棚橋弘至、なぜプロレス界を超えた存在になり得たかーー転機となった2011年と中邑真輔の存在

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2024年11月15日 08:01  リアルサウンド

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柳澤健『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』(文藝春秋)
■棚橋弘至と中邑真輔

  去る10.14、新日本プロレスの両国大会。このビッグマッチで、棚橋弘至が「2026年の1.4東京ドーム大会での引退」を発表した。つまり、棚橋が現役で戦う姿を見られるのは、もうあと1年ちょっとということになる。新日本プロレスという団体だけではなく、プロレス業界全体に大きな影響を及ぼした偉大なレスラーが、とうとう最前線を去るのだ。


  現在の棚橋は、選手兼社長として新日本プロレスの代表取締役社長を務めている。名実ともに新日本プロレスの顔である。1976年生まれでもうじき48歳。普通のスポーツ選手ならば現役を退いていても不思議ではない年齢だが、プロレスラーの引退のタイミングとしては早い方である。「棚橋は会場に行けばいつでも見られるしなあ」とか思っていたが、それもあと一年。こうして引退のタイミングを突きつけられると、マジかよ……という気持ちが湧いてくる。


  普段からプロレスを見ている人以外には、棚橋というレスラーがどういう存在なのかいまいちよくわからないかもしれない。「たまにバラエティ番組とか仮面ライダーとかに出てるゴツい人」くらいの理解でも全然構わないのだが、ではなぜ棚橋はテレビに出たり仮面ライダーの映画で怪人役をやっているのか。プロレスファン以外にもそれなりに知名度のある存在であるのはなぜなのか。そういった疑問をわかりやすく解消してくれる本が、柳澤健の『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』である。


  タイトルの通り、この書籍では棚橋弘至の他にもう一人の主役として、現在はアメリカのWWEで活躍する中邑真輔が登場する。棚橋は1999年に新日本プロレス入りし、中邑は2002年に入門。3年違いでプロレス団体に入ったこの2人は、2000年代から2010年代というプロレス業界が激変した時期に活躍し、現在のプロレス業界の隆盛を築き上げた。


 2000年代以降のプロレスは、最悪の時期を迎えていたと言っていい。1993年に開始されたUFCは総合格闘技の大ブームを生み出した。1997年10月に開催されたPRIDE.1ではプロレスラーの高田信彦が柔術家のヒクソン・グレイシーに敗北。KOとタップアウトとコーナーストップのみで決着がつき、目潰しと噛みつきと金的以外はあらゆる攻撃方法が許されるというUFCのルールは、これまで日本のプロレス業界が頑なに守ってきた「プロレスは最強の格闘技である」という幻想を打ち砕いてしまった。


 『2011年の〜』は、あくまで棚橋と中邑という2選手を主役に置きつつ、この時期の新日本プロレスの混乱ぶりから丁寧に解説する。新日本プロレスの創業者であるアントニオ猪木は、プロレスラーであると同時に多くの異種格闘技戦を制したことから、この時期には「総合格闘技の開祖」というイメージも身につけることになった。2000年代前半にはプロレスを引退していたものの、創業者という点もあって新日本プロレスの経営にたびたび介入。現場を顧みないアイデアを次々に投入し、所属レスラーたちを疲弊させていた。この時期の猪木のメチャクチャぶりは本当に凄まじいので、ぜひ本書で確かめてほしい。


■混迷するプロレス、立ち上がった棚橋

  このプロレスという事業が破壊されそうになっていた状況下で、一人立ち上がったのが棚橋である。もともと「立命館大学のプロレス研究会出身」という異色の出自を持ち、熱狂的プロレスファンでありながら格闘技的なヒエラルキーからは距離があった棚橋は、団体創業者であり全プロレスラーの頭上に君臨するカリスマである猪木を真っ向から否定する。もちろんそこには紆余曲折があり、若き棚橋が犯してしまった過ちと、それでも自分を見捨てなかった団体に対する恩義があったことも『2011年の〜』には書かれている。


  一方の主人公である中邑の辿った道筋は、棚橋とは対照的だ。高校時代からアマレスの経験を持ち、デビュー前には柔術のトレーニングも積んでいた中邑は、格闘技路線へと舵を切ろうとしていた新日本プロレスにおいて期待の若手として担がれ、デビュー戦の会場は武道館。破格の扱いを受けて「選ばれし神の子」としてデビューしたが、時代の流れの中で「プロレス」という見せ物を扱いかねていた団体トップに翻弄され、ファンの支持を得られない時期を過ごすことになる。


 『2011年の〜』が面白いのは、柳澤健による一連のプロレス本の中でも、比較的新しい年代の出来事を扱っている点だ。当然ながら登場人物のほとんどは存命の現役レスラーであり、本書での証言内容はそのまま現在の試合内容へとつながっている。その証言の中で、棚橋が中邑を語り、中邑が棚橋を語る構成になっている点こそが、本書の面白みだろう。プロレス冬の時代に翻弄され、やがて独自の個性を掴み取ることによって大きく業績を回復させた2人のレスラーから豊富な証言を引き出せたことは、プロレスファンにとって大きな財産だと思う。


  行き詰まった新日本プロレスの中で棚橋と中邑は悪戦苦闘し、「レッスルランド」など団体が考えた場当たり的なアイデアに翻弄される。そんな中、棚橋は観客に向かって「愛してます」と叫び続け、プロモーションに奔走し、ついには状況をひっくり返すことに成功する。『2011年の〜』で書かれているそのプロセスを読めば、棚橋というレスラーがいかに偉業を達成したか、よくわかるはずだ。冗談抜きで、棚橋がいなかったら日本の業界トップ団体である新日本プロレスが2000年代のどこかで消滅していた可能性があるし、そのまま日本のプロレス業界全体が沈没していた確率も決して低くない。日本プロレス業界の救世主と言っても過言ではない存在が、棚橋弘至なのだ。


  業界全体に響くような偉業を成し遂げ、一時代を築いた偉大なレスラーが引退する。1年前から大々的に発表し、長期間にわたって引退ロードを敷かれる意味が、プロレスに興味のない方にも少しは伝わっただろうか。現在プロレス興業の客入りはコロナ禍からの回復の渦中にあり、2019年ごろの客入りに戻りつつある最中だと聞く。ならば「1年後に引退する棚橋」の姿は、コロナ禍からの回復のさらなる起爆剤として機能するはずだ。『2011年の〜』を読めば、自身の引退というイベントまで団体のために使い切るその姿勢こそ棚橋らしいと、しみじみ納得させられるはずである。



このニュースに関するつぶやき

  • 社長になってからの棚橋は耳障り良いことを言うだけで全然プロレスラー感ない。
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