染井為人氏が上梓した小説が原作の映画『正体』は、一家惨殺事件の容疑者として逮捕され、死刑宣告された当時未成年の鏑木慶一が決死の覚悟で繰り広げる逃亡劇だ。逃亡先の日本各地でさまざまな人々と接触し、「ある目的」を果たすために逃げ続ける鏑木は【5つの顔】を持つ男として描かれる。
いつ誰に自分の正体がバレるかわからない…警察の追手はすぐそこまで来ている…そんな緊迫感のなか、鏑木は髪型や髪色を変え、服装を変え、顔を変えて逃げ続ける。
【写真を見る】横浜流星の【5つの顔】はこうして生まれた 映画『正体』リアリティを支える職人たちの舞台裏
この物語を映像化するにあたり大きな力となったのが、スタイリストとヘアメイクの技術といっても過言ではない。【5つの顔】を演じ分けなければならない主演の横浜流星さんにとって、見た目の作り込みが役作りの確かな手がかりとなったことは容易に想像できる。
スタイリストの皆川美絵さんとヘアメイクの西田美香さんに撮影時のエピソードを聞き、メガホンを取った藤井道人監督の細かなリクエストを受けながら奮闘したその職人魂に迫る。
キャラクターが物語になじむリアリティ──藤井組でお仕事をする際、この組ならではの特徴やこだわりはありますか?
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西田:藤井組の場合は、演出のお手伝いまでしているという感覚があります。
皆川:藤井さんはリアリティを重視する監督で、ロケハン(ロケーションハンティング)にも同行してほしいという要望があります。実際に現場で働いている人に会って、「ここでどういうことをするから、こういう格好をする」といった話を詳しく聞くんです。その仕事ならではの特徴や動きを知り、その人が着る服の素材や風合いを調べる。ロケハンはある意味、社会科見学のような時間ですね。
西田:たとえば、時間軸に従って髪の長さも変わります。そういった場面で“ウソ”が見えないようにしないといけない。藤井監督からは「どうしてこういうメイクにしているのか」と質問がくることがあるので、それに答えられる理由を見つけておかないといけないんです。ある場面で、夜中にうなされながら寝ている。だったらクマは隠さないほうがいいな、と思ってクマを濃くする。他にも、緊張するシーンでは唇が乾燥する、汗を足していくなど些細な役の心情変化を細かく作っています。リアリティを追求するうえでの緊張感を持ちつつ、常に闘っている現場が藤井組です。
藤井組スタイルを作り上げるキャラクターシート──【5つの顔】を作っていく過程でどのような苦心、アイデアがあったか聞かせてください。土木作業員として働くベンゾーは、ボサボサ頭に無精ヒゲが特徴です。
皆川:ベンゾーがかけるメガネは分厚いレンズのものにしたいと藤井監督からお話がありました。レンズが厚いと奥に見える目が小さくなって、その人の印象が変わってくるからです。けれども実際、分厚いレンズにしたら度がものすごく強くなってしまい、そのメガネをかけた流星さんがまともに歩けなくなってしまって…。それを受けて、厚さは出しつつも度は強くならないように工夫をしました。
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西田:判決が確定するまでは髪の毛の長さをキープしなければいけないという決まりがあるそうです。刑が確定してからは、その決まりもなくなるので、死刑判決が下されてからベンゾーになるまでの期間を逆算して、肩にかかる程度の長さになりました。最初はボブに近いスタイルで考えていたんですが、短い髪から伸ばしてもボブにはならないだろうということで、カツラ担当の方と相談して決まったのがあの長さだったんです。また、質感もいろいろと考えました。きっと洗えていなくてサラサラヘアではないはず。ということで、ウェーブがかかっているほうがいいだろうという結論に。また、あまりツルッとした肌感だとヒゲの質感と合わないだろうし、工事現場で働いているのでわざと汚したりもしました。そうやって、かなり細かく考えてやっていました。
──ライターとして働く那須は、ベンゾーとはガラリと変わった印象になります。
皆川:藤井監督はキャラクターシートを細かく作るんです。那須に関しては「古着っぽくしたい」という要望があって。チェック柄のシャツというイメージは最初に聞いていましたが、なぜ那須がそういうスタイルなのか、その経緯や意図もそのシートに書いてあったのでイメージがしやすかったですね。
西田:那須も長さのある髪ではありますが、ベンゾーとは髪色が違います。これは、美容室ではなく自分でブリーチしたという設定なので、何回色を抜いたらこの色になるという色味のサンプルをいくつも監督に見せて確認しました。また、自分での染毛は根までしっかりきれいに染められないだろうと考え、根元はわざと暗さを入れています。
皆川:キャラクターシートをもとに考えてフィッティングを組み立てていくので、現場に入って想像と違ってビックリするようなことはあまりなかったです。
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――水産加工工場に潜入する久間はいかがでしょうか。
西田:久間に変わるとき、彼は髪を自分で切るんですね。流星さんに被せたカツラを自分で切ってもらったんですが、深くはさみを入れすぎて、自分の毛まで切りそうになったこともありました。また、久間は目が一重なんですが、ノリで貼ったらどうなるか、テープを使ったらどれぐらいの一重になるのかなど、いろいろと検証をしました。久間でいる期間はとても短いので、一瞬の印象が大事。それを考えるのがとても難しかったです。
皆川:久間は、年齢的な印象を少し変えてみようということで、年配っぽく見える作業着を用意しました。
──久間は「ケアホーム・アオバ」で働く介護士の桜井にその身を変えます。
西田:桜井もメガネをかけますが、ケアホームで働くにあたり、インテリな雰囲気になって冷たくなりすぎないよう、やわらかさを追求しました。髪型も、あまりスタイリングしすぎず、そこまでカッコよくしすぎず。これまではずっと前髪で顔を隠していましたが、桜井はおでこをあえて出して、もう隠さない素の状態にしたかったので、流星さんとも「こういう感じでいいかな」と相談しながら作っていきました。
皆川:誠実そうに見せたいという考えがあり、ジャストサイズの服を選び、清潔かつ几帳面そうな性格の人っぽくしています。
──服のサイズ感でその人となりを見せることができるのですか?
皆川:服の大きさで人の印象はまったく変わります。冒頭は盗んだ服を着るという設定なので、サイズが合わないように大きめの服を選びました。古着も体のラインを出したくない人が好むことが多いので、大きめにゆったりさせて。またサイズのほかに、色も意識して選んでいます。逃亡者なので目立ちたくないですよね。なので、ブルーグレーやグリーングレーなど、形は変われど色味は統一して彩度を落としています。
──そして、本人・鏑木慶一のスタイルはどのように作りましたか?
西田:監督からは、最終形態(鏑木)は「みんなが知っている横浜流星にしてほしい」と言われました。真っ白なシャツが似合う顔の流星さんに、ということでしたが、スタイリッシュにしすぎても少し違う。そのバランスを見極めるのが難しかったですね。
皆川:鏑木はもはや自分を隠す必要がないので、きちんとサイズを合わせています。
一緒に生きることを全うするためのお手伝い──横浜さんは【5つの顔】を演じ分けていますが、どの顔にも共通している“瞳で物語る引力”が印象的でした。眼の表情を作るのに、苦労された点はありますか?
西田:瞳の力を印象づけるために、あえて眼を隠して強調させたいという意向がありました。5つの顔それぞれでメガネをかけたりカラーコンタクトをつけたりして、瞳の本質が見えづらい状況なんですね。なので、一瞬の眼が見える瞬間を狙う、そういった演出が多かったように思います。
皆川:スタイリングでいうと、メガネや帽子を使っていますが、それぞれのキャラクターにどう合わせるかを考えながら探して。現場であえてメガネを汚したりしたこともありましたね。
西田:それに加え、メガネや帽子が取れた瞬間を狙って眼を見せたり、髪の隙間から見える瞬間を作ったりと、いろいろ工夫をしています。
──物語の一端を担う重要な役割のお仕事をされるにあたり、どのような心構えで臨まれましたか?
皆川:個人的に、映画やドラマを観ていて衣裳やメイクに違和感を覚えることがときどきあるんです。そうならないように、衣裳を通して役をどう物語に入れていくかを考えるようにしています。藤井監督はとくに物語や風景にいかにその人物をなじませるかをとても重視するので、『正体』でもそこを意識して現場に入っていました。
西田:私は常々、俳優部が現実から役に入るまでの後押しをするのが自分の仕事だと思っています。役者さんがそのキャラクターと一緒に生きることを全うするためのお手伝いといいますか…メイクや衣裳、撮影道具が一丸となって背中を押す。その人物の心情が見えるお手伝いをできることが、ヘアメイクとしてやりがいを感じる瞬間です。
緻密な計算とリアリティへのこだわりで物語を紡ぐ藤井道人監督。観客が物語に没入できるよう、違和感のない世界観を徹底して作り上げる。その制作方針に共鳴し、監督の高い要求に応え続ける“縁の下の力持ち”たちがいるからこそ、唯一無二の作品が誕生するのだ。藤井組を支える職人たちの厳しくも真摯な姿勢は、スクリーン越しに観る者の心を揺さぶり、新たな感動を生み出していく。