「クオリティーの高い提案を出せば受注できると思っていた。しかし、現実はそう単純ではなかった」──オーダーメイドAI開発とコンサルティングを融合させた「カスタムAIソリューション事業」を手掛けるLaboro.AI(東京都中央区)の椎橋徹夫CEOは、創業時の苦い経験をこう振り返る。
テキサス大学で数学と物理を学び、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)では最年少でプリンシパルに就任。その後、東京大学松尾研究室でAIの企業連携に従事するなど、卓越したキャリアを積んできた椎橋CEOは、2016年にLaboro.AIを創業。しかし、華々しい経歴を誇る椎橋CEOも、スタートアップの世界では全く異なる現実に直面することになる。
Laboro.AIは23年7月に東証グロース市場に上場を果たしたが、その道のりは平たんではなかった。「優れた技術があっても、大企業との取引には想像以上の複雑さがありました」と椎橋CEOは当時を振り返る。
開発チームと営業チームの連携不足、そして何より創業者自身が市場と向き合う重要性──。これらの課題に直面しながら、短期的な成果と長期的なビジョンの両立に苦心した経験は、現在の同社の成長戦略にも深く反映されているという。スタートアップならではの試行錯誤と、そこから得られた教訓は、多くのテクノロジー企業の挑戦にも示唆を与えそうだ。
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●B2B営業の複雑性 コンサル経験が裏目に出たわな
「不確実性を甘く見ていた。予測できないこと、コントロールできないことがたくさんあった」。Laboro.AI創業者の椎橋CEOは、コンサルタント時代の経験が、むしろ足かせとなった状況をこう振り返る。
16年の創業から半年以上、立てた計画を一度も達成できなかったという。大手コンサルティングファームで培った経験を生かし、徹底的な分析に基づく事業計画を立案した。売上計画をExcelで緻密にモデル化し、1日あたりの商談件数、受注確率、平均単価から、月次・年次の売上予測まで、全て計算し尽くした。
しかし現実は、そんな机上の計算を簡単に打ち砕いた。初月こそ既存の関係先からの受注があったものの、その案件すら織り込み済みの計画には届かなかった。2カ月目以降はもくろみが大きく外れ始め、その後も半年以上にわたって計画未達が続いた。
同社は当時、2つの方向性を模索していた。一つは企業向けのAIプロジェクト、もう一つはプロダクト展開だ。特に後者では、2016年の第一次チャットbotブームを捉え、野心的な取り組みを開始。強化学習を使った対話システムの開発に着手した。現在のChatGPTのような対話型AIが当たり前になっている中、当時としては画期的な試みだった。AIが能動的にユーザーに話しかけ、セールスまで行うチャットbotを構想していたのだ。
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開発にあたっては、スタートアップの王道ともいえるリーンスタートアップの手法を採用。顧客へのヒアリング目標件数を設定し、仮説検証を繰り返し、事業アイデアを可視化する「リーンキャンバス」も作成した。しかし、この周到な計画も現実の前には無力だった。設定した検証件数に到達することすらできず、基本的な市場検証の段階で行き詰まってしまう。
状況が深刻化するにつれ、創業メンバーの間では重い空気が漂い始めた。全員が前職を持ちながらの兼業でスタートしていたことが、かえって冷静な判断を可能にした。事業継続の是非を問う議論も持ち上がった。
「コンサル時代はある種、頑張ってひねり出せばなんとか成果を出せると思っていた」と椎橋CEOは当時を振り返る。「不確実性が実際の事業に比べると小さい。パワポを書くのに不確定要素はない。ところが事業は自分がコントロールできる部分はほんの少ししかない」
さらに、組織に関する気付きも得た。大企業では組織が整然と動いていたが、スタートアップではその強制力が明示的ではなくなる。初期の探索フェーズでは、自分自身にも計画の内容に意味があるのか確信が持てない。計画の意味自体を疑問視してしまい、それが時として言い訳にもなっていった。
結果として、具体的な行動目標すら未達に終わった。計画自体が正しいのかどうかも分からない不確実性と向き合いながら、それでも前に進まなければならない。この矛盾との格闘が、創業期の本質だった。
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この経験は、その後の同社の経営に大きな影響を与えることになる。不確実性を前提とした意思決定の仕組み、小さな成功体験の積み重ね、そして何より正解のない問いに向き合い続ける覚悟──これらは、苦しい時期に得た貴重な教訓になったという。
●「売れる」という幻想 創業初期の苦悩
椎橋CEOはもう一つ、創業期に直面した“現実”について語った。イノベーションに積極的と知られるとある大手消費財・流通関連企業との商談は、椎橋CEOにとって忘れられない経験だったという。BCG時代、同社のビッグデータ解析プロジェクトでマネジャーを務め、チャレンジ精神旺盛な社長とも親密な関係を築いていた。プロジェクトでは一定の成果を出し、データからインサイトも得られていた。
「プロジェクトマネジャーとして深く関わり、データの可能性を実感していた。ただ、コンサルタントの仕事は結果を出して終わり。その後の実装まではやらない。せっかくの分析結果も、実際のビジネスで使える状態にはなっていなかった」と当時を振り返る。
その経験が、創業後の提案の原点となった。今度は実装まで一気通貫で手掛けられる立場で、数千万円規模の新規プロジェクトを提案。プロジェクトの責任者として成果を出した実績があり、実装に必要な技術力も備えていた。「これまでの関係性があり、技術的な深い理解もある。これが取れないで何が取れるのか」という自信があった。
しかし、現実は厳しかった。「やりたいことはズレていない」という評価は得られたものの、具体的な進展が見られない。提案はフルセットで行ったが、次第に個別の機能の必要性を問う議論が始まり、ROIへの疑問が投げかけられ、さらには代替となるBIツールの検討案まで浮上。会議は長引くばかりだった。
「当時は『スコープの切り方が悪かったのかな』『ROIが良くないから範囲を絞れば通るのでは』と考えていました」。しかし、本質は別のところにあった。創業間もないベンチャー企業に対して、大手企業が数千万円規模のプロジェクトを発注することの難しさだ。
「今になって分かる。そもそも提案の中身の前にクリアすべき前提について、全く理解できていなかった。企業にはガバナンスがあり、取引には複数の決裁者が合理的と判断できる信用や取引先選定の必然性が必要になる。また、決裁者一人一人の動機や思惑もある。そのような何重にも重なるコンテクスト(文脈)の上で初めて提案の内容が意味を持ってくる。その当たり前のことに気付くまでに時間がかかった」と椎橋CEOは振り返る。
同様の経験は他社との商談でも繰り返された。大手IT企業では、BCG時代にやりとりのあった役員が「AIはぜひやりたい」と意欲を示し、投資の可能性まで示唆。数千万円規模の提案を行い、その場では好意的な反応を得たものの、結局プロジェクト化には至らなかった。
●転機は100万円規模の小さなプロジェクト
転機となったのは、まったく縁故のない企業から獲得した100万円規模の小規模プロジェクトだった。「ニーズが明確で、前提のコンテクストも合っていた。過去の関係性に期待せず、フラットな目線で提案できた」。椎橋CEOはこの経験を、創業期における最も重要な学びの一つとして位置付ける。
「分かっていない営業は、提案の中身について個々の課題が解決できれば受注できると考えてしまう。でも、それは真因ではない」。クライアントは「御社は信用が足りない」とか「競合他社との関係が深いので」などとストレートには言ってくれない。そのため、さまざまな理由をつけて検討が長引いていく──。この"パターン"に気付くまでに、かなりの時間がかかったという。
ゼロからの試行錯誤を経て獲得した100万円のプロジェクトは、過去の華々しい実績に基づく数千万円規模の提案より、はるかに大きな価値があったと椎橋CEO。それは、スタートアップとして市場と向き合う際の、現実的なアプローチを学ぶ機会になったという。
●セールスと開発の分離がもたらした危機
商談での失敗を重ねる中で「コンテクスト」の重要性を学んだ椎橋CEO。しかし、組織づくりにおいては、また別の落とし穴が待ち構えていた。
「頭だけ使ってスマートにやっていければ」──チャットbot開発プロジェクトで椎橋CEOが描いた理想的な役割分担は、スタートアップの現実の前に崩れ去ることになる。
当初の構想は明確だった。営業専門家にドアノック営業を任せ、CTOがエンジニアを率いデモ開発に専念する。そして椎橋CEO自身はCEOとして、コンセプトの構築と全体管理に徹する。行動計画とKPIを設定し、PDCAを回していく──大企業での組織戦略コンサルプロジェクトの経験やリーンスタートアップの理論などをもとに、効率的な体制を目指した。
しかし、現場では深刻な断絶が生じていた。「営業からは『こういう質問を受けたが、プロダクトがまだないので答えられない』という報告が上がってくる。一方、開発サイドは『それでも売るのが営業の仕事だろう』と考える」。両者の溝は日を追うごとに深まっていった。
さらに、スタートアップの「理想像」が、問題を複雑にしていた。「プロダクトは営業がいなくても売れるものを目指さないといけない」「SaaSのように、プロダクト自体の価値で勝負する」──一見、正論に思えるこれらの考えに、椎橋CEOも影響を受けていた。
この考えを覆したのは、共同創業者の藤原弘将氏の一言だったという。「コンテンツドリブンで売れる最も典型的な例であるアーティストでも、手売りで売れなければ、いきなりマーケティングで売れることはない」(藤原氏)
藤原氏の指摘は、問題の本質を突いていた。まずは自らお客と接しながら、ニーズに合うプロダクトに近づけていく。その地道な過程を経ずして、理想的なプロダクト主導の成長はありえない。「結果が出ない日々を過ごす中で、プロダクト開発はそんなにスマートにはいかないことを思い知らされました」と椎橋CEOは語る。
この経験は、より本質的な気付きももたらした。「AIのインパクトは、SaaS型のプロダクトとして展開するよりも、企業の持つ産業アセットと組み合わせていったときに最も大きくなる」。スタートアップの「かっこいい勝ち方」を追求するあまり、見失いかけていた本質がそこにあった。
「プロダクトを作ってセールスなしでマーケティングだけで売れていく」「労働集約的なコンサルはかっこ悪い」──ミーハーな思い込みが、むしろ成長の足かせとなっていた。この反省が、後に同社のカスタムAIソリューションという事業モデルの確立につながっていったという。
●イノベーションのジレンマ 短期的成果と長期的ビジョンの葛藤
こうした失敗を経て企業向けのAIコンサルティングともいえるオーダーメイドAI事業が軌道に乗り始める。しかし皮肉なことに、逆に椎橋CEOはある種の危機感を覚えていた。
「AIのPOCがやりたい」という企業の課題に応えるプロジェクトが増え、売り上げは安定的に伸びていく。しかし、既存業務の部分的な効率化にとどまるケースが多くを占めるようになった。「これは逆にリスキーなんです。真綿で首を絞められるような感覚がありました」と椎橋CEO。目の前の成果に目を奪われ、イノベーションから遠ざかっていく思いだったという。
実は創業期、極度に苦しい時期を支えていたのは、短期的な展望ではなく、むしろ長期的な視点だった。「現実逃避と言えばそれまでですが、20年、30年先の未来を考えることが、唯一の心の支えでした」。日本のAI企業は米国、中国に2周も3周も後れを取っている。それでも、より長い時間軸で見れば、可能性は決して閉ざされていない。
「こういう考え方ができたのも、皮肉にも足元の業績が厳しかったからかもしれません。うまくいっていれば、わざわざ遠い未来に思いをはせる必要もなかった」。短期と長期、現実と理想。相反するものの間でもがき続けることこそが、スタートアップの宿命なのかもしれない。
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