守田英正が所属するスポルディング・リスボンの本拠地「エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ」〜欧州スタジアムガイド〜

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2024年10月23日 18:41  webスポルティーバ

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欧州サッカースタジアムガイド2024-2025
第15回 エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ(Estádio José Alvalade)

 ロンドンのウェンブリー・スタジアム、マンチェスターのオールド・トラッフォード、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ、バルセロナのカンプ・ノウ、パリのスタッド・ドゥ・フランス......欧州にはサッカーの名勝負が繰り広げられたスタジアムが数多く存在する。それぞれのスタジアムは単に異なった形状をしているだけでなく、その街の人々が集まり形成された文化が色濃く反映されている。そんなスタジアムの歴史を紐解き、サッカー観戦のネタに、そして海外旅行の際にはぜひ足を運んでもらいたい。連載第15回目はエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ(ポルトガル)。

 ポルトガルの首都リスボンにある総合スポーツクラブ「スポルティング・クルベ・デ・ポルトガル(スポルティングCP/スポルティング・リスボン)」。そのサッカー部門は昨シーズンも含め20回のリーグ優勝を誇るポルトガル屈指の名門で、今シーズンも開幕から8連勝で首位を走っている。
 
 かつてはポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(現アル・ナスル)がユースやトップチームでもプレーし、現在は日本代表MF守田英正が在籍している。
 
 クラブの起源は1902年、ふたりの兄弟の発案によるスポーツ・クラブ・デ・ベーラスの設立に遡る。その2年後、内部で何度か意見の対立を起こした後に設立メンバーの一部がカンポ・グランデ・フットボール・クラブを設立し、ジョゼ・アルヴァラーデが会計、フランシスコ・オルタ・ガヴァッツォが幹事を務めた。クラブはサッカーだけでなく、テニスや陸上などにも力を入れていた。

 創設期、アルヴァラーデは「ヨーロッパで最も偉大なクラブに匹敵する偉大なクラブ」にしたいという願望を持っていた。スポーツがまだ発展途上だったが、スポーツの道を切り開くという志に導かれた最初の「スポルティンギスタ」たちは、「努力、献身、献身と栄光」という理想を追求し、スポルティング・クルベ・デ・ポルトガルを設立した。

 そのスポルティングCPの最初のスタジアムは、シティオ・ダス・モウラスと呼ばれる場所にあり、1906年5月8日に初めて使用した。この土地はアルヴァラーデ子爵から寄贈されたもので、ポルトガル・スポルティング・クラブの最初の拠点となった近隣の建物の利用権も含まれていた。
 
 翌年の1907年7月4日には大規模な改修工事が行なわれ、大幅な改善が図られた。ふたつ目のスタジアムには、サッカー場に加えて、陸上トラック、テニスコート2面、更衣室と個人用ロッカー、バスルーム、ゲームルーム、軽食を提供するキッチンが設置された。この施設は当時ポルトガルで最も優れたものだったという。
 
 スポルティングは1917年4月1日、シティオ・ダス・モウラスを離れ、近隣のカンポ・グランデ412番地にスタジアムを移転した。このグラウンドはもともと、現在は消滅したリスボアFCに貸し出されていたもので、建築家アントニオ・ド・コウトの設計により大規模な改修が行なわれた。クラブ創設者のひとり、マリオ・ピスタッキーニが多額の寄付をしたことにより完成したこのスタジアムは、エスタディオ・カンポ・グランデと呼ばれた。このスタジアムで、クラブはリスボン選手権やポルトガル選手権などのトロフィーを手にしていった。
 
 さらに20年の時を経て、スポルティングCPはまた新たなホームに移った。それまで使っていたスタジアムは、国内のライバルのベンフィカが使用することになり、35,000人収容のエスタディオ・ド・ルミアルに移転。このスタジアムはのちに、クラブの創設者アルヴァラーデの名を冠することになる。
 
 この時期から、スポルティングCPはヨーロッパでも強豪の仲間入りを果たしていく。そのため、スタジアムは度々改修を迫られた。1949年、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルのチャンピオンクラブで競われるラテン・カップで準優勝、1950年台には国内で連覇を続けるようになり、クラブの成長に伴い、より新しい施設が必要となった。そこで、現在のスタジアムの場所にエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデを建設することを決め、1956年6月10日に一般公開された。

 リスボン北部、地下鉄カンポ・グランデ駅近くにあるこのスタジアムの開場式には、当時のポルトガル共和国大統領クラヴェイロ・ロペスも含めて約6万人が集まり、国歌がスタジアムに鳴り響く中、1,500人を超える選手たちがピッチにクラブの頭文字である「SCP」の文字を描いたという。こけら落としの試合には、ブラジルの名門ヴァスコ・ダ・ガマを招待したが2−3で敗れている。
 
 1990年代の終わりには、2004年の欧州選手権のホストスタジアムになるために、現在の新しい近代的なスタジアムの建設を開始。前スタジアムを解体し、隣接地に新しいエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデが2003年8月6日にオープンした。

 この7代目のスタジアムは、ポルトガルの建築家トマス・タヴェイラが設計したアルヴァラーデ21と呼ばれる複合施設の中心にあり、旧スタジアムの跡地には映画館、フィットネスクラブ、クラブミュージアム、スポーツパビリオン、クリニック、オフィスビルを含むアルヴァラーシャと呼ばれるショッピングモールも含まれている。スタジアムの外観には最初はカラフルなポルトガルタイルが使用された。
 
 こけら落としにはイングランドのマンチェスター・ユナイテッドが迎えられ、スポルティングCPは3−1と強豪を下した。ただ、この試合で出色の出来を見せた18歳の若きクリスティアーノ・ロナウドは、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督の目に留まりこの試合の数日後にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍している。

 ポルトガルで開催されたEURO2004では5試合が開催され、2005年5月18日にはUEFAカップの決勝戦も行なわれた。その後2021年、フレデリコ・ヴァランダス会長は、「エスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデ」の多色スタンドの座席の色をクラブカラーである緑色に変更すると発表し、2022年に完了。当初はさまざまな色がモザイク状に配置されていたが、使用開始から20年が経過した時点で、それらはすべて濃い緑色に変更され、当初は鮮やかな黄色だった屋根の支柱と階段も緑色に塗り替えられている。
 
 スポルティングのファンにとって誇りである「アルヴァラーデ」は、進化の歩みを止めない。スタジアムは 2025−26シーズン末までに、座席数が2,000席増加する。さらに現在のスクリーンは撤去されて、新しいビデオスクリーンが設置され、バーへのアクセスや多様なグルメダイニングを楽しめるラウンジが作られる予定だ。
 
 クラブの創設者であるかつての会長の名を冠したスタジアムは、時代が変わってもポルトガルサッカーの中心地であり続けている。

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