26日、スパルタ・プラハがチャンピオンズリーグ(CL)第5節アトレティコ・マドリード戦を控えている中、この一戦を誰よりも心待ちにしているイジー・ロシツキー氏が、スペイン紙『マルカ』のインタビューに応じた。
130年以上の歴史があるチェコの“名門”スパルタ・プラハを語る上で、ロシツキー家は欠かせな一族だ。同クラブでプレーしていた父と、卓球選手の母の間に生を受けた兄イジー・ロシツキー、そして弟トマーシュ・ロシツキー。後者は、“リトル・モーツァルト”の異名を取り、ドルトムントとアーセナルなどでも活躍した他、チェコ代表では10年間キャプテンを務めたレジェンドである。前者も、弟同様に地元スパルタ・プラハで育ったのだが、その後に負った大ケガにより成功を手にすることはできなかった。それから月日は流れ、この兄弟は今、故郷のクラブでセカンドキャリアを歩んでおり、イジー氏はスカウト責任者として、トマーシュ氏はスポーツディレクターとして自身の経験を還元している。そんな折に、浅からぬ縁を持つクラブとの対戦が実現した。そう、アトレティコ・マドリードだ。
イジー氏は、1996年夏にスパルタ・プラハからアトレティコ・マドリードへと加入すると、Bチームでルベン・バラハ氏(現:バレンシア監督)らとともに、トップチーム昇格を目指した。が、翌年2月に前十字じん帯断裂の大ケガに見舞われる。それも「『シーズン終了後、このまま行けばトップチームに昇格できる』と言われた直後の試合だった」と。さらに「それから復帰して、リスタートを切ったんだけど、今度は反対の膝を壊したんだ。結局、在籍した4年間のうち、2年半以上をピッチ外で過ごした。自分が持っていた才能と可能性をすべて発揮できなかったのは辛かったよ」と苦悩した数年間を振り返った。
トップチームでのデビューを果たせなかった、イジー氏がクラブを去ってから数年後の2006年夏、またしてもロシツキー家とロヒブランコスが急接近する。今度は、ドルトムントで一時代を築いたトマーシュ氏のアトレティコ・マドリード加入が間近に迫ったのだ。しかし、交渉が最終局面を迎えたところで破談となり、移籍は実現せず。同氏はその夏にアーセナルへと移籍するのだが、当時を知るイジー氏は「ボルシア(・ドルトムント)が彼のためにドアを開けたとき、アトレティコはそこいて、弟は出ようとしていた。アトレティコと契約するという夢を持っていたからね」としつつ、驚きの事実を明かした。
それは、トマーシュ氏がスパルタ・プラハでデビューを飾ったばかりの頃にも、アトレティコ・マドリードが獲得に動いていたということだった。イジー氏は、「彼らは、弟が世界的スターになる前に連れて行こうとした。才能に恵まれていることは明白。17歳でデビューしたのだから。ただ、両親が若くして家を出ることを許さなかったんだ」と告白している。
そんなロシツキー家に結び付きのある両クラブの対戦は、日本時間27日の午前2時45分にキックオフを迎える。