松山ケンイチが偉業を行った。
社会現象のようになった朝ドラこと連続テレビ小説『虎に翼』(NHK)の最終回後、突如、第1回から一気見をはじめ、Xで感想を連続ポスト続け、10月10日の深夜(11日)、全130回、完走した。最終回の感想のあと、翌朝11日には総括までポストする丁寧さであった。
◆松山ケンイチ、終盤は主人公に立ちふさがるラスボス的な役で出演
松山ケンイチは、『虎に翼』では主人公・寅子(伊藤沙莉)の法曹界の大先輩にあたる桂場等一郎を演じていた。
序盤から登場し、なにかと寅子と議論しあい、終盤はある意味ラスボス的に寅子の前に立ちふさがってくるというかなり重要な役であった。いつも苦虫を噛み潰したような顔をしているが、甘いものに目のないという憎めないキャラで人気を博した。
ドラマのメインキャストの一気見ポストとは、『虎に翼』ロスを埋めるにはじつにありがたい企画である。それもドラマ公式としてやっているわけでなく自主企画らしいところがまた好感度が高い。でも意外と早く駆け抜けてしまったため、感想ロスが広がりそうだ。
1回15分とはいえ全130回。例えば夏休みの宿題を終わりの1週間で慌ててやるしんどさは誰もが知っていることであろう。松山ケンイチは1日、数話(多くて10話分くらい)の感想を粛々(しゅくしゅく)とポストし続け、疲れたり眠くなったりしたら「中断します」と断り、翌日「再開します」と中断と再開の挨拶を律儀に行いながら、やり続けた。
◆一気見します宣言は1224万見られ、フォロワー数も一気に増加
このチャレンジの注目度の高さは抜群で、表示数がすごいことになっている。9月29日の一気見します宣言は10月10日時点で1224万。続く第1回の感想は272万。
その後、50万超えは当たり前な感じで、100万超えることも何度もある。フォロワーも一気に十万人以上に増えた。番組のためにも本人のためにもプラスであろう。もしマイナスがあるとしたら松山ケンイチ自身の作業が大変だろうなあということくらいだ。
ただ、ほんとうに自由な感想で、ドラマを見たことのない人のために念のための説明みたいなことは一切せず、ドラマを見ている人に向けて、素直な感想を書いているように見えるからストレスはあまりないのではないだろうか。
時々誤字もあるのも御愛嬌。それを我々ライターがやったらどこからともなくものすごく怒られるので(もちろん誤字脱字をなくすべきではある)、日夜戦々恐々としていることに比べたら気楽なのではとは思う。基本、見て感じたことをライブ感覚でポストしていて(実はそういう体<てい>をすごく考え抜いていたらそれはそれですごい)、そのラフさがむしろ新鮮である。そしてユーモアのセンスが抜群。
◆登場人物に軽くツッコむことも
また、『虎に翼』はネガティブな意見が少なく、絶賛の勢いが批判を凌駕(りょうが)していたが、松山ケンイチは時々、軽くツッコんでいる。たとえば第93回の感想。
「ユミー!親の事はいいから自分の気持ち優先しろや!わがまま言ってくれるから親は切り替えられるんだよ!子供が子供の主張しないといつまでも親はかえって戻ってくるの時間かかっちゃうから!親のケツに火つけろ!知らんけど。」(松山ケンイチ投稿より引用、以下同じ)
子育てに関する自論を語る松山ケンイチ。寅子と優未独自の母子の生き方もあってもいいが、別の意見もあっていい。松山の感想は、ドラマの主張と違うことを書くときの匙加減(さじかげん)もいい。もっともそれは出演者だからゆるされるところもあるだろう。しかももう終わったものだし。
そして、俳優ならではの視点も興味深い。
◆俳優としての松山が感想の端々に滲んで見えるよう
例えば、10月1日の鼻をほじる芝居の話。
「お兄さんの息子。自然に鼻ほじってんな。自然に鼻ほじる演技は、第一関節位入れがちだけど、彼は鼻の穴付近でサラリとほじっている。鼻をほじる記号としてではなく、本人の心から生まれる生理としての鼻ほじり。」
また、10月2日の轟役戸塚純貴への助言のようなもの。
「轟!支柱に顔が被ってるよ!カメラ位置ちゃんと確認して!表情見えないから。」
俳優としての松山ケンイチが感想の端々に滲(にじ)んで見えるようで、ひじょうに具体性に富んでいて面白いのである。
◆いい意味で異端だった松山ケンイチ
俳優としての松山ケンイチは、『虎に翼』のなかで、いい意味でなかなか異端であったように感じる。『虎に翼』は法律という硬い題材をライトなタッチで描いていた。さらに“朝ドラあるある”のひとつで登場人物たちは50代になっても老けメイクは控えめ。ところが桂場だけはどんどん老けていき、松山はたったひとりでリアリティーを出そうとしていた印象がある。
演技とは様式だけでも心だけでも足りず、しっかり作った形に心が見事にハマったときが最高の瞬間である。あるいは心に合わせて身体や動きが変化していくのでもいい。松山ケンイチの芝居はいつもそこに到達しているように感じる。
法律を愛し、ついには最高裁長官にのぼり詰めるが、司法を尊ぶあまり、ブルーパージ(編集部注:リベラルな自主的組織に加入していた裁判官らに対し、左遷など冷遇した一件。ドラマでは「勉強会」を行った若者たちを異動させた)を行うなど、やりすぎなこともある桂場は、寅子とは次第に法律家としての生き方の道がズレていく(最初から意気投合はしていない。桂場はややひねくれ者設定でもある)ので、寅子たちとは違うアプローチを行ったことで良き差異となった。
最高裁長官の芝居を、司法関連の取材を担当していたNHK解説委員の清永聡は「これまで最高裁長官を何人も見てきました。松山ケンイチさんの最高裁長官ぶりは、その中の一類型にとても近いと思いました。本当にああいう感じの人がいるんですよ(笑)」と高く評価していた(ヤフーニュースエキスパート『「虎に翼」最終週にてんこ盛り過ぎる問題をNHK解説委員に丁寧に解説してもらった』より)
◆松山ケンイチの一気見に説得力がある理由
甘いものが好きで、甘いものを食べようとするたび、寅子に邪魔されるという漫画っぽい設定もありながら、それが漫画に終わらず、こういう人いるよねという感じに見えた。このようにしっかりと演じ、ドラマを面白くしてきた松山ケンイチだから、一気見にも説得力がある。
筆者は、朝ドラを休まず毎日レビューし続けてもうすぐ10年になるが、松山ケンイチの一気見には刺激を受けた。私もがんばらなくちゃと心底思った。ありがとう松山ケンイチ。
それにしても、なんでこんな苦行をやっているのだろう。と推理してみると、一気見をはじめてからの松山ケンイチのXのプロフィールは「イエス(ジョニデ似)」となっている。これは、12月公開の松山の主演映画(染谷将太とW 主演)の役名である。
さらに、10月4日のポストでは堂々と宣伝をしている。
「こうして、花岡こと岩田剛典は天国へ行きミカエルとして、また下界に降臨することになる。とんでもない飛び道具として……! 聖お兄さんTHE MOVIE ホーリーメンVS悪魔軍団 12.20[FRI]公開。 ※宣伝です。」
この映画には岩田剛典のみならず、優三さん役の仲野太賀も出ている。最終回の感想では、再び、仲野太賀が映画に出ていることがポストされた。朝ドラ全130回一気見の苦行は主演映画の宣伝のための涙ぐましい努力かもしれない。たとえそうでも、こんなに楽しませてくれたのだから映画を見に行くよという気持ちになっている。
<文/木俣冬>
【木俣冬】
フリーライター。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』など著書多数、蜷川幸雄『身体的物語論』の企画構成など。Twitter:@kamitonami