飲みニケーションは必要か不要か? 議論で語られない管理職の“決定的な欠点”

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2024年11月27日 09:01  ITmedia ビジネスオンライン

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飲みニケーションは必要か、不要か

 「酔わないと本音でしゃべれないとか、距離が縮まらないとか、そもそもそんなヤツは社会人失格だろ。酒を飲まなきゃ仕事できねえのかよ」


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 「バカだねえ、そういう場でしかできない情報交換もあるし、人脈も広がるんだよ。実際、世の中で出世したり成功したりしている人間のほとんどはみんな酒好きだろ」


 ネット上でそんなアツい議論が今年も盛り上がっている。毎年この時期になると、何かと話題に挙がりやすい「飲みニケーション」の是非についてだ。


 今回のきっかけは、日本生命保険が11月25日に公表したインターネット調査の結果だ。1万1377人を対象に「飲みニケーション」について質問したところ、「不要」「どちらかといえば不要」と答えた人が56.4%に上ったのである。


 ネット上では「若手社員の中には上司や先輩と飲んでいろんな話を聞きたいと思っている者もけっこういる」とか「40代や50代も本当はもっと若手と飲みたいけれど、今はちょっとのことですぐにアルハラやパワハラと言われるので、ビビって腰が引けている」など、さまざまな立場からの意見が飛び交っている。


●「飲みニケーション」議論で大事な視点


 ただ、実際に企業のアルハラトラブルの対応に関わった経験者として言わせていただくと、これらの「飲みニケーション」議論には、大切な視点がごっそりと抜け落ちている。それを一言で表すとこうなる。


 飲みに行く、行かない以前に、シラフの段階で部下や周囲とうまくコミュニケーションが取れていない管理職が、日本の職場にはあふれかえっているーー。


 普段から下の意見にも耳を傾けて、相談にも乗ってくれるような上司と、その部下が会社が終わってから居酒屋で一杯やれば、距離はさらに縮まり、互いに貴重な情報が得られる。人間関係が「酒」でさらに円滑になるわけなので、「飲みニケーション」として成立している。


 逆に、普段から一方的に自分の考えを下に押し付けて、感じの悪い上司とその部下が居酒屋に行って一杯やったところで「飲みニケーション」が成立する可能性は低い。ビールのCMやテレビドラマならば、酒の勢いもあって互いに本音をぶつけあっていい関係になるところだろう。だが、現実はそんなに甘くない。


 上司は酔いもあって普段の高圧さがさらに輪をかけてひどくなり、延々と自分の考えや主張を一方的にまくしたてる。部下は「へえ」「すごいですね」などとヨイショしてうなずきながら空になったコップに酌をする。「これも仕事だ」と自分に言い聞かせて時が過ぎるのを待つ。そのようなサラリーマンなら誰もが経験のある「仕事の付き合い飲み」にしかならない。


 当たり前の話だが、好きな人と酒を飲めば楽しいし、価値観や話が合わない人、無条件でムカつく相手と飲んでも苦痛なだけで時間の無駄だ。要はミもフタもないことを言ってしまうと、「飲みニケーション」なるものが成立するか否かというのは、「相手次第」なのだ。


 このような視点が「飲みニケーション」の議論で抜け落ちている。


●深刻な「日本の管理職のコミュ力不足」


 近年、この問題が語られる際には「酒を飲んで説教をしないで、学びになる経験を話してやる」とか「割り勘じゃなくて上司がおごる」「注文やお酌をさせない」など酒の席での立ち振る舞いやマナーが重視される。


 だが、実はそれは表面的な話に過ぎず、「飲みニケーション」に必要なのは、酒を入れる前の人間関係・信頼関係だ。この「土台」をつくっていないくせに、酔わせて一緒に騒げば結束が深まるといった勘違いをすると、アルハラやパワハラになってしまう。


 つまり、「飲みニケーション」に否定的な声が大きくなっているのは、日本に「コミュ力不足の管理職」がそれだけ多いということなのだ。


 少し古い調査だが、それを示すような驚きの国際比較調査がある。米コーチング企業のコーチ・エィが2015年、15カ国(地域)それぞれの非管理職100人を対象にしたところ、日本は「上司と部下の関係における良好度」で15位とビリだった(調査対象者は計1500人)。


 なぜ日本の部下たちは、上司との関係がうまくいってないと感じているのか。謎を解く鍵は「会話」にある。


 日本の上司と部下はよく会話をしている。頻度は15カ国中4位だ。しかし、その会話はキャッチボールではなく、上司が「一方的に話しかけているだけ」なのだ。


 上司と部下の話す割合が「ほぼ同じ」と回答した人は29%にとどまり、15カ国中14位。反対に「上司が話している時間のほうが長い」と回答したのは53%にも及んで15位中4位だ。


 このように「上司が一方的にまくしたてて、それを黙ってウンウンうなずいて聞く部下」という図式が日本のビジネスシーンの定番となっていることは、最近の調査でも明らかになっている。


●昭和の体育会カルチャーがいまだに横行


 転職サービスなどを手掛けるパーソルキャリアの調査機関「Job総研」が20〜50代の男女を対象に「納得いかない職場の暗黙ルール」があるか質問したところ、「ある」と答えた人は88%に上った(有効回答数:805件)。


 理不尽な暗黙ルールの具体的な中身を聞くと、最も多かった回答は「上司の言うことが正しい」(40.2%)。次いで「新人が〇〇をして当たり前」(29.5%)だった。


 令和の日本組織では「風通しの良い職場がいい」「フラット型組織を目指すべき」などいろいろ理想論が語られているが、なんのことはない。それらはあくまで表向きの話で、組織内の暗黙ルールとしては、「上には絶対服従で、下っ端はつらい仕事も進んでやるものだ」という昭和の体育会カルチャーがいまだに横行しているのだ。


 さて、そこで「上司の言うことが正しい」「新人が〇〇をして当たり前」という暗黙ルールがある組織の若手社員や平社員になったと想像していただきたい。


 業務時間中、上司に口応えもできず、新人というだけで当たり前のようにやらされる仕事をしてクタクタになったあなたは、上司に「会社が終わったら飲みに連れていってください」なんてことを口にするだろうか。多くの人はこの上司とできるだけ早く離れたい、と会社を後にするはずだ。


 酒を飲んだところで暗黙のルールがあるので、タメ口で「あのさあ、今日仕事中に説教された話、マジで納得いかないんですけど」などと口が裂けても言えるわけがない。


●冷静に考えれば「酒を飲む」だけの話


 上司の言うことは正しいのでウンウンとうなずいて聞くしかない。「それはちょっと違うんじゃないすか」などと口答えをすれば、場の空気も悪くなるし、場合によってはこっちを論破しようと上司の演説をいたずらに長くしてしまうのだ。


 しかも、「新人」「部下」なので注文やらで気を使わなくてはいけない。何も動かないと「お前、そういうところが仕事でもダメなとこだぞ」なんて怒られる。


 楽しくもないし、何か自分のキャリアで得られることもない。帰宅したらドッと疲れが出て、「あの時間ムダだったな」と後悔しかないだろう。


 もちろん、多少のメリットもある。酒に付き合えば、上司から「オレに従順なヤツ」だと目をかけられ、業務配置や人事で多少の優遇を受けられる。組織内のゴシップにも詳しくなる。


 ただ、そうなってくると、ますますこの酒席は「業務」に近い。なにも自分のサイフを痛めて、貴重なプライベートを犠牲にしてまでやらなくてはいけないことなのか。こうした疑問は当然、浮かんでくるだろう。しかも、終身雇用という制度が崩壊した今、この会社にいつまで世話になるかも分からないのだ。


 「これって何か意味あんの?」とむなしくなる人が多くなるのは、人間の感情として至極当然だ。


 これはビジネスの世界「あるある」だが、「飲みニケーション」というパワーワードだけが一人歩きして、いつの間にか「日本型組織でなくてはならないチームビルディング手法」のように語られてしまっている。しかし、冷静に考えれば、それは単なる「酒を飲む」行為に過ぎない。


●大切なのは「人間関係」ができているか否か


 「酒を飲む」くらいで、チームビルディングやマネジメントのさまざまな問題が解決されるのなら、世界中のオフィスで酒盛りが行われているはずだが、そんなことになってはない。


 確かに、日本のサラリーマン社会では、周囲と打ち解けられない問題社員と飲みにいったら分かり合えたとか、飲み会をやったらバラバラだったチームが一つにまとまった、というようなサクセスストーリーが常識のように定着している。


 しかし、それはあくまでその飲み会を主催した側や管理職側、あるいは楽しめた人たち目線の話に過ぎない。本当はイヤだけどみんなが行くから仕方なくとか、場を乱したくないのでノリに合わせている、という同調圧力に屈している人もたくさんいるのだ。


 要するに、われわれは「飲みニケーション」という言葉の響きに惑わされて、会社の飲み会や上司と飲みに行くことの効果を「過大評価」してしまっているのだ。


 これは個人的には「ビール会社のCM」の影響も大きいと思っている。有名俳優や人気タレントがうまそうにビールを飲んで、その場にいる人みんなが全て笑顔になって、ハッピーになるという描写が多い。


 広告表現なのでしょうがないが、現実の酒席はそんなきれいごとばかりではない。おいしいのは最初の一杯だけで、悪酔いして口論になったり、下世話な話になったり、誰かの悪口・陰口で盛り上がることもある。「酒」には悪い面もたくさんあるのだ。


 そういう現実を踏まえたら、「会社で飲み会はアリかナシか?」「上司と飲みに行くことの是非」なんて議論はナンセンスではないか。


 会社が終わってからも話をしたい人とは飲みに行くし、そうではない人とは飲みに行かない。それだけの話である。


 これまでのお酒ライフの中で「ああ、あの時は本当に楽しかった」という酒席を思い出していただきたい。ほとんどは気の知れた友人・知人などと酌み交わしたときではないか。


●シラフで本音が言えているか


 もちろん、広い世の中だ。「いや、私は上司とサシで飲んだときが人生で一番楽しかった」とか「スナックで見知らぬお客さんと一緒に、カラオケをしたことが本当に楽しかった」という人もいらっしゃるだろう。


 しかし、ほとんどの人は「シラフのときからコミュニケーションがしっかりと取れている相手」とおいしい酒を酌み交わしたときにだけ、「飲みニケーション」がうまくいく。


 裏を返せば、ムカつく相手、話が合わない上司といくらサシで酒を飲んだところで簡単に打ち解けることはできない。「酒の力」を借りて多少は盛り上がるだろう。相手の話にとにかく合わせて、表面的に仲良くすることもできるだろう。しかし、そんなことをすれば、家に帰ったらドッと疲れが出て「なんでオレ、カネと時間をムダにしてこんなことしているの?」とむなしくなるはずだ。


 こんな「不毛な飲みニケーション」にカネと時間を投入するよりも、シラフの時に「仕事」という共通の目標に取り組む中で、しっかりとコミュニケーションを取ったほうが、相手の本音も分かるし距離も縮まる。


 かつて「企業戦士」「過労死」「24時間戦えますか」なんて言葉が氾濫したように、昭和の日本企業の成長エンジンというのは「パワハラ文化」だった側面もある。


 そういう厳しい世界に生きるサラリーマンは「酒の力」に頼ることが多かった。


 組織人として理不尽な目にあった時にできた心の傷を癒やし、同じような地獄を経験してきた仲間たちとの結束を深め、新人やよそ者に対しては「一気飲み」「オレの注いだ酒が飲めないのか」などと、仲間に加える「通過儀礼」的な役目もあった。


 要するに、日本のサラリーマンはなんでもかんでも「酒の力」に頼り過ぎてきたのである。「飲みニケーション」はそんな昭和カルチャーの最後の名残なのだ。


 チームビルディングがどうとかつまんない話は忘れて、好きな人と好きなときに、お酒を楽しむようにしていただきたい。


(窪田順生)



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  • 大勢で飲みたがる馬鹿は、コロナで消えたと思ったんだけどねぇ。
    • イイネ!7
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