限定公開( 1 )
富士山北麓の山梨県富士吉田市と、富士山五合目を結ぶ壮大な登山鉄道を建設する構想が持ち上がっているのをご存じだろうか。
【画像】富士山登山鉄道(LRT)の予想図。往復1万円という高額な運賃設定を前提としている。
この「富士山登山鉄道構想」は、長崎幸太郎山梨県知事が2019年に知事選に出馬したとき以来の公約だが、最近、地元の富士吉田市を中心にいくつかの反対団体が発足。双方の主張が真っ向からぶつかる事態となっている。
10月28日には県が「富士山登山鉄道構想 事業化検討に係る中間報告」を公表。一方、中心的な反対団体である「富士山登山鉄道に反対する会」(会長:上文司厚=北口本宮冨士浅間神社宮司)は、同31日に「富士山登山鉄道構想に反対するフォーラム」を開催した。
本記事では構想を推進する県と反対派双方の主張を見ながら、富士山登山鉄道の実現可能性を探ってみたい。
|
|
●運賃「往復1万円」は妥当か?
「富士山登山鉄道構想」は、県が設置した「富士山登山鉄道構想検討会」によって2021年2月に策定された。富士山の公共交通を巡っては、過去にも地元の交通事業者である富士急によるトンネルケーブルカー計画や、富士五湖観光連盟が登山鉄道建設の提言を行ったこともあったが、具体的な動きにはつながらなかった。
今回の登山鉄道構想が持ち上がった背景には、富士山のオーバーツーリズムがある。2013年6月に富士山が世界文化遺産に登録されたことなどから、山梨県側から五合目を訪れる観光客数は、2012年の231万人から2019年には506万人にまで増加。
ゴミ問題やトイレの処理能力の低下など、このままでは富士山の自然環境が破壊されるとの懸念から、有料道路・富士スバルライン上に登山鉄道を敷設し、救急車などを除く一般車両の乗り入れを規制することで、入山者数を管理しようという意図があるのだ。
では、この登山鉄道構想は具体的にはどのようなものなのか。
|
|
「富士山登山鉄道構想」によると、五合目行きシャトルバス発着場のある「富士山パーキング」(富士山北麓駐車場)付近に、起点となる「山麓駅」を設ける。ここから富士スバルライン上に軌道を敷設し、路線の拡幅などの改変は原則行わず、五合目までの約25〜28キロの区間にLRT(次世代型路面電車)を整備するというものだ(途中駅は4カ所に設置する)。
今回出された「中間報告」で注目すべき点として、往復1万円という高額な運賃設定を前提として、「乗車する客層は一定程度のミドルアッパー層が高い割合を占めることが想定される」とし、五合目駅付近にラクジュアリーホテルなどを建設。また、山麓駅周辺にもリゾートホテルやMICE施設などを建設するといった付帯事業にも言及し、それらを含む経済波及効果も試算していることが挙げられる。県がどのような開発を想定しているのか、全体の青写真が見えてきた感じだ。
だが、現在の富士急のシャトルバスの運賃が往復2500円であることと比較すると、大幅な値上げとなる。国民の共有財産である富士山に一部の富裕層しか登れなくするのが妥当なのかといった意見は、今後、当然出てくるだろう。
●設備投資額の合計は1486億円
次に、収支分析などについて見ていこう。設備投資額の合計は1486億円で、事業期間を40年とした場合の経済波及効果は1.56兆円、雇用効果は延べ12万人になると試算している。
|
|
LRTは複線軌道で整備し、6分間隔で運転すると仮定した場合、1日10時間、年間280日運行すると、年間の輸送人数は336万人になるとしている。この年間利用者数300万人、設備投資額1486億円、営業費用(年額)約35億円を収支分析の前提としているが、これはかなり無理がある数値と言わざるを得ない。
冬季の富士スバルラインは除雪車による除雪後も、路面凍結のために通行止めとなるケースが多く、五合目までの全線が営業できる日数は、年間223日程度(2012〜17年度における平均値)である。ゴムタイヤの自動車に比べて粘着力の低い鉄車輪を用いる鉄道であれば、さらに営業日数は減らさざるを得ず、280日間フルで営業するのは困難だ。また、運賃1万円のLRTを6分間隔で運転しても、2両編成(定員120人)の車両の乗車率が100%になることはまずあり得ないだろう。
「中間報告」では、利用者数・設備投資・営業費用の3要素いずれの数値も37%悪化した場合に合計収支が0となる、つまりこれを損益分岐点としているが、少なくとも利用者数に関しては、もっと低く見積もるのが妥当と思われる。
●技術的な不安要素
では、技術面はどうか。気になるのは、富士スバルラインは最大88パーミル(1キロ走行するごとに88メートル上がる)の急勾配や急カーブが多く、しかも勾配とカーブが競合しているところが多い。「中間報告」によると、脱線リスク軽減のため、噴射装置による増粘着剤の散布や、レールへの脱線防止ガードの設置により対応するという。
80パーミル前後という数値は箱根登山鉄道の最急勾配と同等であり、実績がないわけではないが、富士山五合目の標高は2300メートルであり、平地では考えられないような強風が吹き、急な天候の変化も多い。登山鉄道を実現するならば、今後、相当な検証の積み重ねが必要となるだろう。
技術面でもう1つ不安要素となりそうなのが、集電方式である。「中間報告」は第三軌条集電方式(架線レスシステム)が「実績があり優位性がある」としており、それ自体は景観保全の見地からも妥当であると考えられる。問題は、途中駅周辺や人が線路を横切る区間、急曲線区間では危険性を伴うため第三軌条を用いることができず、一部でバッテリー走行を視野に入れる必要があるという点だ。
バッテリーはどうしても、それなりの重量になる。最近は総重量を過度に増やすことなく、容易に搭載可能な路面電車を想定したバッテリーも開発されているとはいえ、車両重量の増加は急勾配を上り下りする鉄道にとってマイナス要素にしかならない。
ここで思い出されるのが、100パーミルの急勾配に対応するために強力なモーターを搭載したことから車体重量が増加し、構造物への負荷による危険性の増大などから、開業後1年半で休業に追い込まれた横浜ドリームランドモノレールの事例だ。今回のLRTも大型モーターの搭載が必要となり、車両の制動性能(ブレーキ)や路盤・路床および橋梁への影響なども考慮されなければならない。
こうした技術面に加え、雪崩、落石、火山噴火時の避難計画や自然公園法などの諸法令・規制への対応などクリアすべき課題は多く、実現するにはかなりの時間が必要となるであろう。県は最短でも工事着工まで8年かかるとしている。
●反対派の主張はどのようなものか
では、一方の反対派はどのような主張をしているのか。「富士山登山鉄道構想に反対するフォーラム」に登壇した元・都留文科大学教授の渡辺豊博氏は、「富士山はユネスコからさまざまな問題点・改善点の指摘を受けているが、登山鉄道を建設すれば、それらの問題が解決するかのような県の主張は誤っている」と声を張り上げる。
渡辺氏は「富士山の最大の問題点は管理が一元化されていないことだ。文化庁、環境省、林野庁などによる縦割り行政がそのまま適用されていることが、さまざまな問題を引き起こしている要因」と指摘。環境保護局が一元管理する海外の事例を挙げつつ「富士山を開発すること自体には反対しない。しかし、開発の前提として包括的な管理基本計画(富士山再生アクションプランのようなもの)が必要であり、大きな視野でどのように整備すべきかを検討する必要がある。それがないから県が暴走する」と、一元管理ができていない国の対応のまずさと県の姿勢を批判する。
富士吉田市では、現在、自動運転EVバスの実証実験を進めているが、これを前提に渡辺氏は「オーバーツーリズム対策ということであれば、海外の国立公園と同様、麓にゲートを設けて入山者の総量規制をすればよく、ゲートを通過した人たちはEVバスに乗って五合目へ移動してもらえばいい。登山鉄道など全く必要ない。むしろ、オーバーツーリズムの対策として重要なのは、お客さんを五合目に集中させるのではなく、さまざまな散策コースを設定するなどして分散させ、自然への負荷を軽減する視点だ」と言う。
●冷静に問題点の整理を
さらに「1400億円ものお金を登山鉄道にかけるのならば、ほかに今すぐにでもやるべきことはたくさんある。まず、富士山には国営のきちんとしたビジターセンターがない。登山者や観光客が最初に訪れて情報収集するビジターセンターは必須だ。また、安全確保や自然保護の見地からは上下登山道の合流地点などの整備も必要だし、レンジャーの数も足りていない。米国のヨセミテ国立公園にはレンジャーが1000人いるが、富士山周辺にはわずか3人しかいない」と渡辺氏は現状の問題点を指摘する。
以上を見れば、反対派の主張に理があるように思われるが、「登山鉄道の建設は、富士山を傷つける行為。日本人が本当にやることか」(渡辺氏)というような反対派の主張には違和感がある。
登山鉄道を建設するといっても、既存道路の上に軌道を敷設するのであれば、「富士山を傷つける行為」とまでは言えないのではないか。渡辺氏の講演は、県を糾弾するために、やや感情論に訴えすぎているように思われる場面が多々あったが、県を過度に刺激するのは逆効果だろう。
県と反対派双方の主張を見聞きして感じたのは、お互いにもう少し冷静になって現状の問題点を整理するとともに、妥協点を見いだすことが必要ということだ。また、山梨県側単独で議論を進めるのではなく、静岡県側との連携も必要であろう。11月13日には知事と反対団体の意見交換の場が設けられる。ぜひ、この場を問題解決の糸口にしてほしい。
●筆者プロフィール:森川 天喜(もりかわ あき)
旅行・鉄道作家、ジャーナリスト。
現在、神奈川県観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員。旅行、鉄道、ホテル、都市開発など幅広いジャンルの取材記事を雑誌、オンライン問わず寄稿。メディア出演、連載多数。近著に『湘南モノレール50年の軌跡』(2023年5月 神奈川新聞社刊)、『かながわ鉄道廃線紀行』(2024年10月 神奈川新聞社刊)など。
|
|
|
|
Copyright(C) 2024 ITmedia Inc. All rights reserved. 記事・写真の無断転載を禁じます。
掲載情報の著作権は提供元企業に帰属します。