あまりに悲劇すぎる…過去に起きた“1球サヨナラ敗戦”の悪夢

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2024年11月02日 17:04  ベースボールキング

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西武時代の渡辺久信氏 (C)Kyodo News
◆ “1球サヨナラ敗戦”の悪夢

 巨人・平内龍太が8月18日のDeNA戦で、1-1の延長11回裏、登板直後の初球をタイラー・オースティンに左中間スタンドに運ばれ、たった1球でサヨナラ負けを喫した。サドンデスとも言うべき“1球サヨナラ敗戦”は、巨人では1948年の川崎徳次(5月29日の中日戦)以来、76年ぶりの珍事だった。川崎はNPB史上第1号になるが、他球団にもたった1球に泣いた不運な投手が存在する。


 連続試合セーブのパ・リーグタイ記録を達成した翌日に1球サヨナラ被弾に泣いたのが、西武・渡辺久信だ。

 入団2年目の19歳の右腕は、不調の守護神・森繁和に代わって5月中旬から抑えに抜擢されると、5月17日の阪急戦から同27日の南海戦まで5試合連続セーブを記録。

 そして、6月5日の日本ハム戦でも、先発・東尾修が7回を2安打無失点の完封ペースだったにもかかわらず、「(最後まで)投げさせんでもいいし、渡辺の記録もかかっているから」(広岡達朗監督)と8回からリリーフ。2回を1安打4奪三振無失点の完封リレーで、前出の森、南海時代の江夏豊と並ぶ6試合連続セーブのパ・リーグタイ記録(当時)を実現した。

 だが、一夜明けると、天国から地獄へと突き落とされてしまう。

 翌6日の日本ハム戦、渡辺は1-1の9回に4番手でマウンドに上がった。この時点で連続セーブ記録は自動的に途切れ、延長戦で勝てば、セーブポイントがつく可能性もあったが、試合時間は延長イニングに入ることができない3時間ギリギリとあって、いずれにしても新記録達成は不可能。広岡監督は「渡辺を出したのは、引き分けでもいいと思ったから」と説明したが、皮肉にもこの“石橋采配”は裏目に出る。

 渡辺は初球をいきなり古屋英夫に左越え本塁打され、たった1球でサヨナラ負け。8、9回の勝ち越し機を強引な走塁で潰した西武は、30勝一番乗りどころか、引き分けに持ち込むことにも失敗した。

 だが、前日も「記録より先発に戻りたいですよ」と口にしていた渡辺は「こんなこともありますよ。記録(が途切れたことは)は意識しなかった」とサバサバしていた。

 その後はリリーフと掛け持ちで念願の先発に戻り、8勝8敗11セーブでチームのリーグ優勝に貢献した。


 中日・星野仙一も、たった1球に泣いた一人だ。

 1978年9月19日のヤクルト戦、肘を痛めて離脱した鈴木孝政に代わって抑えを務めていた星野は、5-5の9回裏に三沢淳をリリーフ。延長戦突入を見越しての継投でもあったが、先頭打者の船田和英に初球をセンター左にサヨナラ本塁打され、まさかの1球敗戦投手に。球団創設29年目の初V目前のヤクルトは、第1試合に続いてダブルヘッダーを連勝し、マジックを「11」に減らした。

 試合後、報道陣の取材に、星野は「(打たれたのは)真っすぐ。こんなもんや」と答えるのがやっとで、ショックの大きさを物語っていた。

 しかし、話はこれだけでは終わらなかった。

 翌20日のヤクルト戦、4年目のドラ1右腕・土屋正勝が6回まで無失点に抑え、プロ初勝利の権利を得て降板。2-0の8回から3番手でリリーフした星野だったが、勝利目前の9回裏、大杉勝男の左翼線二塁打とチャーリ・マニエルの中前安打で無死一、三塁のピンチを招くと、杉浦亨をカウント0-2と追い込みながら、3球目を右中間席に逆転サヨナラ3ランを被弾。悪夢の2日連続KOとなった。「信じられん。まいったなあ」と言ったのは、勝ったヤクルト・広岡達朗監督だったが、星野も心の中で同じセリフを口にしていたかもしれない。

 チームも夏場以降の失速で5位に沈み、10月4日のヤクルト戦では0-9と完敗、目の前で優勝の胴上げを見せられるなど、“燕の引き立て役”でシーズンを終えている。


 1軍昇格直後のシーズン初登板で1球サヨナラ敗戦を記録したのが、DeNA時代の菊地和正だ。

 2014年4月4日の広島戦、1-1の延長11回裏、6番手としてマウンドに上がった菊地は、先頭の梵英心に初球を左翼席上段に運ばれ、1球敗戦投手になったばかりでなく、3連敗を喫したチームも最下位転落と踏んだり蹴ったりだった。

 それから5日後、4月9日の阪神戦、菊地は3点を勝ち越された直後の8回二死一塁から敗戦処理でリリーフし、藤井彰人を1球で三ゴロに打ち取った。

 悪い流れを断ち切ったDeNAは9回表、3安打を集中して1点差まで追い上げ、なおも二死二塁で、菊地の代打・金城龍彦が打席に。もし2ランを打てば、菊地は1週間足らずのうちに1球敗戦と1球勝利の両方を記録するという珍事が実現するところだったが、金城は右飛に倒れ、ゲームセット。

 そして、結果的にこれが菊地のNPB最後の登板となった。同年、登板2試合、投球数2の0勝1敗、防御率27.00でシーズンを終えた菊地は戦力外通告を受け、翌2015年、テスト生として古巣・日本ハムの春季キャンプに参加するも不合格。群馬ダイヤモンドペガサスに入団し、NPB復帰を目指したが、同年11月の12球団合同トライアウト受験を最後に現役引退した。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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