワーやスピードだけでは勝てない相手に対しても、戦略を練って立ち回れば勝てるチャンスがあるという、楽しさが詰まったスポーツだと思います!」

── オリンピックの正式種目に選ばれたことで、多くの人がスカッシュの試合を見る機会も増えると思います。どのようなところに注目すればいいでしょうか?

「スカッシュを見る方には、競技としてのフィジカルな躍動感やスピード感、そしてアクロバティックなプレーを楽しんでほしいですね。私自身はアタッキングプレーヤーなので、気迫のある勝気なプレーを見てもらえたらいいな。

 最近では、全面ガラスのコートで試合が行なわれたり、コート上のラインがライトで照らされていたり、プロのトーナメントでは試合前のパフォーマンスやビジュアルにも力を入れています。そういった演出にも注目してほしいです」

── 最後にあらためて、ロス五輪の目標を。

「もちろん、金メダルを獲りたいです。そこを目指して、この3年、4年をがんばっていこうと思っています。今、それが夢じゃない場所まで来られていると思っているので、本当にここからが勝負だと思っています!」

<了>

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【profile】
渡邉聡美(わたなべ・さとみ)
1999年1月15日生まれ、神奈川県出身。8歳の時にスカッシュと出会い、12歳でマレーシアにスカッシュ留学。高校卒業後にロンドンへ留学して学業と競技をこなす。全日本スカッシュ選手権は2017年から5連覇を達成。2023年の杭州アジア大会で日本人初の銅メダルを獲得し、2024年3月には世界ランキング4位のネレ・ギリスに勝つなど、世界ランキングを13位まで伸ばす。正式種目となったロス五輪でメダル獲得を目指す。身長170cm。

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