両親の死後、絶縁した兄の嫁からの“要求”に愕然…「両親が不憫で泣いてしまいました」

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2024年09月30日 16:01  日刊SPA!

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姑や小姑は、身内といっても所詮は他人。1度モメると、関係を修復させることは難しいだろう。中山陽子さん(仮名・50代)は、「兄の嫁」と真剣にバトルした経験があるそうだ。
◆金持ちで超絶高飛車な兄の嫁

中山さんは岩手県生まれ。2人きょうだいで、現在も岩手で暮らしている。兄の晴人さん(50代・仮名)は大学になると同時に上京し、就職とともに結婚。この兄の嫁である佑子さん(仮名)と、中山さんは現在絶縁しているという。

「兄は社交的で世渡り上手なところがあり、会社の社長令嬢と結婚したんです。詳しいことはわかりませんが、兄が頼み込んで結婚した様子で、いつもペコペコしている。私にも初めて会ったときからナチュラルな上から目線で、挨拶すらない。仕方がないのでこちらから声を掛けると、『どうぞ、よろしく』のみ。ツンケンしているし、向こうからは絶対に話しかけてこない。私が話しかけても、すましたような顔で『ああ、そうなんですか』ぐらいしか言わない。人を上から見ているような感じで、印象最悪でした」

◆兄の実家には顔を出さず、親に孫の顔を見せない

結婚からしばらくして、兄夫婦の間に初孫が生まれる。

「中山家にとって大事な初孫ですが、命名も相談なしの事後報告。その後、まったく顔を見せにこないんです。母に聞くと、兄嫁の実家で出産し、3年間全く帰ってこないと。向こうにとっても初孫で、かわいがられているらしいんです。そこで初めて知ったのですが、兄は嫁の実家で暮らしていて、しかも豪邸。さらに高級外車を乗り回しているそう。両親は『孫の顔が見られない』『晴人は向こうの人間になってしまった』と嘆きっぱなしでした。悲しそうな顔を見るたびに、許せないという気持ちが湧いてきました」

両親の悲しみを見た中山さんは、兄の晴人さんに電話で実家に帰り、孫の顔を見せるよう要求したそうだ。

「兄に電話で『親を悲しませていいのか。おかしいのではないか』と話しました。しかし、『佑子が帰りたくないと言っている』と、とにかく佑子、佑子で。それでも『あなたの息子はどこの家の子なの?』『尻に敷かれたままでいいの?』と激怒した結果、ゴールデンウィークに帰って来ることになりました」

◆手料理に口をつけず、「こういう料理は初めて見た」と…

実家にようやく戻ってきた兄。そこでも兄の嫁がモンスターぶりを見せたという。

「私も同席し、夕食をともにしたのですが、晩御飯の支度などはすべて母と私が担当。母は人が良いので兄の好きな和食を作って待っていました。おそらくわざとなのでしょう、18時ごろに帰ってきて、手伝いもせず、そのまま食事という流れになりました。両親は孫の顔を見られて嬉しかったようです。兄も久しぶりに味わう実家の料理に喜んでいたようですが、兄嫁は子どもの世話をするふりをして、ほとんど料理に手を付けていない。私が『遠慮せずにどうぞ』と、わざと食べるように促すと、一口、口に入れて終わり。

見かねた母が『都会の人には口に合わなかったかな』とつぶやいたんです。すると『そうですね』と。私が怒りに任せて『それなら食べなくていいですよ』と言うと、嫌味な感じで『こういう料理は初めて見たもので』と。さらに子供も『まずそう』『おいしくない』を連発して、諌めることもなく『後でなんか食べよう』と堂々と言うんです。ここで兄が割って入り、『好き嫌いが激しいから』『口に合わないなら、食べなくていいよ』と。ふざけんなという感じでした」

◆「都会育ちだから」とヘラヘラ笑うばかりの兄

食事後も、理解し難い行動は続いた。

「食事を終えたあと、普通は『皿を洗いましょうか?』と手伝うものだと思うのですが、兄嫁は一切そういうことをせず。頭にきたので『あたな、それでも長男の嫁ですか?』と言うと、『私は、私ですし、晴人に良い生活をさせているのは、私の家なんですよ』と。それどころか、1人で『私、先に行ってるね』と言い残し、子供を連れてその場を離れて消えていったんです。

その場が唖然として凍りつくと、兄が『佑子は田舎に慣れていなから』と笑いました。両親は諦めているようでしたが、私は『長男の嫁でしょ。なんでなにもしないの?』『苗字、中山だよね』と怒りをぶつけました。すると兄はヘラヘラ笑うばかりで、『都会育ちだから』『仕方ないんだよ』と言い残し、嫁の待つホテルに戻りました」

兄嫁はそのまま顔を見せることなく、帰宅したという。

「翌日は挨拶もなく、『帰るから』と連絡があったのみだそうです。その後はつきあいもなく、絶縁状態になりました。父によると、兄は何度か返ってくることはあったそうですが、いつも1人で、家族は連れてこなかったそうです。『成長した孫の顔がわからない』と嘆いていました」

◆久しぶりの連絡は「遺産をよこせ」

それから長い月日が流れ、先に父が亡くなり、後を追うように母が亡くなるが、このタイミングでまたもや厄介な出来事が発生する。

「介護をしていたのは、私です。兄嫁は父の葬式にも、『仕事が忙しい』と言って、向こうのご両親が来た程度です。母の死後、相続の話になりました。岩手の実家に住む人がいなくなってしまったことから、『長男が住むべきではないか』と親族は言うのですが、兄嫁が『私は寒いところが苦手なので、岩手では暮らせません』と拒否したんです。『それなら、相続を放棄ということで、遺産は入りませんよね』というと、『受け取る』というから呆れました。金持ちのくせに、お金はほしいというのですから。兄は黙ってその話を聞いてました」

勃発した遺産バトルの結末はどうなったのだろうか。

「結局兄も嫁の味方であると同時に、岩手に戻りたくはなかったんでしょう。『家を継ぐ気はない。もう関わりたくないので、遺産はいらない』と言い残し、去っていきました。兄嫁はかなり怒っていましたが、納得したようです。私はとにかく両親が不憫で泣いてしまいました。幸い同席していた私の夫が、実家に住むことに同意してくれて、今は私が実家で暮らしています。兄には『2度と家の敷地内に入らせない』という念書を書かせてあります」

嫁の行動をきっかけに絶縁してしまったきょうだい。互いがリスペクトしあう気持ちを持っていれば、こうはならなかったであろう。

<TEXT/佐藤俊治>

【佐藤俊治】
複数媒体で執筆中のサラリーマンライター。ファミレスでも美味しい鰻を出すライターを目指している。得意分野は社会、スポーツ、将棋など

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  • 確かにこの兄嫁はヒドいけど「長男の嫁でしょ」「普通は『皿を洗いましょうか?』と手伝うもの」と昭和ルールを振りかざす義妹も負けず劣らずツンケンしてると思う。
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