三笘薫を見ていると思い出す 飄々と、淡々と客席を熱狂させた往年の名アタッカーベスト10

0

2024年10月20日 07:30  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

 三笘薫は相手のチャージや判定などに対し、めったなことでは激高しない。喜怒哀楽を露わにすることも少ない。飄々と、そして淡々とプレーする。ファイトを剥き出しにしない、アタッカーとしては少数派に属するタイプだ。歴代の日本人選手を眺めても、パッと頭をよぎるのは、かつての日本代表・水沼貴史さん(現解説者)、現役選手では土居聖真(モンテディオ山形)あたりだろうか。

 海外に目を向けるとどうだろうか。攻撃的な選手に的を絞り、三笘に似た匂いのする往年の名手10人を筆者独自の視点でリストアップして見た。

第10位/アンドリー・シェフチェンコ(ウクライナ代表)

 脚光を浴びたのは、ディナモ・キエフのストライカーとして臨んだ1998−99シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝だった。大本命に推されていたディフェンディングチャンピオンのレアル・マドリードを向こうに回し、シェフチェンコはホーム&アウェーの2試合で、チームを勝利に導く全得点(3ゴール)を叩き出した。

 第1戦(アウェー戦)の翌朝、シェフチェンコはマドリードのバラハス空港にいた。チェックインを済ますと、チームメイトと群れず、ひとり長椅子に身を委ねていた。電光石火のごとく蹴り込んだ、前夜の先制ゴールの余韻をかみしめるように。

第9位/アレン・ボクシッチ(クロアチア代表)

 マルセイユ、ラツィオ、ユベントス、ミドルスブラなどで活躍した左利きのストライカーだ。エレガントな雰囲気を漂わせる187センチの長身で、懐が深く、強引ではないところが三笘に似ていた。シュートを打てる場面でも、相手の逆を取り、ゴールをお膳立てするアシスト役に回ろうとする。ポーカーフェイスで、くせ者ぶりと人のよさを併せ持ったテクニシャンだった。

第8位/ミカエル・ラウドルップ(デンマーク代表)

 弟のブライアンもドリブルが得意なアタッカーだったが、兄のミカエルはより沈着冷静、遠くを見る視野があった。左ウイングのラウドルップから右ウイングのフリスト・ストイチコフへ。この大きなサイドチェンジは、ヨハン・クライフが率いたドリームチーム時代のバルセロナを語る時、外せない展開になる。ボールが足に巻きつくような低重心のドリブルは推進力抜群で、高級車を彷彿とさせる滑り出しのよさだった。

 1996年に来日。ヴィッセル神戸でプレーしたのはわずか1年だったが、これまで来日し、Jリーガーとしてプレーした外国人選手のなかでも1、2を争う実力者だったとは筆者の見立てだ。兄弟選手としてはフィリッポ、シモーネのインザーギ兄弟、ロナルド、フランクのデ・ブール兄弟あたりがライバルになるが、合計値でラウドルップ兄弟には及ばない。

【バランサーとしての能力にも長けていたラウル】

第7位/ヌワンコ・カヌ(ナイジェリア代表)

 アヤックスで頭角を表し、インテル、アーセナルでプレーしたポストプレーヤータイプのセンターフォワード。両手をだらりと下げた脱力感のあるフォームで、身体をくねらせながらプレーする軟体動物さながらの動き。そして197センチという長身のルックスから受ける印象は、とても三笘に似ているとは言えない。しかし淡々とプレーするところ、反則はされても、反則をやり返そうとしないフェアな態度、「俺が、俺が」とゴール前で我を張らないところに共通の気質を垣間見ることができる。

第6位/ラウル・ゴンサレス(スペイン代表)

 レアル・マドリードの銀河系軍団時代を支えた多機能型選手。4−2−3−1なら3の左しかできない三笘に対し、ラウルはどこでもできる。そうした意味で両者のタイプはまるで異なるが、与えられた任務を忠実にこなすという点において一致する。

 ロナウド、ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、デビッド・ベッカムなど、ラウルの周りはともすると奔放な動きをしがちなスター選手ばかりだった。ラウルにはポジションを的確にカバーする役割が求められていた。バランサーとしての能力にも長けていたのだ。その日、その日で異なるタスクを黙々とこなす真面目さ。忠実さ、賢さを備えた頭脳的アタッカーという点で三笘と共通するのだ。

第5位/ルク・ニリス(ベルギー代表)

 ベルギー代表の歴代選手のなかで、最も攻撃能力が高かった選手ではないか。なによりプレーが格好よかった。超クール。無表情で淡々と獲物を狙う姿には怖ささえ感じた。空中戦にも強く、ハゲタカのような猛禽類的な魅力もあった。しかも左右両利き。左しかできない三笘よりポジションの適性範囲が広く、右、左、真ん中でもプレーした。

 ハイライトはPSV時代の1994−95シーズン。ロナウドと組む2トップは最強だった。その後、ケガに見舞われキャリアを棒に振った悲劇の名手。日本では知る人ぞ知る選手にとどまっていることも、そそられる理由だ。

【戦術眼の高いウインガーだったオーフェルマルス】

第4位/マルク・オーフェルマルス(オランダ代表)

 ニリスがロナウドとPSVで2トップを組んだそのシーズン、欧州一に輝いたアヤックスで左ウイングを張っていた選手がオーフェルマルス。アヤックスでは中盤ダイヤモンド型3−4−3の左ウイングでプレーしたが、フース・ヒディンク率いる時のオランダ代表では4−2−3−1の3の左でプレーした。ヒディンクは「4−2−3−1」という4列表記を初めて口にした監督で、その流行の源として知られる。そのヒディンクはオーフェルマルスを4−2−3−1の3の左に置いた理由について筆者にこう語っている。

「4−3−3の両ウイングをより中盤化させたかったためで、彼にはそのセンスがあった」

 ウインガーではあるが中盤的。三笘もまさにこのタイプだ。ゴールまでのルートを見出すかのようなプレーをする。「いつも中盤のプレーを脇のサイドから見ているので、その役割はわかっている。やれと言われればできると思う」とは、オーフェルマルス本人の弁だった。いかにも頭のよさそうな、戦術眼の高いウインガーだった。

第3位/マルコ・ファン・バステン(オランダ代表)

 世界最高のストライカーと呼ぶに相応しいその代表的なゴールは、1988年、欧州選手権決勝、ソビエト連邦戦のボレーシュートになる。左からのアーノルド・ミューレンの高々としたセンタリングを逆サイドで待ち受け、右足のボレーで射止めた伝説のゴールだ。その右足のキックは7割程度の力だった。パワーでもぎ取ったゴールではない。キック技術の正確さで奪ったビューティフルゴール。そこに三笘的な匂いを感じる。スピードではなく技術優先。ワンプレー、ワンプレーに技巧が含まれている点に共通の魅力を覚える。

第2位/デニス・ベルカンプ(オランダ代表)

4−2−3−1の1トップ下をやらせたら誰が一番かと言われた時、真っ先に出てくるのがこの名前だ。1トップ下にはFW的な選手もいれば、MF的な選手もいる。選択肢は多いが、FW的な1トップ下に限れば、断然ベルカンプになる。正確な技術。とりわけトラップとターンが秀逸なポストプレーヤー的な1トップ下で、冷静、そしてクールなのだ。顔に表情を出さないポーカーフェイス。何を考えているかわからない宇宙人的な魅力もあった。自分の世界を持った選手という意味で三笘と似ている。

第1位/フアン・カルロス・バレロン(スペイン代表)

 やはり4−2−3−1の1トップ下の選手だ。ただしFW的なベルカンプに比べるとMF的。4−2−3−1の興隆に貢献した監督と言えばヒディンクが1番手だが、2番目にくるのはハビエル・イルレタだろう。デポルティーボ・ラ・コルーニャの黄金時代を築いた監督だが、バレロンはそこで1トップ下を務めていた。イルレタの4−2−3−1は彼の技巧的なプレーなしには成立しなかった。

"デポルのジダン"の異名を取ったバレロンだが、繊細さにおいてはジダンより上だったというのが筆者の見方だ。当時、ジダンは文字通りのスターだった。私服に着替えれば映画スターのようだった。だがバレロンは違った。近所にいそうな普通のお兄さんだった。インタビューしたことがあるが、よくも悪くもスター性ゼロ。無口だけれどいつも笑っている、いかにも人のよさそうな典型的な優男だった。三笘も優男系だろう。ミックスゾーンでインタビューを受けている姿にスター性を感じない。特別すごい選手には見えない。いい意味で普通なのだ。

 バレロンはジダンと比較されるほど圧倒的に巧かったが、スペイン代表では不動の1トップ下だったわけではない。そこにはラウルがいた。レアル・マドリードの顔である。"デポルのジダン"とは格、スター性が違った。さらに1列低い位置にはジョゼップ・グアルディオラがいた。シャビ・アロンソもいた。そういう意味では実際の技量と知名度との間に最もギャップを抱えた通好みの選手だった。タイムスリップして「誰を一番もう一度見たいか」と言われれば、筆者はバレロンと答える。

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定