子どもの人生を蝕む毒親。埼玉県の50代後半の女性は、妻子を顧みない海外赴任中の父とアルコール依存症の母のもとで、苦労の絶えない半生を過ごしてきた。
「父には現地妻がいた。それを気に病んだ母は酒に溺れ、私が中学生の頃には何度も救急搬送され、ときには『前後不覚の状態で道に倒れていた』と警察から学校に連絡が入ることも続いた」
女性には3歳年下の弟がいた。母がこうなので、当時の女性は未成年だったが、家事のすべてを担うしかなかった。いわゆるヤングケアラーだった。(文:福岡ちはや)
「産まなければよかった!」と吐き捨てた毒母、やがて愛人を家に泊らせるようになり…
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女性が高校生になると、母は愛人を家に泊まらせるようになり、気にくわないことがあれば
「おまえたちなんて産まなければよかった!」
と暴れるようになった。これにはさすがの女性も手に負えなくなり、「母方の祖母と叔父に助けを求めた」という。おかげで母は依存症の治療に通うことになったが、祖母が女性の父に状況を知らせたことで、女性は思わぬピンチに追い込まれてしまう。
「父が母の愛人相手に裁判を起こし、その費用を捻出するため、私に『大学進学を諦めろ』と言ってきた。高校3年の秋だった。絶望した」
自分が現地妻を持っていることは棚に上げて妻の不貞を咎め、その裁判のために子どもの進学を平気で犠牲にする人を、果たして父と呼べるのだろうか。
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その後、女性は「家を出て祖母の家に身を寄せ、高校卒業後は2年間アルバイトをして貯めたお金で専門学校に進学した」という。一方の母は、自力で人生を切り開いた娘とは対照的に、相変わらず底に沈んだままだった。
「両親は離婚したが、母は酒を断つことができず、次から次へと愛人を作り、母からは私が結婚して子どもが産まれてからも金の無心が続いた。祖母の葬式でも母は傍若無人に振る舞い、親戚一同から絶縁されてしまった。叔父の葬式には顔を出しもしなかった。15年前、私の夫が急死したときは、子どもがまだ高校生だったにもかかわらず、母から『保険金入るんでしょ? 少し回してくれない?』と言われ、連絡を断った」
毒親はどこまでいっても、自分の利益しか考えないようだ。しかし厄介なことに、いくら距離を置こうが親子の縁を完全に断ち切るのは難しく、「3年前に母の住む自治体から連絡があり、援助するよう要請があった」という。女性は淡々と、
「受けた仕打ちをすべて伝え、『絶縁を希望したい』とお伝えした」
と語った。これだけ強烈な毒親エピソードを聞けば、さすがの自治体も女性に援助を強いることはできないと思いたい。
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