小説『アイスリンクの導き』第19話 「10年後の翔平へ」

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2024年09月27日 18:20  webスポルティーバ

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『氷上のフェニックス』(小宮良之:著/KADOKAWA)の続編、連載第19

 岡山で生まれた星野翔平が、幼馴染の福山凌太と切磋琢磨しながら、さまざまな人と出会い、フィギュアスケートを通して成長する物語。恩師である波多野ゆかりとの出会いと別れ、そして膝のケガで追い込まれながら、悲しみもつらさも乗り越えてリンクに立った先にあるものとは――。

 今回の小説連載では、主人公である星野がすでに現役引退後の日々を送っている。膝のケガでリンクを去る決意をしたわけだが、実はくすぶる思いを抱えていた。幼馴染の凌太や橋本結菜と再会する中、心に湧きあがってきた思い...。

「氷の導きがあらんことを」

 再び動き出す、ひとりのフィギュアスケーターの軌跡を辿る。
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第19話 10年後の翔平へ

 波多野ゆかりは、小さくてかわいかった星野翔平を呼び止め、思い切って話しかけたときの光景をよく覚えている。

 野岳山合宿の後、リンクの脇で丁寧にブレードの水分をタオルで拭いている翔平を見つけた。大きな黒目でスケート靴を見つめながら、愛おしそうに扱う姿に一瞬で吸い込まれた。理屈ではない。氷の上で踊るように滑る姿と合わせ、それは自分の中でスイッチを押された感覚があった。

「世界中の人に、あなたのスケートを見せましょう!」

 当時12歳だった翔平に突然、波多野は言った。一目惚れの感覚に近い。

「僕は凌太じゃないですよ?」

 翔平は面食らっていたが、見間違えるはずはなかった。

 波多野は話し込みながら、湧き上がる衝動を抑えきれずにいた。年端のいかない少年に輝きを感じた。雨上がりの晴れ間のように鮮やかで、決して与えることはできない光を纏っていた。持って生まれたもの、あるいは勝手に身についた輝きだった。

「お母さんとお父さんに相談します」

 律儀に言う少年を、どうしても自分の懐に入れたくなって、大人げなくがっついて、「あなたは、あなたの美しい演技ができる」と褒めちぎった。「自信がなくて」と目を伏せる姿に、「練習好きは才能よ」と大声で励ました。

 一人の少年の才能に惚れ込んだのだと思う。ローマ神話のビーナスの子、キューピッドに黄金の矢で心臓を打ち抜かれたように。それはほとんど恋そのものだった。もう、絶対に彼を離したくない。強力な引力を感じた。

「一番になるのもいいけど、世界中のみんなに、素敵って言われる演技を目指さない? 翔平君だけのスケートを」

 翔平は素直に、「はい!」と返事をしたのだった。

 波多野は、全身でときめきを感じていた。これは楽しい人生になる、と確信した。その成長を間近で見守って生きていくことが、スケート界にかかわる人間として、どれだけ幸せなことか。世界中に向けて叫びたくなった。

「私は今、最高に幸せなの!」

 これからリンクで彼が創り出すスケートに会うたび、私はウキウキし続けるだろう。今日はどんな滑りを見せてくれるのか? どんなスケーターになっていくのか? 日々、それを肌で感じ続けるのだ。

〈自分の青春時代はもう過ぎた。残った命を燃やして、何かを彼に伝えたい〉

 波多野は、指導者としての使命感につき上げられるようだった。

 それから10年、翔平と一緒の日々を過ごすことができた。自分の勘が間違っていなかったことが誇らしかった。一人になってバーでワインを飲んでいるときなど、知らない人に自慢したくなったが、下品な行為をどうにか耐えた。初恋を楽しんでいる無垢な少女のようだった。

〈思いは自分の中だけに沈めて、ひそやかに楽しむの〉

 大人の波多野は内心でそう囁いた。

 あと10年後、どうなっているのか?

 今、こうして病床で横になっている自分は、それを見守ることはできないだろう。その不幸に、一気に気持ちは暗くなった。しかし、翔平が輝く姿を10年も一番近くで見守ることはできた。

「悪いものではなかった」

 波多野は自分の人生をそう誇ることができた。

 小、中、高校生と氷の上で好きなように踊り続けてきた。大学生になり、全日本の舞台に立てたのはうれしかった。しかし表彰台は遠く、「いつまでも競技を続けられない」という年齢が迫っていた。大学卒業と同時に、自分は大好きなスケートから離れるのだろうか。そう考えると、世界に帳が下りるように悲しくなった。

 20歳になる年、長野で冬のオリンピックがあった。親に旅費を無心した。祖母が成人式の振袖を買ってくれると言ったが、「要らないから、代わりに五輪の試合を生で観たい」と懇願した。

 1950年代、60年代を代表する日本女子フィギュアスケーターで2度のオリンピックに出場した浅丘雪乃選手の8ミリフィルムを食い入るように観ていた。海外の試合のすばらしさ、街の素敵さを感じ、その映像自体にすごく憧れがあった。それを長野で観られるなら、"絶対に行きたい!"と思った。女性が海外に一人で行くなど、当時は夢の時代だったのだ。

 だから、日本国内で行われるなら、そんなチャンスは巡ってこないと思っていた。

〈大阪から鈍行列車を乗り継いでも本場のスケートを観に行く〉

 不退転の気持ちだった。それにきっと、「スケートが好き」という自分の気持ちを試したかったのだ。

 結局、飛行機代もホテル代も親と祖母が賄ってくれたのだが、現地では練習から夢中で見た。血眼になって、選手たちの一挙手一投足を追った。特に男子選手が本当に素敵で、氷の上で自由に踊って滑れて、振り付けが曲に合わせて格好よく、ジャンプを跳べていた。

〈これがフィギュアスケートなんだ!〉

 胸がドキドキし続けるほど、開明的だった。

「踊ってジャンプして、こういう選手を育てたい!」

 それが指導者への原点になった。

 日本全体では、男子選手が「踊るプログラム」は浸透していない時代だ。世界でも、踊れた選手は主流ではなかった。「手のひらを真下に向け、腕は伸ばして」という型にはまった滑りが基本だったのである。

 自分が選手だった時代はコンパルソリーの練習がメインで、氷上を滑って課題の図形を描き、その滑走姿勢と滑り跡の正確さを競った。図形=フィギュアという言葉が、フィギュアスケートの由来である。そのため、競技の草創期は「物事をコツコツとできるか」「寒いところでも続けられるか」という規則的な正確性や辛抱強さのような技術や性格が求められた。

 コンパルソリーはその後、ショートプログラムに置き換わり、ほぼ廃止されている。

 波多野は確信していた。一つの時代が終わって、「男子選手も踊らないといけない」という新しいフィギュアの流れになる。男性がダイナミックに繊細に、アーティスティックな振り付けで踊る姿は魅力的で、それに人々は気づくだろう。

 そしてやがて、華麗に踊って、スケートのうまさを存分に見せる男子選手たちが数多く現れたが、一方でフィギュアスケーターに求められる資質は時代とともにどんどん変わる。

 フィジカル面では、ジャンプを跳ぶために速筋と反射の速さは欠かせないものになった。ジャンプを跳べないと点数に反映されない。トップレベルで戦うには最低限のフィジカルは必要になった。ジャンプは少しずつ培って成長できる選手もいるが、「4回転を何種類も必要」となると、そこまでいける選手は絞られる。踊ること、スケートがうまいこと、よりも単純な「何回転跳べるか」という競技性が突き出た。

 しかし、波多野は信じていた。

 フィギュアスケーターにとって、フィジカルは絶対的な資質ではない。

「何があっても、スケートを好きでいられるか」

 それこそ、時代が変わっても同じく一番に求められる資質と言える。結局のところ、本人がコツコツと練習を積み重ねるしかない。スケートに対する一途さが試される。

 その結実として、踊りやうまさが問われる。

 そもそも、ジャンプは「跳べない」という先入観が強いと、どんなジャンプもうまく跳べない。跳べない、と言われているジャンプが、一人跳ぶことで、どんどん跳べるようになる現象は、跳べない、というネガティブな思いに下に引き込まれるのではなく、跳べるかもしれない、というポジティブな思いに上へと引っ張られるからだ。

 指導者として、そうした論理で男性選手を教えてきた。全日本ジュニアで優勝するような選手もいたし、全日本に出場選手がいて、全力を尽くしてきたつもりだった。しかし教えられない領域があって、そこにジレンマも抱えていた。

 翔平は、その論理を超えたスケーターだった。

 彼は中学に入るか入らないかで、「自分はどういうスケーターになりたいか」をはっきりとイメージできていた。スケーティングへのこだわりは、過去に指導してきた選手と比べると段違いだった。たとえば体が硬くても柔らかく見せられるように、自分が理想とするスケートをイメージしながら、とことんトレーニングし、それに近づいていったのだ。

 指導者としてセンスという言葉を使うのは、あまり好ましくないと思っている。しかし、どうしても才能の部分はある。たとえば体の使い方や足の運び方は、半ば生来的なものだ。

「ちょっとこんな感じで滑って」

 さりげなく振り付けをしてみせた後、すぐに感覚を掴めるのはセンスである。いちいち手と腕をここに持ってきて、と教えなくてもできる。

 翔平は非現実的な異能も持っていた。ずっと跳べなかったジャンプを、もしかしたら今日は跳べるかもしれないと思いながら日々を過ごしてきて、"大事な競技会の日に、それがドンピシャで当たる"。あり得ない話のようだが、それが起こった。ほとんど、漫画やドラマの世界だ。

「奇跡を信じられる」

 その博打性も、翔平の本当の魅力だった。指導者としては、能力の足りなさに頭を抱えるしかない。しかし、奇跡に懸けたくなってしまう。

〈翔平にチャレンジさせたら、本番でパチンとうまくいく〉

 そう思わせるだけの博打師の気配を彼は持っている。ここぞ、の勝負運というのか。

 指導者としては、翔平が奇跡を生み出すサイクルに翔平が入るように工夫はしてきた。まず、練習はボロボロになるほど追い込む。泥臭く氷の上を這うようだって、美しくなくたって構わない。プログラムをマストで滑る間、ディテールにこだわる。細かく部分、部分で区切って曲をかけ、「そこまで執拗に練習する必要があるか」というところまで追い込む。「これ以上、できない」と翔平が悲鳴を上げるまで、一回、突き落とす。

 そこから上がってくるときに、真価は出る。博打にも勝てる。

 スケートが好きだからこそ、翔平はそのサイクルに耐えられて、結果を残せたのだ。

 やはり、翔平は輝く勝利者である。

 いや、そうではないか。

 波多野は思う。

 私は、一心不乱に氷の上で踊っている姿が好きなだけなのかもしれない。たとえ勝たなくたって、それで心は満たされる。これぞ追い求めてきたフィギュアスケートだと胸を張れる領域にまで、一緒に連れて行ってくれる。

「体の細胞が全部、曲に反応しているわ!」

 ぞくぞくするほど興奮したものだ。指導者として褒められたことではないが、勝敗やタイトルよりも、その一瞬にこそ、価値を感じた。永遠の一瞬だ。

 そこで、ふと考えつく。

 翔平への手紙はすでに一通、心を込めてしたためてあって、清書をして封筒に収めていた。自分がこの世界から去ったら、読んでくれるだろう。しかし生来の悪戯っ気が出て、サプライズを思いついた。

〈10年後の翔平へ、というメッセージを残す〉

 痛みを止めるための投薬で、すでに意識が途切れる時間も出てきている。病気は進行し、一度は手術を試みたが、手がつけられない状態だった。薬物療法にも挑んだが、あまりに負担が大きく、死ぬほどの思いをした。しかし、結果は思わしくない。手詰まりの状態になって、痛みを散らしながら、日々を重ねていた。

 容態が悪くなっているのは、自分の体だからよくわかった。今のうちに下書きをしたため、最後の力を振り絞って清書しよう。残された時間、最後まで自分の命を燃やし尽くそう、と気持ちを奮い立たせた。

 昔から、思い立ったが吉日だ。

 電動ベッドの背中の辺りの角度を上げ、体を起こしてテーブルを引き寄せた。引き出しからメモ帳を兼ねたダイアリーを取り出し、翔平が誕生日にくれたボールペンを手に持った。準備は整ったし、構想はすでにあったが、書き出しに迷う。すでに一通、手紙を書いているだけに、同じでは芸がない。我が子のように大事な翔平のために残す一通なのだ。

 見渡すと、部屋の中はガランとして静かだった。夫に「気を遣わなくていい、大部屋でいいよ、値段も高いんだから」と伝えたが、個室を用意してくれていた。遠くで、誰かの声が聞こえる。夕暮れ時、面会時間の最後に滑り込んだのだろうか、華やいだ声だった。

 窓からは空が見えた。夕焼けで本当に真っ赤だった。太陽が高い位置にある昼間は、青い色の光が散らばる。夕方になって太陽が低くなると、光が地球上の大気の層を通る距離が長くなり、散乱されにくい赤い色が残る。赤が一番遠くまで届く色なのだという。最後に残る色、とも言える。自分たちが感じる夕暮れのノスタルジーは感覚的なものだが、実は科学的に実証されているのだ。

 波多野は、ゆっくりとボールペンを走らせた。

「真っ赤な夕焼けを見ながら、この手紙を書いています。

 10年後の翔平は、どんな日々を送っていますか?

 32歳の風景は、どんなですか?

 まだ、スケートを滑っていますか?

 質問ばかりが出てきます。

 翔平が決めた道だったら、それはきっと正しいはずです。突き進んでほしい。誰が何を言ったとしても、私はあなたの味方です。

 もしスケートを選手として続けていたら、新時代を作るようなものでしょう。普通だったら想像できませんが、翔平だったらあり得ると思います。だって、翔平だもんって。

 一度、休んだっていいから。現役復帰なんて、誰もが予想しないことをやっているかもしれませんね。あなたは本当にスケートが好きだから、一度引退しても、また続けたくなっているんじゃないの? 自分の衝動に素直に従っちゃいなさい。あとは、きっとどうにかなるわ。あなたには人が集まるから。本気になったとしたら、必要な人や機会は後からついてくるはずよ。

 右膝のケガは、一生まとわりつくものでしょう。スケーターにとって膝の前十字靭帯を痛めるということは、翼をもがれるようなもので。あなたにその業を背負わせてしまったのが、指導者としての心残りです。あの時、ああしていれば、こうしていれば、というのばかりを考えてしまいます。

 私自身、病魔と戦うことで、罪滅ぼしをしたかった。最後まで戦い抜きます。でも、これをあなたが読んでいるとしたら、力尽きたということなんでしょう。膝の治療、リハビリ、復帰にも付き合うことができなかったことは、許してね。

 あなたは粘り強く膝の痛みとも向き合って、自分の人生に引き入れていました。運命に対し、少しも逃げなかった。その勇敢な姿に、どれだけ私が救われたことか。

 きっと、それはあなたの優しさだったのでしょう。

 10年後も、翔平がそうやって生きていてくれたらうれしいです。それだけで、十分かもしれません。

 あなたは苦難を乗り越えることで、誰かを幸せにしているんです。本人は大変でしょう。でも、乗り越えるたび、強さを増して、輝きを放っているはずです。

 無責任に期待しすぎ?

 だって、それが私の見込んだ翔平ですから。

 たとえ何をしていたとしても、あなたらしく生きていてください。あなたらしい、なんて決めつけのようだけど、この際、決めつけちゃいますよ。だって、最後のメッセージですから。それも、10年後に向けての。何も確定していることなんてないんだから、私の個人的な希望を書き込んでいるだけです。

 ちょっと迷惑ですか?

 呪いになってしまうかな?

 その時は、『適当なことを書きやがって』って笑ってください。実際、たわごとに過ぎません。私は今、夢うつつにいるんです。

 あなたのこれからのスケート人生、一緒に過ごすことができないのは残念ですが、一緒に過ごせた10年間の方をかみしめることにしますね。10年後の翔平に思いを馳せながら。

 空では最後まで残っていた赤が、黒い闇に飲み込まれていきそうです。ただ、怖くはありません。むしろ、力が湧いてくるのです。

 あなたは、青い光に満ちた世界で羽ばたき続けてね。

 10年後の翔平へ 」

 波多野は下書きの出来に満足した。ダイアリーを閉じ、引き出しにしまった。便箋に清書するのは明日にしよう。明日やるべきことができたことは、悪いことではない。一日でも、長く生きるつもりだ。

「夕食の時間ですよ」

 ほとんどノックと同時に看護師が夕食のトレーを持って入ってきた。

 食欲はまるで湧かなかったが、できるだけ食べることにした。少しでもこの世界に留まるために。

「今日のデザートはティラミスですよ」

「それはうれしいわ」

 波多野は看護師の言葉に答えた。

「病院の厨房ですが、元パティシエの方がいるらしく、デザートだけは贅沢ですよね。私もごちそうになりたいくらいです」

「そうそう、他は素っ気ないのに。デザートで食欲が出るのよ」

 波多野はそう声に出すと、本当に食欲が出た気がした。

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