「誰一人取り残さない」 日本初の全盲弁護士が目指す孤立なき社会

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2024年09月29日 07:01  毎日新聞

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日本視覚障害者団体連合の第7代会長を務める竹下義樹さん=東京都新宿区で2024年8月7日、桐野耕一撮影

 視覚障害者自身の手で、「自立と社会参加」を実現する――。その目的を達成するため、「日本視覚障害者団体連合」は、政府との交渉や就労支援などに取り組んでいる。会長を務めるのは、日本初の全盲弁護士、竹下義樹さん(73)。出身地の石川県輪島市は1月の能登半島地震と9月の能登豪雨で被災し、支援活動の課題を肌で感じた。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が掲げる「誰一人取り残さない」ことを目指し走り続けている。


 ――狭き門の弁護士を目指しました。


 ◆15歳で失明すると、当然のようにあん摩マッサージ指圧師の資格を取りました。人の疲れを癒やすやりがいのある仕事と感じました。しかし、普通高校に通う友人は医師や教員、スポーツ選手など十人十色の夢を語り、私にも選択の自由があると考えました。失明前に小説やテレビで触れていた弁護士や検察官の姿が浮かび、「これだ!」と思いました。


 ただ、司法試験が最難関の国家試験と知らず、法学部に入学さえすればなれると甘くみていました。当時まだ点字の六法全書や教科書はありません。点字の試験問題は用意されず、事実上門戸が閉ざされていました。一緒に法曹界を目指した仲間が、法務省に働きかけ、点字受験の道が開かれました。8回も落ち、何度もくじけそうになりましたが、希望は捨ててはいけない。重要な人生訓です。


弁護士の活動「寄り添うことが大切」


 ――忘れられない裁判をご紹介ください。


 ◆年間100件程度の訴訟を扱っていますが、人の痛みを自分のこととして受け止め、寄り添うことを心がけています。


 1990年に起こした「柳園訴訟」は、日本の福祉行政に一石を投じたと自負しています。病気が治ったのを機にホームレスの男性が生活保護を打ち切られました。しかし、男性に働く場がなく収入がありません。生活実態を見ないまま、事務的に処理する行政の姿勢に強い疑問を抱き、国家賠償責任を求めて勝訴しました。


 指定暴力団山口組の下部組織による警察官射殺事件で、組長の使用者責任を確定させた2004年の最高裁判決も忘れられません。遺族側の弁護団長として身の危険を感じながら闘いました。判決は改正暴力団対策法に反映されました。


 苦い経験もあります。弁護士1年目の1984年、窃盗で起訴された男性を担当した刑事裁判です。養育放棄された家庭事情から執行猶予が付くと思い込み、本人に「大丈夫だ」と軽々しく伝えました。実際は実刑でした。高裁で私たちの主張は認められましたが、どんな仕事も思い込みは厳禁です。


 時代とともに法律は改正され、国民のニーズも変化しています。社会の変化に応えるためには学習し、柔軟性を持ち合わせていなければなりません。


「災害弱者への支援必要」


 ――故郷は震度7の地震や豪雨に見舞われました。


 ◆私の家族や親戚に死傷者は出ませんでしたが、地震で実家は全壊に近い状態です。地域の人々も同様に先行きの見えない不安を抱えています。日本盲人福祉委員会の理事長として、東日本大震災など過去の災害では、被災地の福祉施設に生活物資の搬送などを行ってきました。


 二つの災害で浮かんだ課題は孤立です。道路や通信網が遮断され、安否確認は大幅に遅れ、支援も行き届いていません。高齢化と過疎化が加速しています。施設の入居者はもちろん、1人暮らしの災害弱者の安否をどう確認し、手を差し伸べていくか。検討を急ぐ必要があります。


新技術導入で困難感じるケースも


 ――日本にも多様性を重視する意識が根付いてきたように感じます。


 ◆課題は山積しています。例えば、レストランの注文にタッチパネルが導入されていますが、音声対応していないケースが目立ちます。大雨などの気象警報が出たとき、テレビで警告音が発せられますが、文字だけではどんな警報か私たちに分かりません。


 ハイブリッド車の普及時もエンジン音が静かで車が近づいても気づかず、多くの視覚障害者がヒヤリとした経験を持っています。新技術の導入や制度の改正は止めることはできません。導入前に相談される機会も増えていますが、私たちの声を取り入れていただくことは、誰にとっても暮らしやすい社会になると確信しています。


「あらゆる媒体の点字化 実現したい」


 ――来年はフランスのルイ・ブライユが点字を考案してから200年です。


 ◆江戸時代の全盲の国学者の塙保己一(はなわ・ほきいち)は、音だけでなく、手のひらに漢字を書いてもらったりして物事を覚え識別できるようになったと伝えられています。私自身も触覚から多くを学び、弁護士になれたのは、仲間が作成してくれた点字の六法全書のおかげです。カセットテープでは、復習したい部分を探し出すのはとても大変でした。デジタル社会を迎え、点字を使わない視覚障害者も増えつつあります。しかし、記憶の定着には触覚が重要です。


 隣の韓国では17年に点字法が施行され、さまざまな文書や場面で点字の使用を求めることができます。点字の普及により学びの場を提供することが、視覚障害者の社会参加の道を広げます。日本国内でも電子図書などあらゆる媒体が点字化されるよう、関係機関と協力し、実現に向けて尽力する決意です。【聞き手・田中泰義】


竹下義樹(たけした・よしき)


 1951年生まれ。石川県出身。中学3年のとき、外傷性網膜剥離で失明した。龍谷大法学部卒。81年に9回目の受験で司法試験に合格し、84年京都弁護士会登録。主に生活保護や障害者支援など社会保障を巡る民事を担当している。2012年に日本盲人会連合(現・日本視覚障害者団体連合)の第7代会長に就任した。87年、弁護士の職域開拓と精力的な活動が評価され点字毎日文化賞受賞。22年に障害者雇用施策への貢献で内閣府の障害者関係功労者表彰。趣味は登山。北アルプスや海外のヒマラヤ、米アラスカなどにも足を延ばしている。


日本視覚障害者団体連合


 視覚障害者福祉協会などの名称で都道府県や政令市で活動する59団体の連合体。1948年に結成され、現在約5万人の全盲や弱視の人らが会員として参加する。視覚障害者の支援や情報提供事業、生活相談事業のほか、点字図書館や点字出版所も運営している。2019年に「日本盲人会連合」から現在の名称に改名した。なお、厚生労働省によると、身体障害者手帳を交付されている視覚障害者は22年度末で全国に約32万人いる。



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