「3人でよく旅行に」“孫悟空”野沢雅子×しずかちゃん“野村道子” レジェンド声優2人が明かす「大山のぶ代さんとの思い出」

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2024年10月11日 16:01  web女性自身

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私たちが子供のころ笑いや勇気をもらった声の持ち主たちが、悲しくも天国へ召されることが多くなった。10月11日には、「ドラえもん」のドラえもん役で知られる声優で俳優の大山のぶ代さんが9月29日に亡くなっていたことが明らかとなった。



声優界を生き抜いてきたレジェンド2人が、仲間の思い出や、当時の苦労話を語り合う。



野村道子 マコさん。久しぶり〜。


野沢雅子 わあ、みっちゃん! 今日、娘に運転してもらってここまで来たのよ。覚えてる?


野村 由華ちゃん! 面影が残っているからすぐにわかった。ウチに子供のころの写真があるわよ。


野沢 仕事現場でも、近所に住んでいたから商店街でも、よく会ったわね。



――久しぶりの再会を喜んだのは、『ゲゲゲの鬼太郎』の初代鬼太郎、『ドラゴンボール』の悟空のマコさんこと野沢雅子さん(87)と、『サザエさん』の2代目ワカメちゃん、『ドラえもん』の初代しずかちゃんの、みっちゃんこと野村道子さん(86)。声優界のレジェンドの2人は、声優黎明期からの60年来の友人だが、ともに人生を歩んだ第一世代の訃報が相次いでいる……。



野村 近々、マコさんとトンチ(増山江威子さん・88歳没・『ルパン三世』峰不二子)と一緒に、お肉を食べに行こうって企画していた矢先。


野沢 トンチが5月に急に亡くなって。すごく覚えているのは、トンチの家に遊びに行くと、どういうわけかふかしたさつまいもを食べさせてくれる。「おいしい」と言うと「よかった、たくさんふかしたから持って帰って」って、いつも持たせてくれたの。


野村 旦那さんがTBSのプロデューサーで料理番組を担当していたから、おいしいお店をたくさん知っていたよね。でも、1人では店に行けない人で……。


野沢 そうそう、私があまりおなかが減っていなくても「大丈夫だから」って強引に誘ってくるの(笑)。トンチが亡くなった翌月には三輪勝恵ちゃん(80歳没・『パーマン』パーマン1号)が……。


野村 彼女は天才。『パーマン』の台本に《口笛を吹く》と書いてあったの。口笛の練習くらいするのかと思ったら、本番では口で「ピーピー」って言っているだけ。それで成立させるのだからすごい。





■どうしてそんなに急いで逝っちゃうのよって思う



野沢 ノンコ(小原乃梨子さん・88歳没・『ドラえもん』のび太)も続くように亡くなったよね。


野村 26年間も『ドラえもん』でご一緒した仲間。大山(のぶ代)さん(90歳没)と3人でよく旅行に行きました。大山さんは食べる店を探して、小原さんは英語ができるので交渉役。私はただついていくだけ。


野沢 ノンコは英語がペラペラだったものね。


野村 ドドコ(山本圭子さん・83歳没・『サザエさん』花沢さん)の訃報も突然。


野沢 名前に「土」が2つ並んでいるからドドコ(笑)。ちょっとつぶれた声が面白いから、私と同じように少年役が多かったよね。


野村 長い付き合いだけど、絶対に年は言わなかった。


野沢 そう(笑)。


野村 私たちも年だからね。仲間の訃報が続いて、自分の残された時間を考えると焦っちゃう。


野沢 どうしてそんなに急いで逝っちゃうのよって思う。こちらの世界も楽しいのに……。


野村 同世代の仲間は、私たちや、池田昌子さん(85・『銀河鉄道999』メーテル)、どり(加藤みどりさん・84・『サザエさん』サザエ)、清水マリさん(88・『鉄腕アトム』アトム)など、数人だものね。本当に寂しい。



――こうした第一世代が、今や若者の憧れの職業である“声優”の仕事を基礎から築き上げた。



野村 1960年代は、まだテレビ局が今のようにドラマを作る力がない時代だったから、洋画をたくさん放送してた。


野沢 私の最初の声優の仕事も洋画の吹き替え。


野村 生放送で吹き替えをしていたんでしょ?


野沢 そう。だから、少年役にも、怖くて本当の少年を使えないの。それで所属していた劇団に依頼があって、やってみたのが最初。でも、生放送の本番途中で、緊張のあまり、トイレに行くふりをしてどこかへ行っちゃう人も。すると班長さんみたいな人が肩をちょんちょんとたたいて、その人の台本のセリフ部分を指でさして“代わりにあなたがやって”と合図したりするの。


野村 ハプニング続きだったものね。洋画の吹き替えが始まったばかりで、スタッフも声優もみんなが素人。画面を見ると、口の動きとセリフがズレてズレて。


野沢 帳尻を合わすためにセリフを飛ばそうにも、話がつながらなくなるから無理やり入れ込むからね。


野村 洋画の吹き替えから始まって、徐々にアニメの仕事も増えていって。


野沢 みっちゃんとのアニメの初共演作は、日本のアニメ第1作『鉄腕アトム』(1963年)。私は少年のロボット役。


野村 私は少女のロボット役(笑)。そこから始まって、やっぱり印象に残っているのが『みつばちマーヤの冒険』。


野沢 みっちゃんがマーヤで、私は、眠たい目をしているウイリー。どういう声にしようか、本番の第一声で決めようと思っていたら、「マーヤ」が「ンマ〜ヤ」というかんじに。


野村 でも、それがすごく面白くて、ウイリーは3話くらいでいなくなっちゃう予定だったのに、ずっと出ることに。じつはマーヤの声をマコさん、ウイリーの声を私と、間違ってセリフを言ったシーンがそのまま放送されてた!


野沢 まさに手探り状態だったから。


野村 洋画やアニメ作品の数が増えてきたけど、声優ができる人は限られているから、現場を移動しても顔見知りばかりで仲よかったね。『ドライブの会』とか、いろんなグループがあって、みんなでスキーに行ったり、海に行ったりしたのも思い出。俳優の仕事と違って、声優は衣装とメークの必要もないからギャラが3割安かった時期もあるけど、仕事の数が多くて貧乏の経験、お互いなかったんじゃない。


野沢 1日4本、仕事が入ることも。最後の録音現場に行ったら、すぐに台本を見て賢ちゃん(野村さんの夫の内海賢二さん・75歳没・『魔法使いサリー』パパ)の名前を探してたの。だって家が近所で、帰りに車で送ってもらえるから(笑)。





■母の通夜でも収録から全然帰してもらえず



野村 忙しくなった分、プロ意識も求められました。風邪をひこうが、ケガをしようが、必ず現場に行かなければならなかった。


野沢 何があっても「とりあえず現場に来い。それでダメかどうかはこちらで判断する」だからね。


野村 『サザエさん』は撮りだめがないから、母が亡くなったときも収録に行ったの。ちょうど母の日の話で、つらかった!「これからお通夜なんで」と言っても、全然、帰してくれなかったのよ。


野沢 私たちの時代はそれが当たり前だったから。


野村 『タイガーマスク』で、児童養護施設の少年をマコさん、児童養護施設のお姉さんを私がやっていたときのこと――。


野沢 そうそう。収録の日の前夜、家が火事になっちゃって。私、煤で着る洋服もなくて、近所の人に服を借りたんだけどサイズが全然合わない。それでもスタジオに行って、録音後に合わない服のことを聞かれて、理由を言うと……。


野村 もう、みんなびっくり!



――声で命を吹き込んだキャラクターは、子供たちに大きな勇気を与えた。



野村 病気の子供から連絡があると、大山さんが中心になって応援メッセージを送ったりして。


野沢 私も。あるとき、病気の子の親御さんから連絡があって。『ドラゴンボール』が好きで、いつも枕元に漫画本を置いてあったらしくてね。余命いくばくもないとのことだったので「オス、オラ悟空。絶対元気になって、会おうぜ。劇場で待ってるからな」とメッセージを送ると、最後、宣告された余命を超えて映画を見に来てくれたのよ!


野村 そんなことが……。アニメ作品の持つ力を感じるよね。


野沢 だからこそ、みっちゃんは声優プロダクションを立ち上げたんだろうけど、私は声優以外のことができないから尊敬する。


野村 スクールデュオという声優養成所をやって、今年で26年目。日本一の声優養成所を目指しています。マコさんは、声優界の憧れ。いまだにバリバリの現役!


野沢 これから新しい仕事も始まるし、まだまだ元気でいないと!


野村 すごいねえ。仲間を失っていく寂しさはあるけど……。元気で、お互い頑張りましょう!

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このニュースに関するつぶやき

  • 同年代が次々に旅立ってるから、思うところあるようですな。サザエさんは、今もストック2回分しかないの、どうにかしろよ
    • イイネ!2
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