日本シリーズの激闘からまもなく3週間。各球団は来季に向けて、新外国人選手の補強にも着手している。
22日には広島が外野手サンドロ・ファビアンの獲得を発表。ドミニカ共和国出身の26歳は、今季レンジャーズに所属し、9月に待望のメジャーデビューを飾ったが3試合に出場して5打数無安打に終わった。ただ、マイナーでは通算104本塁打を記録している長距離砲で、カープ打線の活性化に期待が懸かる。
ファビアンとすれば、まずは新天地で結果を残すことが最優先となるが、日本でのプレーを足掛かりに、いずれメジャーの大舞台にも戻りたいはず。5打数無安打のままでは終わりたくないのが本音だろう。
ただ、長いメジャーリーグの歴史において、生涯無安打のままバットを置いた打者も少なくない。1954年生まれのラリー・リトルトンという元外野手もそのうちの一人だ。
リトルトンが唯一メジャーの舞台に立ったのはインディアンス(現ガーディアンズ)でプレーした1981年。その年の開幕直前に27歳の誕生日を迎えたオールドルーキーは、前年までの5年間をマイナーで過ごした。
しかし、6年目にしてようやくメジャーから声が掛かると、チームの開幕2戦目に代打で初出場。ショートゴロに倒れたが、念願のメジャーリーガーとして第一歩を踏み出した。
その後も守備固めでの出場が多かったが、5試合でスタメンに名を連ねるなど5月下旬まで26試合に出場し、打席にも27回立った。ところが、築いたのは凡打の山。3四球、2得点、そして犠飛による1打点を記録したが、27打席で23打数無安打のまま、マイナーへの降格を言い渡された。
実は、この年のメジャーリーグは6月12日から7月31日まで50日間にも及ぶストライキが実施された。このストライキもリトルトンが3Aへ降格する一因となった可能性が高いという。
インディアンスはストライキ直前にリトルトンに代わって31歳の左腕ロス・グリムズリーをメジャーへ昇格させた。
リトルトンの後日談によると、もしグリムズリーがそのまま3Aに留まっていれば、チームは彼の高いサラリーを払わなければいけなかったという。しかし、グリムズリーよりも安価なリトルトンを3Aに所属させることで、チームは無駄な“経費”を削減できたというわけだ。
ストライキのにおいを察知したインディアンスのオーナーサイドとすれば、経営的には“好判断”だったのだろう。
結局、ストライキは8月に終了。レギュラーシーズンは再開されたが、その後リトルトンがメジャーに呼ばれることはなく、『Baseball Reference』の記録によると、2年後の1983年を最後に野球界から姿を消している。
もしあの年にストライキがなければ……、もし1本でも安打が出ていれば……。リトルトンが見たメジャーリーグの景色も少しは違ったかもしれない。
無安打でキャリアを終えた野手の中で「27打席」という数字は今もなおメジャー記録である。
文=八木遊(やぎ・ゆう)