土砂避け、腕で顔覆った姿で 三重・宮川豪雨、父亡くした娘の20年

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2024年10月04日 14:16  毎日新聞

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毎日新聞

崖崩れで父親の鈴木一平さんが犠牲になった実家があった場所に立つ大原勝子さん=大台町滝谷で2024年9月10日午後3時43分、下村恵美撮影

 2004年の台風21号に伴う大雨により、三重県宮川村(現大台町)で崖崩れなどが発生し、死者6人、行方不明者1人が犠牲となった災害から9月29日で20年が過ぎた。犠牲者の遺族は今も悲しみを抱きながら、防災への意識を新たにしている。【下村恵美】


 大台町大井の大原勝子(まさこ)さん(65)は旧宮川村滝谷地区を襲った崖崩れで、父親で村議だった鈴木一平さん(享年68)を亡くした。「家族には厳しかったが、村議として地域のために尽くした人だった」としのんだ。


 当時の宮川村では台風21号の影響で前夜から激しい雨が降っていた。ただ、夜が明けた段階で被害はなく、雨は多い地域だったこともあり、村役場は通常業務を開始した。


 大原さんも「いつもと同じ雨の日の朝」と息子を隣町の高校へ送った後、村内の職場に出勤した。まもなく雨脚が強くなり、雷鳴がとどろく中、帰宅した。自宅で家族と倉庫の米を、ぬれないように移動させていた時、誰からだったのかは覚えていないが、実家の異変を知らせる一報が届いた。


 実家へは車で5分足らずの道のり。一度向かおうとしたものの、目の前で滝のように水が流れている道路を見て引き返し、長靴などを用意して再び実家に向かった。


 近所に到着すると、母・才枝子(さえこ)さんはすでに知り合いの家に身を寄せていた。ほっとしたのもつかの間、裏の山から木々や土砂が家の中を突き抜けて玄関まで押し寄せていた実家の無残な光景が目に飛び込んできた。


 才枝子さんに聞くと、前夜からの豪雨で停電になったため、両親は食事の用意をするために屋外にいたという。ただ、一平さんは「家の裏で音がする」と言って見に行ったきり、行方がわからなくなった。


 県や大台町の資料によると、当時の宮川村役場近くに設置された明豆(みょうず)地区の雨量計は、9月29日午前9〜10時までの1時間に131ミリという記録的な大雨を計測した。午前9時20分には宮川村に記録的短時間大雨情報が出され、午前9時38分の土壌雨量指数は過去数年間と比べて最大値を示していたという。土石流や地滑りなども起き、中でも滝谷地区で午前10時ごろに発生した崖崩れで死者や行方不明者が出る惨事となった。


 土砂崩れのあった翌日、自衛隊らの救助活動により、一平さんは発見された。家にもたれるようにして立ち、土砂を避けるように腕で顔を覆っていたという。


 家も一平さんも失った才枝子さんは親戚の家に身を寄せた後、仮設住宅へ移り住み、大台町内に新しく家を構えた。21年に85歳で亡くなったが、テレビで土砂崩れの映像が流れるたびに「思い出して怖い」と言って目を背けていたという。


 元日の地震で被害を受けた石川・能登半島が新たに豪雨災害に見舞われるなど毎年、全国各地で大雨による災害が起きるたびに、大原さんは心を痛める。自らの体験もあり、「避難所へ向かう途中に道路が崩れたら」と考えると足がすくむという。「何が正解なのか、わからないけど、避難する場所などを近所の人や家族と共有しておけばいいのかも」と身近な備えの大切さを訴えた。



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