プロレス解説者 柴田惣一の「プロレスタイムリープ」(6)
(連載5:『極悪女王』で話題の全日本女子プロレスはすべてが「規格外」だった 人気とその裏側>>)
1982年に東京スポーツ新聞社(東スポ)に入社後、40年以上にわたってプロレス取材を続けている柴田惣一氏。テレビ朝日のプロレス中継番組『ワールドプロレスリング』では全国のプロレスファンに向けて、取材力を駆使したレスラー情報を発信した。
そんな柴田氏が、選りすぐりのプロレスエピソードを披露する連載。第6回は、Netflix『極悪女王』の主人公であるダンプ松本が貫いたヒール像、全日本プロレスのレスラーたちにつけられたリングネームの数々について聞いた。
【ダンプ松本はリング外でもヒール】
――Netflix配信の『極悪女王」が話題になっています。主人公のダンプ松本さんは実家が貧しかったそうで、「お母さんに素敵な家をプレゼントしたい」という思いが強く、ビューティー・ペア(ジャッキー佐藤・マキ上田)に憧れて上京したそうですね。
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柴田:本名は松本香。全日本女子プロレス(=全女)に入門した当時は、童顔で愛嬌があってして可愛い人でした。お父さんは酒やギャンブル癖があって、「苦労しているお母さんを楽にさせてあげたい」という優しい人です。お母さんが作ってくれるニンジンの天ぷらが大好きだって。ただ、ビューティー・ペアに憧れて入門したのに、「お前は悪役(=ヒール)をやれ」と言われて、泣く泣くヒールになったんです。
その後、中山美穂さん主演のドラマ『毎度おさわがせします』にクラッシュ・ギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)とレギュラー出演したり、CMにも出て人気者になりましたね。実家に帰ると近所の人たちからサインを頼まれたようですが、ダンプは「悪役がサインをするわけない! 本当はいい人と思われたら困る」とすべて断っていたそう。昔、お世話になったおばちゃんに頼まれても心を鬼にして断り、会場でも子供ファンがサイン色紙を出したら睨みつけた。時には色紙を破り捨てたりしていましたね。
――ヒールレスラーに徹していたんですね。
柴田:「松本香」から「ダンプ松本」に"変身"したら、トコトンやる。プロ意識がすごかったです。嫌われてナンボ、憎まれてナンボ。心が強くなければできないですよ。
【柴田が避け続けたダンプ松本の竹刀】
――あの頃、ダンプさんが新車を購入したら、すぐに10円玉でボディに傷をつけられたという話も聞きます。
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柴田:古い話だけど、ラッシャー木村さんも、アニマル浜口さんや寺西勇さんと「国際軍団」としてアントニオ猪木さんと戦っていた頃は、家に生卵が投げつけられたり、ガラスが割られたり、車に傷をつけられたり......。飼い犬がストレスで体の毛が抜けて、最後には亡くなっちゃったことも。そういう時代でしたね。
――当時、タイガーマスクのライバルだった小林邦昭さんは、送られてきた手紙の中にカミソリが入っていて手をザックリ切ったとか。以前に小林さんは、それが送られてきた時に「俺は本当にレスラーになった。ちゃんとタイガーマスクのライバルになれたと思った」と話していました。
柴田:"虎ハンター"として大暴れしていた時ですね。でも小林さんと佐山聡さんは、本当はものすごく仲がいいんです。小林さんは料理上手だけど酒が飲めなくて、佐山さんもそんなには飲めないこともあって、ウマが合ったんでしょうね。プロレスの試合は仲がいい者同士か、憎しみあっているふたりが戦うと名勝負になると言います。その点、ダンプと長与千種さんは仲良しだから、あれだけ試合が盛り上がったんでしょう。
――以前、柴田さんは「解説中にレスラーから攻撃を受けることがあった」と話していましたが、ダンプさんら極悪同盟に襲われたことはありますか?
柴田:女子選手からはあまりなかったけど、いろいろなレスラーにやられました(笑)。ただ、一流のレスラーは力の加減がうまいんです。だから僕もケガしない。でも、ダンプの竹刀だけは絶対に避けていた。いろんな人が「本当に痛い」と話していましたから。
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不定期ですけど、今でもダンプはリングに上がっている。ある大会で解説をした時には、「柴田をやっちまおうぜ!」という声も聞こえてくるわけです。いまだに竹刀からは逃げていますが、1回は受けなきゃいけないなとも思っています(笑)。
――くれぐれもケガには気をつけてください(笑)。ただ、もともとダンプさんが使用していたのは、竹刀ではなかったそうですね。
柴田:もともとはチェーンやムチでしたね。でも、場外乱闘のアクシデントでゲストにケガをさせてしまったことがあって。それでケガのリスクが低い竹刀に変更したみたいです。
【全女のレスラーたちの個性あるリングネームの数々】
――ダンプさんのリングネームは、なぜ「ダンプ松本」になったんでしょうか?
柴田:本名の「松本香」で活動していた時、観客から「ダンプみてぇだ!」と指摘されたことが由来です。そこから、極悪同盟のリングネームは重機シリーズになった。「ブル中野」はブルドーザー、「クレーン・ユウ」はクレーンといったように。ただ、早々にネタが尽きたのか、そこでストップしましたね。トラクターなどでは、農村の田園風景が浮かんで、ほのぼのしてしまいますし(笑)。
――次は「コンドル斉藤」さんでしたね。
柴田:そうですね。リングネームは、全女を設立した松永4兄弟が決めていたみたいです。 「ジャッキー佐藤」は、一説では事務所の隣に車の修理工場があって、そこに置いてあった「ジャッキ」が由来になったとも言われてますね。あと、「トミー青山」は、本名は冨高千賀子というんですけど、松永兄弟がよく青山で飲んでいたから、苗字の冨(トミ)と青山でトミー青山。もし松永兄弟が赤坂で飲んでいたら、トミー赤坂だったかもしれません(笑)。
――そんな理由で決めていたこともあるんですね(笑)。
柴田:「ルーシー加山」は、本名が漆原幸恵だから漆原が「ウルシー」になって、ウを取ってルーシーになったんですけど、これは苦しいですよね(笑)。そして、レフェリーも務めたジミー加山(松永国松)さんの知り合いからの紹介で全女に入門したから、「ルーシー加山」になった。あとは出身地から「阿蘇しのぶ」とか、ストレートなものもありましたね。
山崎五紀と立野記代は本名だけどタッグチーム名が「JBエンジェルス」。一方でデビル雅美や、ビクトリア富士美の実姉で覆面レスラーのシルバーサタンなど、悪魔系もいましたね。下田美馬と三田英津子は「ラス・カチョーラス・オリエンタレス」という覚えにくいチーム名だったけど「ラスカチョ」と呼ばれて人気があった。結成当初は北斗晶との3人ユニットで、スペイン語で「東洋の獰猛な子ども」という意味でした。
――リングネームやユニット名を聞くだけで、当時の記憶が蘇ってきますね。
柴田:最初は抵抗があった、というレスラーもいたそうですけど、「名は体を表す」というか、不思議なことにだんだんとリングネームに合わせたファイトになっていくんですよね。
女子に限らず、「どのリングネームが好きか」という話題だけでもプロレスファンはいくれでも熱く語れる。プロレスは本当に奥が深いですね。
(つづく>>)
【プロフィール】
柴田惣一(しばた・そういち)
1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として『夕刊フジ』などで連載中。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。