きょう11月6日、大井競馬場では重賞のハイセイコー記念が行われる。レースタイトルになっている「ハイセイコー」とは、1970年代に社会現象を巻き起こした名馬。今年で74年のラストランから50年の節目でもあり、第一次競馬ブームの火付け役となった“国民的アイドルホース”の足跡をたどる。
武田牧場で生を受けたハイセイコーは父チャイナロック、母ハイユウ、母の父カリムの血統。デビュー前から評判を呼んでいた同馬は、72年7月に 大井でベールを脱いだ。ダ1000mで後続に8馬身差を付け、コースレコード(当時)の59秒4で走破する衝撃的なデビュー。その後のレースもすべて7馬身差以上の圧勝続きで、ゴールドジュニアでは10馬身差、重賞の青雲賞でも7馬身差を付けた。
ダ1600mで争われた青雲賞の走破時計は1分39秒2。現在はハイセイコー記念に改称された一戦において、50年以上が経過した今でもレースレコードとなっている。それどころか、1分39秒台で駆けた馬さえいない。近年は41秒〜42秒台で決着することが多く、アンタッチャブルレコードのひとつに数えられている。
大井6戦6勝の成績を引っさげて中央移籍したハイセイコーは、ますます注目を集めていった。着差、レース内容こそ、地方時代ほど派手なものでは無かったが、弥生賞、スプリングS、皐月賞、NHK杯と4連勝。日本ダービーで3着に敗れ、連勝がストップしたものの、人気は衰えるどころか上昇気配。暮れの有馬記念ファン投票でも圧倒的な支持率を集めるなど、地方出身の「野武士」が中央のエリートに食らいつく姿は、多くの人の心をひきつけた。
引退年となった74年には中山記念、宝塚記念、高松宮杯と重賞3勝を飾るなど、実力も生涯トップクラス。日に日に増した知名度は競馬界の枠を超え、「東京都 ハイセイコー様」でファンレターが届いたという伝説的なエピソードも。少年雑誌や女性週刊誌に掲載されるなど、一般社会にまで深く浸透。それまでの“競馬=ギャンブル”だけだったイメージを大きく変え、現在にいたる競馬の大衆化に大きく寄与した一頭といえる。
現役を退いてもブームは収まりを見せず、主戦の増沢末夫騎手が歌い、75年1月に発売された『さらばハイセイコー』は50万枚を売り上げる大ヒットソングとなった。種牡馬としてもカツラノハイセイコなどを送り出して成功。90年には地方競馬リーディングサイアーも獲得している。けい養先にも数多くのファンが訪れ、長きに渡って愛された名馬だったが、00年に30歳でこの世を去った。引退から半世紀、亡くなってから約四半世紀が経過したが、今なお「ハイセイコー」の名前を耳にする機会は多い。
大井競馬では彼の功績を称え、01年に青雲賞をハイセイコー記念に改称した。20年からは南関東ローカルグレード最上位のSIに格上げされ、全日本2歳優駿につながる最重要ステップになった同レース。今年も将来性あふれる16頭が顔を揃えた。今後の競馬界を沸かせ、ファンに愛されるような、スターホースがこの一戦から出てくることを楽しみにしたい。