【平成の名力士列伝:水戸泉】豪華な塩まきと取り口で多くのファンの心を掴んだ名関脇の激動の相撲人生

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2024年10月12日 07:31  webスポルティーバ

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連載・平成の名力士列伝15:水戸泉

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、大ケガの試練を乗り越え、豪快な相撲と塩まきで人気を博した水戸泉を紹介する。

連載・平成の名力士列伝リスト

【海外でも惹きつけた豪快な塩まき】

 平成3(1991)年に行なわれた大相撲のイギリス・ロンドン公演。そこで人気を集めた力士のひとりが水戸泉だった。大きな手で塩をわしづかみにして天井めがけて豪快にまく姿が「ソルト・シェイカー」と紹介され、喝采を浴びた。

 日本でも海外でも人気を集めた理由は、派手なパフォーマンスだけではない。日本人離れした体格で相撲っぷりも豪快。そして、ヒザの大ケガなどの試練を乗り越え、涙の初優勝をつかんだ劇的な相撲人生が印象的な名関脇だった。

 茨城県水戸市出身で、幼い頃に父親を亡くし、2歳下の弟(のち幕下梅の里)とともに母親に女手ひとつで育てられた。中学時代は柔道に打ち込み、相撲経験はなかったが、中3の冬、サイン会に訪れて高見山に誘われたのをきっかけに、「苦労をかけた母親に親孝行をしたい」と決意して元横綱・朝潮の高砂部屋に入門。昭和53(1978)年3月場所で初土俵を踏み、59(1984)年9月、22歳で新入幕を果たした。

 190cmを超す長身で懐が深く、右上手を引きつけての寄りは日本人離れしたスケールの大きさがあり、大乃国(のち横綱)、保志(のち横綱・北勝海)、北尾(のち横綱・双羽黒)らとともに将来を期待された。

 大きな試練に見舞われたのは、新関脇の昭和61(1986)年9月場所3日目。大関・大乃国のすくい投げに敗れた際、左ヒザに巨漢ふたりの体重がのしかかった。土俵下に落ちたまま、自力では立ち上がれない。苦痛に顔をゆがませ、車椅子に乗せられて花道を下がった。

 左膝内側側副靱帯断裂、左脛骨顆間隆起骨折、半月板剥離骨折で全治3カ月の重傷。足が長くて腰が高いため、ヒザのケガには入門直後から何度も悩まされてきたが、これほど大きなケガは初めてだった。再起不能との声も聞かれた。3場所連続休場のあと、十両で再起して少しずつ番付を上げ、小結に戻ったところで、今度は足首を負傷。それでもめげずに黙々と土俵に上がり続け、見事に克服してみせた。

 ライバルたちのように横綱や大関はつかめなかったものの、幕内上位に定着。派手な塩まきパフォーマンスで盛り上げ、豪快な相撲で魅せる。新進気鋭の貴花田(のち横綱・貴乃花)に初顔から4連勝するなど、若手の門番的な役割も果たして存在感を示し、欠かすことのできない人気力士となった。

【大ケガを克服して掴んだ劇的な初優勝】

 土俵上の豪快な姿とは裏腹に、性格はいたって温厚。いつも静かな笑みを浮かべ、話し声は小鳥がさえずるように優しい。入門直後は、厳しい稽古に耐えられず、母親に電話で「やめたい」と泣き言を言っては励まされたという。

 その後の土俵人生も試練の連続。何度もヒザのケガに見舞われたほか、盲腸炎をこじらせて命が危ぶまれたり、自ら運転する自動車で事故を起こしてケガをして休場したこともあった。しかし、気弱な若者には、腐らずに試練と向き合う辛抱強さがあった。一つひとつ、乗り越えるなかで、たくましく成長していった。だからこそ、大ケガからの再起も果たせた。

 努力が報われ、大きな花を咲かせたのは平成4(1992)年7月場所。上位と総当たりする西前頭筆頭という難しい地位で奮戦し、13日目を終わって2敗で単独首位に立っていた。とはいえ、霧島と小錦の両大関と小結・武蔵丸、実力者の3人が1差の3敗で追っている。逃げきるのは簡単ではないと思われた。しかし、14日目、平幕・貴ノ浪に勝って単独首位を守ったあと、3敗の3人が次々と敗れ、気がつけば初優勝決定。支度部屋で弟の梅の里と涙を流しながら抱き合った。翌日の千秋楽、賜盃を手にした横には、故郷の茨城県から駆けつけた母の姿もあった。試練に耐え、真摯に土俵を務めてきた姿を、雲の上から見守っていた神様がくれたご褒美のような、劇的な初優勝だった。

 その後も、長く土俵を務めた後、平成12(2000)年9月場所限りで引退。錦戸部屋を創設して幕内水戸龍などを育てている。

 トレードマークとなった大量の塩まきを始めたのは、新十両の昭和59(1984)年5月、委縮していた姿を見た年上の付け人からの「塩くらい景気よくまいたらどうですか?」との助言を素直に受け入れ、弱気が吹き飛んだからだという。それからも、土俵に上がるたびに、初心を忘れず、気持ちを奮い立たせるために、大量の塩をまき続けた。そんな土俵への真摯な思いが伝わったからこそ、水戸泉の塩まきは、海も越えて、多くの人の心をとらえたのだろう。

【Profile】水戸泉眞幸(みといずみ・まさゆき)/昭和37(1962)年9月2日生まれ、茨城県水戸市出身/本名:小泉政人/しこ名履歴:小泉→水戸泉/所属:高砂部屋/初土俵:昭和53(1978)年3月場所/引退場所:平成12(2000)年9月場所/最高位:関脇

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