【写真】事実はドラマより壮絶なり!? 『極悪女王』こだわり詰まった新カット
本作は、企画・脚本・プロデュースに鈴木おさむ、総監督に白石和彌のタッグで描く、ダンプ松本の半自伝ドラマ。
舞台となっている1980年代は、コンプライアンスやハラスメントといった言葉もほとんどない時代。当時アイドル的人気を博していたクラッシュギャルズの敵役だったダンプ松本は、今では考えられない壮絶な生活をリング内外で送っていた。『極悪女王』本編では描き切れなかったエピソードがまだまだあるので、ここで一気に紹介していこう。
■短刀をリングに持ち込む
松永高司社長(当時)に「リング上で殺しても刑務所に入らないんですよね?」と確認をとった上で、本物のドス(短刀)をリング上に持ち込んだダンプ。敵陣の赤コーナーに刺したら、セコンド陣たちが真っ青。テレビ中継関係者から「銃刀法違反で捕まります」と泣きつかれた。
■敗者髪切りデスマッチで番組打ち切り
85年8月28日、大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチでは、長与千種が大流血、丸坊主、ダンプの凶器攻撃で陰惨シーンが連続。関西で中継番組をレギュラー放送していた関西テレビ(カンテレ)に苦情が殺到したため、急きょ放送は打ち切りに。月1の深夜枠から週1昼のレギュラー枠に昇格した直後だっただけに、浪速のファンはがっかり。
|
|
ファイトマネーに加えてバラエティー番組やドラマ、CM、雑誌、レコードほか、有名芸能人として多忙を極めた24歳のとき、ダンプの年収は6000万円に達した。最高月収は580万円。ダンプが勝利した敗者髪切りデスマッチ(85年8月28日、大阪城ホール)の1試合のギャラは300万円だった。
■フジテレビ系の女子プロレス中継が月に8度
絶頂期の85年、首都圏では月曜夜のレギュラー放送に加え、土曜と日曜の夕方にも隔週オンエア。月に8度もフジテレビで放送された。85年8月22日の日本武道館決戦は、特番でゴールデンタイムに放送され、15.1%の高視聴率をマーク。同年10月に『女子プロレスを1000倍過激に楽しむ方法』、翌86年正月に『女子プロレス お正月だって過激だよ!』の特番も、ゴールデン帯で90分にわたり放送された。
■サイン会に3000人が殺到して中止に
引退を表明した後、極悪同盟初のサイン会をデパートの屋上でやることになったが、3000人ほどが殺到。会場に入りきれなくなり、急きょ中止に。
■グッズ売り上げ1000万円
地方では、グッズ売り上げだけで1大会1000万円に達したこともあった。しかし、極悪同盟のグッズではなく、大半がクラッシュ・ギャルズだった。
■全ての乗り物で嫌がらせを受ける
ダンプはファイトマネーで新車のフェアレディZを350万円で購入するも、初めて運転して道場に行った日に10円玉で傷をつけられた。しかも、横線で修理代が高くつく方法だった。翌日、バイクで行くとタイヤをパンクさせられた。自転車で行くとサドルを盗まれ、タクシーを捕まえようとしても乗車拒否された。
|
|
東京・下目黒の道場付近で、挙動がおかしい若い男性が電信柱の陰などに隠れながら、極悪同盟のメンバーをストーキングしていた。その異常性を察知したメンバーが捕獲し、警察に連行。容疑者は「隙があれば殺そうと思った」と自白した。
■毎日届くカミソリ入りの手紙
毎日のように届けられたのは、カミソリ入りの手紙。どこから開封しても手をけがするように、四方にカミソリが仕込まれていた。
■600人のファンが大型バスを揺らす
85年8月28日、大阪城ホールで行われた敗者髪切りデスマッチを終えたあと、興奮したファンが移動用の大型バスを囲み、揺らし始めた。その数およそ600人。全日本女子プロレス興業のスタッフは、極悪同盟の宿泊先を急きょ変更し、ビジネスホテルからアップグレード。ダンプは結果的に得したと喜んでいたという。
Netflixシリーズ『極悪女王』は、Netflixにて全5話一挙配信中。