「お弁当の味は1.5倍濃いめでいい」 モデル・亜希さんが“食べない子"を持つ親御さんへアドバイス!

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2024年10月18日 19:00  クックパッドニュース

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クックパッドのポッドキャスト番組「ぼくらはみんな食べている」。食や料理に熱い思いを持ち活躍するゲストを迎え、さまざまな話を語ります。クックパッド初代編集長の小竹貴子がパーソナリティを務めます。第15回目・16回目のゲストは、料理家の亜希さんです。

貧しい中で「工夫」がすごかった母親の料理


小竹:亜希さんは福井県出身だそうですが、雪はよく降りましたか?

亜希さん(以下、敬称略):五六豪雪というのがあって、私が小学校5〜6年生くらいだったのですが、本当にすごい雪で交通の便が全てストップしちゃったんです。

小竹:私は石川県出身なのですが、2階から降りてスキーで学校に行っていました。福井には何歳までいたのですか?

亜希:中学校3年の2学期まで福井に住んでいました。中途半端なのですが、3学期が始まる前には東京に出ていましたね。

小竹:福井にいた頃などにお母様が作った料理が、今の亜希さんの料理のベースになっているのでしょうか?

亜希:自分が母親になってフルフルで料理をするようになって思うのは、母はそんなに料理が上手ではなかったなって…。ただ、工夫がすごかったです。あまりお金をかけなくても1食になるという術を見せてもらったと感じています。

小竹:例えばどういった感じなのですか?

亜希:普通だったら傷んでいて使わないであろうネギを綺麗に洗って蘇らせたり、お味噌汁の具材は何でもいいんだと教えてもらったりもしました。高級な具材じゃなくていいから、毎日必ずお味噌汁は飲むものだって。

小竹:うんうん。

亜希:お味噌汁を作るのが負担だというお友達もいるのですが、具材が何であっても味噌を入れれば味噌汁だと私は小さい頃から植え付けられているんです。何ならお湯と味噌だけみたいなときもあったりして(笑)。

小竹:うちはとろろ昆布だけの日とかありました。お母様はすごくお忙しい方だったそうですが、それでも料理はちゃんと作ってくださったのですか?

亜希:裕福ではなく、思い出しただけで涙が出そうになるくらいの家だったんです。お風呂もなかったし、あの状況でよく笑えていたなというような環境だったのですが、だからこそ、食卓は贅沢ではないけど必ず一緒でした。

小竹:うんうん。

亜希:「今日、私は友達とご飯に行くから何か食べといて」という家ではなく、1食1食が勝負で、安く食べることに必死だったと思うので、必ず何か工夫したものが出ていました。おいしくないなと思う日もありましたけど、母の頑張りが見えていた料理でしたね。


具のないお味噌汁(亜希さんのInstagramより)

小竹:思い出す料理はありますか?

亜希:母は冷凍のミックスベジタブルをよく使っていました。お弁当にも夜ごはんにも、何なら朝ごはんにも出てきて。あれを置いておくことで、母としては野菜を食べさせている感覚だったのではないかと今振り返ると思いますね。だから、私はミックスベジタブルで大きくなりました(笑)。

小竹:未だに教えてもらって作っている料理はありますか?

亜希:お正月だけはちょっと贅沢をしていたので、大根の煮物とか煮しめとか、日持ちするものをいっぱい作っていました。母から受け継いだというよりも見よう見まねで自分が記憶している料理は、そういった煮物ですかね。

小竹:教えてもらったというより、味で覚えているのですね。

亜希:実は何一つ教えてもらっていないんです。15歳で東京に出たので、教える時間すらなかったのかなって。だから、記憶とともに私が再生している感じです。

小竹:これは教えてもらいたかったという料理はありますか?

亜希:母の斬新な発想の湯豆腐ですね。「今日は湯豆腐よ」と言われて見たらお肉がなくて、「お肉どこ?」と聞いたら、挽肉がボウルにあって、すくう網があって、それで挽肉を湯通ししてポン酢に入れて食べるんです。

小竹:おもしろいですね。

亜希:ネギも何もなくて、豆腐と挽肉だけ。業務用の挽肉を買えば、きっと1食150円くらいでできると思うんです。だから、どうしたら安く1食になるかとか、そういうことを教えてほしかったですね。

小竹:亜希さんの本にはお母様がよく登場しますが、どういったときに思い出しますか?

亜希:母が亡くなって22年経つのですが、毎日思い出して登場回数が誰よりも多かった人なのに、22年の時を超えるとさすがに減ってくるんです。それがすごく寂しいなと思います。ただ、ベッドの近くに写真があるので、朝起きたら必ず目を合わせて「おはよう」と言ってから動き始めます。

母親にいい思いをさせてあげたくて芸能界へ

小竹:それほど仲の良かったお母様の元を15歳で離れていますが、何かチャレンジしたいことがあったのですか?

亜希:1984〜85年のアイドル全盛の時代で、私もいつかなってみたいという勘違いの思いが芽生えてきたんです。あと、ちょっとお金持ちになれるのではないかという淡い期待もありました。

小竹:お母様に何かを買ってあげたいとか、そういった思いもあった?

亜希:もちろんです。お風呂がある家がいいなとか、挽肉より牛肉がいいなとか、そういう思いは子どもながらにあって。別にすごく顔立ちが整っているわけでもなかったので自信はなかったけど、母を幸せにしたいとか知らない世界に連れていってあげたいという思いは誰よりも強かったですね。

小竹:自分がスターになりたいという思いより、家族への思いのほうが強かった?

亜希:はい。それだけ母は頑張っていた人だったので。芸能人=ハワイという印象があったので、母をハワイに連れて行くのが私の一番の夢でした。

小竹:それは実現したのですか?

亜希:実現しましたし、ほかにもいろいろなところに連れて行きました。ハワイは2回行って、ラスベガスも行って、バリも行きました。でも、もっともっとと思っていたときに亡くなってしまいました。

小竹:上京したときはどういった思いだったのでしょうか?

亜希:あれよあれよとオーディションに受かって、ありがたいことに東京でデビューできることになったのですが、15歳の多感な時期なので、離れたくない気持ちと1発やってみようみたいなチャレンジ精神がありました。

小竹:お母様は?

亜希:母に相談したときに「福井にいてもあなたがやれることは少ないし、自分の人生だから好きに決めていいんじゃない」って言われて、すごく寂しい反面、その決断をくれたことをありがたいと感じました。でも、周りの人からは「15歳の女の子を東京なんかに」って言われて…。

小竹:当時は東京まで電車で7時間くらいかかりましたもんね。

亜希:そうそう。すごく時間がかかったし、パスポートがいると思っていたくらいに純粋だったので、東京に行ったら汚れちゃうみたいなイメージもあって(笑)。でも、そこで活躍できなかったらどこでやるんだみたいな葛藤の中でチョイスしたのを覚えています。

小竹:出発のときにお母様から渡された荷物がすごく素敵ですよね。

亜希:安そうな缶の中に化粧品を揃えて入れてくれていたんです。今だったらハイブランドのマニキュアとか口紅とか、1本1万円くらいするものがあるけど、母が選んだのはスーパーに売っているような化粧水や口紅でした。

小竹:うんうん。

亜希:私もサンプルとかを結構使っていて、高い化粧品なんて見たことがなかったからすごくうれしかったけど、年を重ねていろいろなものを知ったときに、こういうものをチョイスしていたことをさらに愛おしく感じました。

小竹:ジワッときますよね。

亜希:東京に出て行くにあたって、お化粧で綺麗にして恥ずかしくないように支度するためのものだったのかなと思うと感激しましたね。

子どもの「弁当作り」は面倒に感じない

小竹:東京に出てアイドルからモデルに転身し、結婚・出産をして2人のお子さんを育てていらっしゃいますが、子育て中の食事ではどのようなことを意識していましたか?

亜希:現役の清原さんのプロ野球の世界を経験した後の出産だったので、体はもちろん、生きること全てに食べ物や料理が関わってきて、パフォーマンスを上げるのも料理だということを結婚して1〜2年は感じながらの子育てでした。だから、子どもたちの料理にも結構こだわりはありました。

小竹:いろいろと勉強もされたのですか?

亜希:勉強というより独自なのですが、お湯で溶くベビーフードは一切使わず、全母乳で缶のミルクも使わず、自分の口に入れたときにおいしいと感じるものを食べさせたいという思いでずっと子育てをしていました。

小竹:私も母乳で育てたのですが、ケーキを食べるとおっぱいが詰まったんです。そこで本当に自分が食べたものが子どもにいくのだなと実感しました。

亜希:わかります。そういう意味では、私は自分に置き換えて料理をしていました。トレーもプラスチックより陶器で食べたほうが絶対においしいと思うし、コップもグラスのほうがいいので、子どもにも小さいときからそうしていました。

小竹:お子さんが小さいときは割と厳しめに躾などをされていたのですか?

亜希:厳しめだしうざいしうるさいし、レールに乗せようとしていましたね。完璧を求めちゃったかもしれないです。料理に関しては全く無理はしていないです。ただ、人に会ったときの印象などに関してはすごく言っていたかもしれないです。

小竹:全くイメージがつかないです。

亜希:ここまで大雑把になったのは、離婚した後くらいからですね。1人になって男役も演じなきゃいけない部分もあったので、男口調で言う日もあったりしてどんどんざっくりな感じになっていきました。

小竹:お子さんのお弁当を18年間ずっと作っているそうですが、面倒だと思ったことはないのですか?

亜希:それがないんです。不思議ですよね。でも、毎日お風呂に入るとか、毎日洗濯するとか、毎日掃除機をかけるとかはすごく嫌なんです。

小竹:わかります、それ!

亜希:愛する人に作れるという環境があったことが私のモチベーションにはなっていましたね。これが会社勤めしている旦那さんに作るお弁当で、18年間一度も面倒に思わなかったかと言われたら絶対に面倒に感じたと思います(笑)。

小竹:それもわかるかも(笑)。

亜希:やっぱり子どもだったからかなとも思うし、料理が好きというのも根底にはありますね。掃除機は1年かけなくても大丈夫ですから(笑)。全てを1位にすると疲れちゃうので優先順位をつけることも大事だと思います。私は食が1番です。

お弁当の味付けは1.5倍濃いめでいい

小竹:亜希さんは、お弁当作りで調理よりも詰める作業が好きだそうですね?

亜希:そうなんです。詰めるときのワクワクがずっと続いていますね。

小竹:いつもギュウギュウに詰まっていますが、あれは昔からですか?

亜希:お弁当箱を開けたときにずれているのが嫌なんです。目でも楽しんでほしいというか。ロケ弁とかでお新香のスペースに「え?これだけ?」みたいなときがあるじゃないですか。もう少しボリュームがあったら全く見え方が違うのになって思っちゃうんです。

小竹:3段弁当とかではなくて、1つにグッと詰める感じのほうがいい?

亜希:おかずだけだと意外と詰めづらいんです。小さくて可愛い女の子のお弁当だったらいいのですが、大きいお弁当でおかずだけってなかなか詰まらないんです。ご飯が足りない場合にはおにぎりにすることもあります。


おかずがギュウギュウに詰まったわっぱ弁当(亜希さんのInstagramより)

小竹:ご飯は1合ですよね?

亜希:そうです。でも、2人いたときはすごかったですよ。1日通すと全部で8合。朝5合です。

小竹:うちは女の子2人なので、朝2合、夜2合です。お弁当のご飯は大体150gです。

亜希:私も食の仕事をしているので、「食が細いのですが、どうしたら食べられるようになりますか?」ってよく質問をされるんです。冗談交じりに8合などと言っていますが、そういうことを聞いてストレスに感じる人もいると聞いたこともあります。

小竹:うんうん。

亜希:でも、食べるということに対して、人それぞれのレベルなどがあるから、8合がいいとか、そういうことでは全くない。それぞれ工夫しながらやっていくことが大事ですよね。

小竹:そうですね。

亜希:あと、好き嫌いについてもよく質問されますが、好き嫌いに関しては「100年早いよ」って言っちゃうタイプです。古い人間なので(笑)。自分で稼いでから好き嫌いをしろと思っちゃう。だから、「出されたものは感謝を込めて米1粒残さず食べる」ということは言い続けてきましたね。

小竹:クックパッドのユーザーさんからも、「子どもがスポーツをしているからたくさん食べてほしいけどなかなか食べてくれない」という声はよく聞きます。そういうときに工夫していたおかずとかはありますか?

亜希:私が必ず言うのは、お弁当は1.5倍濃いめでいいということ。冷えたものを食べるので、味が薄いとご飯が進まないですから。あと、昆布や梅干など、おかずがなくてもご飯に一度いける状況を必ず作るようにもしています。

小竹:なるほど。

亜希:冷たいご飯だけを食べるのはなかなか難しいと思うので、ちょっと味を濃いめにしてみませんかと言うと、確かにうちのは薄いかもという人も多いんですよ。

小竹:私も亜希さんの本に出ている「ソースカツ弁当」を作ったら、初めて子どもに「ご飯が足りない」と言われたんです。

亜希:“タレマジック”もあるんですよ(笑)。私は小さい頃に焼肉に行けなかったのですが、焼肉のタレは家に必ずあったんです。だから、ご飯に焼肉のタレをかけて目をつぶって食べて、焼肉気分を味わうことをやっていました。


ソースカツ弁当(亜希さんのInstagramより)

小竹:お弁当は夜考えるのですか?

亜希:そうですね。私は冷凍庫が宝だと思っていて。仕事が忙しいし、時間があってもスーパーに寄りたくないという日も結構多いんです。だから、冷凍庫にあるお肉とか海鮮とかを出して、メインだけを決めてから寝ますね。

小竹:お子さんの感想はどういった感じですか?

亜希:昔は結構ほしがりました。「ごちそうさま。おいしかったよ」という声があって完結みたいな思いがあって。でも、男の子だからまず言わないです。逆に言うときのほうが怪しい。何かやらかしてきたのかなって(笑)。「お母様。今日のお弁当、とてもおいしゅうございました」とかって言われるとね。

小竹:わざとらしいですね(笑)。

亜希:だから、お弁当箱を開けたときに、米粒1つ残っていないことが全ての思いだと取るようにしています。以前はほしがりましたけど、今はそのわざとらしい感じが逆にくすぐったいので、私は強要はしません。

小竹:私も「今日のお弁当はどうだった?」ってすごく聞いちゃいます。

亜希:そしたら、どういう答えが返ってくる感じですか?

小竹:「まあまあ」って。

亜希:子どもは「普通」ってよく言うんですよ。普通で逃げることを学んでいくと、「テストできた?」「普通」、「お弁当おいしかった?」「普通」と答えるので、聞いても一緒なんです。だから、私はもう聞かないです。

小竹:お子さんが料理をされることはあるのですか?

亜希:ほとんどしなかったのですが、コロナ禍で時間ができたときに、家でできることといったら料理をすることだなって。それで近くの友人たちと料理を作ったことが彼たちもすごく心に残っていると思うし、誰かのために一生懸命作るのは楽しいとわかったとも思いますね。

小竹:大切なことですよね。

亜希:息子たちは料理を作るときに必ずクックパッドのレシピを見ていました。母の日にもカオマンガイを作ってくれたので、クックパッドは本当に神様です(笑)。


息子さんが作ったカオマンガイ(亜希さんのInstagramより)

(TEXT:山田周平)

ご視聴はこちらから


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【ゲスト】

第15回・第16回(10月4日・18日配信) 亜希さん


1969年、福井県生まれ。モデル、アパレルブランド「AK+1」のディレクションを務めながら、情報番組のコメンテーターを務めるなど幅広く活躍する。大学生と高校生のスポーツ男児に作り続ける豪快な家庭料理やお弁当は、雑誌やテレビなどで話題に。明るく飾らない人柄が、幅広い層の女性に支持を得ている。YouTube『亜希の母ちゃん食堂』を配信中。著書に『家 ごはんと野球』(CCCメディアハウス)、『亜希の『ふたが閉まるのか?』弁当 』(オレンジページ)、『お弁当が知ってる家族のおはなし』(集英社)、『亜希のことば』(講談社)がある。

Instagram: @shokatsu0414
Youtube: @thebapartment4513

【パーソナリティ】 

クックパッド株式会社 小竹 貴子


クックパッド社員/初代編集長/料理愛好家。 趣味は料理🍳仕事も料理。著書『ちょっとの丸暗記で外食レベルのごはんになる』『時間があっても、ごはん作りはしんどい』(日経BP社)など。

X: @takakodeli
Instagram: @takakodeli

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