初めての還暦/島田明宏

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2024年11月07日 21:00  netkeiba

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▲作家の島田明宏さん
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 先週の土曜日、還暦を迎えた。甲・乙・丙・丁……の十干(じっかん)と、子・丑・寅・卯……の十二支を組み合わせた干支は60を周期としている。それがひと巡りして元に戻ることを還暦と言うのだと、さっき調べて初めて知った。私の場合、2024年の今年、生まれ年である1964年の「甲辰(きのえたつ)」に戻ったわけだ。

 赤ちゃんに戻ったから、赤いちゃんちゃんこなどを着て祝うのだという。着る意味はわかったが、なぜ祝うのか。長寿を祝うということなのだろうが、この年になってもセコセコと原稿を書かなければならないのだから、本人としてはめでたくもなんともない。

 干支がふた回り目となる120歳を大還暦と言うらしい。だとすると、「長嶋茂雄語録」のひとつになっている「初めての還暦」というのは、あながち誤った言い方というわけではないようだ。

「初めての還暦」という表現は、当時、かなり話題になった。それが流行語として認識されていたかどうか、「ユーキャン新語・流行語大賞」のサイトの「過去の授賞語」で、長嶋氏が60歳になった1996年の授賞語を見てみた。すると、「初めての還暦」は授賞語になっていなかったが、これも長嶋氏の言葉として知られる「メークドラマ」が大賞のひとつになっていた。首位の広島カープに最大11.5ゲーム差をつけられていた長嶋ジャイアンツが大逆転でリーグ優勝を果たしたときに使われた言葉だ。

 先日発表された今年のノミネート語のなかに、パリ五輪の馬術で日本勢として92年ぶりのメダルを獲得した「初老ジャパン」が入っている。大賞は大谷翔平選手の「50-50」あたりだろうが、「初老ジャパン」はベスト10には残るのではないか。

 そのひとりで、JRA職員の戸本一真選手とは、9月末に行われたJRA創立70周年記念式典で少しだけ話すことができた。私が自己紹介し、(スケジュールの都合で実現しなかったが)依頼していた取材について言及すると、「名刺交換をさせていただいてもよろしいでしょうか」と戸本選手が名刺を差し出した。

 私は彼を五輪のメダリストとして見ていたので意表をつかれたように感じたが、アスリートとしての礼儀正しさとJRA職員としての良識を、この短いやり取りでしっかり見せてもらった。

 彼のチームメイトである大岩義明選手に取材することになったので、今から楽しみにしている。

 当たり前のように「初老ジャパン」と書いているが、戸本選手は41歳、大岩選手は48歳と、私よりずっと若い。手元の辞書や、NHK放送文化研究所や毎日新聞校閲センターのサイトなどに書かれていることを総合すると、昔は40歳ぐらいの人を「初老」と言ったが、今は「初めての還暦」を迎えた私ぐらいか、もう何歳か上くらいを指す、と考えていいようだ。もともとは40歳の異称なので、三十代後半の2人と、四十代の2人で構成されるチームにあてても、それほどおかしいわけではない。つくづく、上手く命名したものだと思う。

 先週末の米国ブリーダーズカップに19頭の日本馬が出走(取消1頭)し、BCクラシックでフォーエバーヤングが3着、BCターフでローシャムパークが2着、シャフリヤールが3着、BCマイルでテンハッピーローズが4着、ジオグリフが5着、BCディスタフでアリスヴェリテが4着と健闘した。残念ながら、勝つことはできなかったが、芝ばかりでなく、ダートも、遠い栄冠ではないことがあらためて明らかになった。

 また、豪州メルボルンCで菅原明良騎手が騎乗したワープスピードがハナ差の2着と、こちらも実に惜しかった。

 日付のうえではブリーダーズカップの翌日に佐賀で行われたJBCクラシックを、帰国したばかりの川田将雅騎手が乗るウィルソンテソーロが制した。川田騎手があそこまで喜びをあらわにするのは珍しい。生まれ育った地での勝利はやはり格別だったのだろう。

 管理する小手川準調教師にとっては、開業5年目で初めて手にしたJpnI勝利となった。コビさんこと小桧山悟元調教師の弟子だった人だけに、私もとても嬉しい。こう書くと、「いや、今でもぼくは小桧山先生の弟子です」と言われそうな気がする。そんなナイスガイの小手川調教師はもうすぐ53歳。オールドルーキーと言われたが、まだ初老ではない。次はJRA・GI制覇に期待しよう。

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